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立ち話・雑談スレッド
229
:
堅皇
:2011/02/08(火) 10:36:10
>>EUPAさん
"釈迦のような仏"と言うものをEUPAさんはどの様にお考えなのかと言う事ですね。
そもそも仏とは何かと言う事になってくるのですが
仏とは神とか本仏と言った人々から崇められる本尊と言う存在ではありません。
何故なら仏法はもともとは宗教ではありませんでしたから。
仏とは悟りの境地でありあらゆる苦難に直面してもそれを乗り切れる智慧や力が身に付いた人の事を指します。
そういう意味で日蓮もこれを充分に有しているので立派な仏と言う事ではないでしょうか。
また自身が体験する苦難に対しそれに対処する智慧や力があればその時点で仏と言う事になります。
人は学びと経験により悟る事ができ、この悟りの状態を仏と表現しているわけです。
ですから仏とは人智を超える神の領域に辿り着いた時と言うのではなくあくまでも人智の領域による悟りと言う事です。
これまでの諸経では釈迦は生まれ持っての仏の様に描かれていましたが
法華経寿量品にてその釈迦もこれまで数々の学びと経験によって仏と呼ばれるようになったと説かれています。
つまりは皆さんと同じなんですよと言う話ですね。
これが法華経における方便品の諸法実相と並ぶ真実の部分であり久遠実成と言う事ですね。
言ってみれば世の中に全知全能の神もいなければ本仏と言う存在もありませんよと言う事を顕したのが
法華経寿量品と言う事になりますね。
仏法とはもともと釈迦が宗教からの脱却を図る為に説かれたものです。
それは一人の人、一つの法だけを信じてしまうと確実に波状を来たして結果的に不幸になってしまうからです。
そこで法華経は一つの法ではなく諸法全てをまとめ、一仏を置かずに信じることを取り入れ宗教としたわけです。
こうして仏法は法華経を経て宗教へと変化していったと言う話です。
釈迦のやり方では歴劫修業を要するのは釈迦仏法は信じることを取り入れない宗教では無かったからですね。
しかし、釈迦の理念から外れてしまっては釈迦が脱却を図ろうとした宗教と同じ状況に陥ってしまいます。
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