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立ち話・雑談スレッド
335
:
首都高バトル01
:2011/10/03(月) 11:02:22
堅皇さんへ
長い文章でのご説明ありがとうございます。
まだまだ勉強不足なもので、仏教用語で理解できてないものがいっぱいありすぎて、難しいです。 しかし勉強になります。
「 諸法の実相は、南無妙法蓮華経 」この文章で、実相と南無妙法蓮華経は、一緒だと思うのですが、よくよく考えてみると同じものでありながら、別物にみえてくるのですが。つまり実相は、南無妙法蓮華経を指す言葉であると言うことが。 私の見解ですみません〜 十如是は、御本尊と思えてなりません。
語より義が第一 〜 堅皇さんの言われるとおりだと思います。
では、義は、何を指しているのでしょうか? まだ先があるように思えるのですが、行き止まりまで行ってないような...。義と言う文、語の先と言うより、義の言葉の中の底へ突き当たる、行き止まりまで。そこが、その言葉の、その文の底、一番深いそれより行きようがないところがあるように思えるのですが。義は義だから何ものでもないと言われればそれまでなのですが...。
あまり詳しくないのですが、天台大師の十乗観法の中に、禅のような瞑想の修行があったり、もっとすごいのは、ぐるぐるお堂の中を歩きながら、念仏を唱える修行、四種三昧の中の常行三昧で、般舟三昧経によって設けられたものだそうです。まず道場を荘厳して阿弥陀仏の像を本尊として安置し、九十日間外出しないで、沐浴しつつ本尊の阿弥陀仏のまわりを、阿弥陀仏の名を唱え、念じ歩きながら歩き回る修行だそうです。天台大師が止観(の中の円頓止観)を修する為に行う修行の一部だそうです。
天台大師は、どのように瞑想や念仏を唱える修行をとらえているのでしょう?
また日蓮大聖人は、天台大師のこのような行いをどうとらえられているのでしょうか?また天台大師が瞑想や念仏を修行に取り入れているのに、大聖人の時代、日本の天台宗が真言はさておき、(どういう意図の流れで真言を取り入れたかは、勉強不足でまだわからないないので、すみません)、念仏を取り入れたことに反対され曲解と言われるのでしょうか?
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