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ワキガ

126(-_-)さん:2017/09/14(木) 14:22:21 ID:???
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検案書では「即死」
慶子さんの父と妹  遺族は割り切れず

日航ジャンボ機墜落事故で、助かった川上慶子さん(12)は「墜落後しばらくの間、父と妹も生きていた」と証言したが、
二人の死体検案書には全身打撲などによる「即死」と書かれていることが、30日までに明らかになった。
検視した医師は、「しばらく生きていたとしても即死の範囲内」としているが、慶子さんの証言を聞いた国立高崎病院の医師らの間では、
妹の咲子ちゃん(7つ)の直接死因が「吐いたものによる窒息」の可能性があり、「救出が早ければ助かっていたかもしれない」との見方が出ている。
墜落後に咲子ちゃんらがどのくらい生きていたかはナゾのままだが、遺族らは、二人の「即死」扱いに割り切れない気持ちを抱いている。
慶子さんの証言によると、咲子ちゃんが「苦しい、苦しい」というので、慶子さんが「帰ったら、チーちゃん(兄の千春君)、おばあちゃん、咲子と4人で仲良く暮らそうね」と元気づけた。
咲子ちゃんは「大丈夫よ」と言っていたが、やがてゲロゲロと吐いて静かになり、冷たくなったという。
そうした証言から、咲子ちゃんは内臓破裂か損傷が原因で吐き、吐いた物が気管につまって窒息死したのでは、とみる医師もいる。
しかし、咲子ちゃんの死体検案書を書いた医師は、「足の骨に開放性骨折(皮膚が破れて骨が外に出るような骨折)があり、全身にも相当な打撲の跡がある。
ゆっくりと死に至った、ということは考えられない」としており、検案書の死因欄にも「即死 全身打撲による外傷性ショック」と書かれている。
また、父親の英治さん(41)についても、慶子さんは、「ベルトをナイフででも切って逃げろ」とか「体が動かない」などの声を聞いており、事故直後は、英治さんの意識もかなりはっきりしていたことをうかがわせている。
が、英治さんを検視した医師は、「遺族の気持ちも考えて詳しく書かなかったが、実は頭部陥没骨折、上腕骨折、大たい部骨折、頚椎骨折などがあり、どれ一つとっても致命傷。
生きていたとしても10分か15分ぐらい」と、長時間の生存には否定的見解だ。
「即死」の概念について、法医学の専門家は、「普通10分以内。これを瞬間死といい、30分以内なら広い意味で即死に入るだろう」と説明する。
問題は、二人が実際に、この広い意味でも「即死」だったのかどうかという点だ。
英治さんや咲子ちゃんの遺体を医師らが検視した当初は、まだ慶子さんの証言は出ておらず、証言が出てから二人の火葬まで、あまり間もなかった。
慶子さんは、救出された13日、藤岡市内の多野総合病院に収容された後、国立高崎病院に移された。
高崎病院の関係者の話によると、転院後間もなく、警察の事情聴取を受け、その中ですでに、「父や妹は生きていた」と証言した、という。
この証言をもとに急きょ火葬を延ばして遺体を解剖する時間はなくはなかったと見られるが、そうした処置は取られなかった。

             (1985年8月30日付け・朝日新聞夕刊)


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