したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

218名前なんか必要ねぇんだよ!:2014/07/16(水) 00:34:37 ID:5A1Ma2RU
7月16日は東西教会が相互破門を行った日です

395年のローマ帝国分裂以降、ローマ・カトリック教会とビザンツ教会はそれぞれ独自の道を歩み、対立を繰り返していました
例えば教皇首位権の問題、イコノクラスムなど様々なものがありますが、大きな対立点は2つ挙げられます

まず1つ目は、フィリオクェ問題です
これは第一回コンスタンティノープル公会議で定められたニカイア・コンスタンティノープル信条における「聖霊は父より出で〜」の部分に、ローマ・カトリック教会が「フィリオクェ(子からもまた)」と付け加えたことにビザンツ教会が反発したことで起こったものでした
ビザンツ教会にとって、ニカイア・コンスタンティノープル信条があくまで正統な信仰告白だったのです

もう1つが聖体拝領の問題です
ローマ・カトリック教会では、聖書に種なしパンの記述があることを理由に聖体拝領において種なしパンを用いていましたが、ビザンツ教はこれをユダヤ教的であると批判、酵母パンを用いていたのです
そしてビザンツ帝国が帝国内のローマ・カトリック教会に酵母パンの使用を求めたことで大問題となりました

ローマ教皇レオ9世はこれら2つの教義・典礼の問題においてローマ・カトリック教会の正統性を主張するため枢機卿フンベルトゥスをコンスタンティノープルに派遣します
しかしコンスタンティノープル総主教ケルラリオスとの協議で一致点を見出だすことはできず、フンベルトゥスはハギア・ソフィア大聖堂の祭壇に破門状を叩きつけ退去、ケルラリオスもフンベルトゥスを破門したのです

つまり1054年7月16日のこの事件は新しい対立が生まれたわけではなく、すでに存在していた教義・典礼の問題によってお互いが相容れないことが決定的となったのでした


本日は東西教会の相違の確認日です、お悔やみ申し上げます


参考文献
・高橋保行『東方の光と影』春秋社、1991年
・M・D・ノールズ他、上智大学中世思想研究所編訳『キリスト教史4 中世キリスト教の発展』平凡社、1996年
・堀越宏一・甚野尚志編著『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』ミネルヴァ書房、2013年


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板