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立ち話・雑談スレッド
212
:
副管理人Z
:2011/01/30(日) 21:55:57
218 :堅皇:2011/01/29(土) 16:22:12
さてさて、エキストラオさんもしげきょんさんもこんな言葉尻捉えて
面倒くさいこと言ってるなと思っておられると思います。
何故こんな事をくどくど言うかとすれば正宗も創価も南無妙法蓮華経が本因妙だ文底独一本門だのと
題目が実相だとか自分たちの組織の考えや指導だけが実相だのと考えているから言ってるんですね。
法華経では実相は諸法の中にあるといっています。
日蓮もまた「実相は必ず諸法」と言っている訳ですからこれを信じれないかと言う事なんですね。
更にこの諸法は全て方便であるとも言っています。
つまり南無妙法蓮華経も自分たちの組織の教義や指導も全て方便として捉えていて
幾つかの方便を集めその中で実相を探ろうとすれば問題はないのですが
これ自体が実相と考えると本当の実相と言うものを見誤るぞと言いたいわけですね。
解りやすい例を出しますとハンムラビ法典。
これは正宗、創価も共通して邪経と判断されていますよね。
その代表的な言葉「目には目を、歯には歯を」これは思想自体が誤りであると思っていますよね。
この言葉の趣意は「毒を持って毒を制す」と同意義ですよね。
しかしこの理論があながち使えないかと言えばそうでもありません。
例えば免疫治療等ではこれで効果が得られるわけですね。
ただすべての事柄に当てはまるわけではないのでこれ自体を実相と捉えるのは誤りだと言う事ですね。
つまりどの様な言葉も実相ではなく諸法の1つであり方便の1つであると捉えれば活かす事が出来ると言うことです。
その為にはあらゆる法は諸法の1つと捉え法華経を中心とすることにより実相を得るためのパーツと捉えるべきだと。
この観点で言えば文底独一本門という題目が実相とする考えも
題目を唱えされるための方便の1つと捉えればその効果を得る事が出来るが
これ自体が実相と捉えてしまい大事な諸法を全て捨ててしまえば本当の実相を見誤ると言う話です。
本当の実相を得たいと言うのであれば常に法華経を中心に法華経の題目を唱えなければいけないと言う事ですね。
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