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説教オヤジ・大いに語る 第二章
730
:
説教オヤジ
:2010/02/07(日) 17:29:08
>>728
カッシよ
その通りです。
ワシも、誰も彼もが頭から「信」から入る事は難しいと思うよ。
確かに「信」への導入段階の方法の一つとして「懐疑、。疑義」があっても良いと考える。
しかし、それでもある期間、ある段階を過ぎれば根本は無疑曰信じゃよ。
大聖人の仏法は万人の生命の奥底に尊貴なる仏界の生命の存在を説き明かすが故に、
そして、その尊貴な生命を現実の生活の上で自体が顕照出来得ることを顕した、稀有な法門です。
「受持即観心」
唯、御本尊を信じ、持続の題目を唱えれば、生死を離れ男女貴賎を離れ、有情非情を離れ、あらゆる区別無く一切衆生が仏果を成ずることが出来る法門。
故に信じ難い。
信じ難いが故に敢えて疑う事を禁じ、大聖人の仰せの如くにひたすら信じ抜く事が肝心なのじゃよ。
理屈などいらぬ
「信じろ!」
「はい信じます!」
「南無妙・・・・」
これが究極の姿です。
日興遺戒置文の
時の貫首なりといえども・・・・・・
の文は、まさしく「何処までも、どんな立場になっても、愚直な信心を貫け」との興師の遺言なんじゃよ。
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