[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
198
:
名前なんか必要ねぇんだよ!
:2014/07/03(木) 01:11:50 ID:eLk/5wXw
7月3日は普墺戦争、ケーニヒグレーツの戦いが行われた日です
>>82
で取り上げたフランクフルト国民議会の後、ドイツ統一はプロイセンが進めようとしますが、ドイツ連邦の盟主オーストリアはこれに反発し、両国の対立は深まっていきました
これに加えシュレスヴィヒ=ホルシュタイン戦争後の処遇を巡っても両国は対立、プロイセン軍がホルシュタインに侵入したことで普墺戦争が勃発しました
プロイセンは宰相ビスマルの鉄血政策によって富国強兵が進められ、オーストリアを凌駕する軍備を整えていました
さらに参謀総長モルトケはプロイセンの優れた電信設備・鉄道網を活かして分進合撃するという作戦計画を立て、他国の介入を避けるため短期決戦を構想します
そして1866年7月3日、分散して進撃したプロイセン軍はケーニヒグレーツの戦場で合流し次々とオーストリア軍を攻撃、プロイセン軍による包囲攻撃が完成し、オーストリア軍は壊滅しました
まさにモルトケの分進合撃戦術による勝利だったのです
この戦いにより普墺戦争におけるプロイセンの優位は決定的となりわずか7週間で決着、モルトケによる短期決戦の構想も実現したのです
この戦争後ドイツ連邦は解消、オーストリアはドイツ統一から除外され、プロイセンによるドイツ統一がさらに進むこととなるのです
一方オーストリアは
>>163
で見たように多民族国家としての道を歩むこととなりました
本日はプロイセン参謀総長モルトケの傑作の誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・大竹武夫『参謀総長モルトケ ドイツ参謀本部の完成者』マネジメント社、1984年
・成瀬治他『世界歴史大系ドイツ史2 1648年〜1890年』山川出版社、1996年
・渡部昇一『ドイツ参謀本部 その栄光と終焉』祥伝社、2009年
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板