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◆自分と池田先生を語る◆

39京阪電車の燈 ◆AIo1qlmVDI:2011/12/03(土) 16:03:43
>>38
『きたわぬかねは、さかんなる火に入るればとくとけ候。氷をゆにいるるがごとし。
剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず。是きたへる故なり。まえにかう申すはきたうなるべし。
仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に勝つ物なり。』

【通解】『鍛えていない金は燃えている火に入れたらすぐに溶けてしまいます。
それは、氷を湯の中に入れるようなもの。
(逆に)剣は火に放り込んでもしばらくは溶けません。これは“鍛えて”あるからなんだよ。
事前にこのように言うのは、あなた(金吾さん)を“鍛える”ためです。

仏法というのは「道理(筋の通った事)」を説いたもの。
その「道理」というのは、(あなたの場合、)「主君の権力に勝つ」という事なんだよ。』   

……となりますが、ここでいう「主君の権力に勝つ」は、
当時の“金吾さんが置かれた状況”を前提に読まないといけません。
けっして主君の江間氏をただただ『撥ねつけよ!』という指導であるわけがなく、
ひとえに「成長」を期待したご指導と拝察できます。

この御書を読む場合ときの肝要は、各々が『主君の権力に勝つ』の部分に何を入れるかですね。
ちなみにある御仁など、この御書を時折引用し、“ご説法”なさっているようですが、頓珍漢も甚だしい。
「勝つ=勝る、上に立つ」だけに捉え、“これ見よがし”にご自慢、悦に浸ります。
その一方、「自身の克服すべきこと」に疎く、「勝他の念」に支配されまくった有様です。

これでは、この御書を誤解していると言えますし、誤解しているがゆえ、
せっかく読んでいても“何の意味も生んでいない”と言えます。

この御書を活かす(生かす)ポイントは、“ひとりよがり”な独善ではなく、
社会(「会社」ともいえます)の中での関わりの中で自分が壁にぶつかったりした時に、
「よし、学ぼう」という姿勢の有無が、大きくその後の“効果”を左右すると知ることだと思います。

そこで、いろんな人たちが“鍛え”という役割の「諸天善神」になってくれます。
“克服する気のない人”には、それが残念ながら見えません。
その最たる例が、かの有名な御仁だと私は思っています。


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