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【ジャーナリスト】千葉敦子 乳がん ニューヨーク

1みどりのくつした★:2014/07/05(土) 03:33:02
千葉敦子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E6%95%A6%E5%AD%90

2みどりのくつした★:2014/07/05(土) 03:38:24
1940年 中国上海生まれ。

どこか普通の日本人とは違うと感じていたが、
中国で生まれて、中国的な感覚を身に着けていたら、
キャリアも、行動も、著作も、理解できるね。

3みどりのくつした★:2014/07/05(土) 19:36:17
「ニューヨークでガンと生きる」朝日新聞社 1986/04/10

日本でガンの手術をして(1981)
乳房再建手術、
ガン再発(1983/06)
ニューヨークへ(1983/12)

ガン再再発(1984/08)
放射線で、しこりが消えたので、
予防的化学療法を受ける。

4みどりのくつした★:2014/07/06(日) 07:55:39
千葉敦子さんの、「ニューヨークでがんと生きる」を読んだ。

近藤誠医師の「抗がん剤は効かない」を読んで、ニューヨークで亡くなったジャーナリスト、千葉敦子さんを思い出した。
彼女の本を、何冊か図書館でリクエストして、最初に手許に届いたのが、「ニューヨークでがんと生きる」でした。

1983年の体験を、1986年に出版した(もともとは、雑誌に書いた記事だから、発表はもっと早いが)もの。
千葉さんが1986年に3度目のガン再発。

亡くなったのは、1987年7月9日だ。
僕が最初の世界一周旅行に出たのが、1987年9月7日なので、9月7日と7月9日は、なんらかの関係があると誰でもおもうだろう。

僕がニューヨークに最初に滞在したのが、1988/10/22-1988/11/09だった。
「ニューヨーク秋物語」に、その時代のことは書いてあります。

千葉敦子さんが書いている、当時最先端の「がんの化学療法」というのが、「抗がん剤治療」だ。
抗がん剤治療が苦しい話は、本にも書いてある。

そこで僕は思うが、千葉敦子さんは、抗がん剤で長生きしたのだろうか、ということ。
こんな単純な疑問にも答えられないなら、医学とは、当てにならない学問だよね。

引き続き考えてみたい。

https://plus.google.com/104916295103333339408/posts/5f3jw39RwYu

5みどりのくつした★:2014/07/06(日) 08:05:55
https://twitter.com/midokutsu/status/485559783072600066

近藤誠医師の「抗がん剤は効かない」を読んで、ニューヨークで乳がんの再発でなくなった千葉敦子さんを思い出した。
「ニューヨークでがんと生きる」を読んで考えた。
抗がん剤を使ったことで、千葉さんは、長生きしたのだろうか。

6みどりのくつした★:2014/07/06(日) 12:22:40
「ちょっとおかしいぞ、日本人」
単行本1985/08
文庫本1988/04/25

海外体験者が日本の風習に感じる違和感を書いた、
よくあるタイプの本。

文庫本が出たのは、死後。

7みどりのくつした★:2014/07/06(日) 14:04:19
千葉敦子の「ちょっとおかしいぞ、日本人」を読む。

ちょうど、谷本真由美の『日本が世界一「貧しい」国である件について』を読んだばかりだった。
こういう海外体験者が日本を見て、世界とのズレを指摘する本というのが、一つのジャンルとして存在する。

がんのことで、千葉敦子の本をチェックしていたら、彼女の「ちょっとおかしいぞ、日本人」を見つけたので、読んでみました。
どちらの本も、辛口エッセイで、納得できるところが多い。

ただ、こういう本を読んでも、日本は変わらない。
昔は、「日本はもっと変化して、海外にどんどん出かけて、国際的な人間になるだろう」などと思っていた。

でも、日本人は海外ではやっていけないと、わかってしまったよ。
日本人は、そこで、「変わらなくてもいいんだ」と方向転換をした。

それが、もちろん楽だからね。
また、日本人は、変わらないし、変われないんだよ。

僕が、長い旅の中で、悟ったことだね。
僕はバブルの絶頂期に、世界一周旅行をして、海外でいろんな日本人とであった。

日本企業の海外支店で働いている、日本人の若者とも話をした。
その結論は、「日本人は、海外でやっていけない」ってこと。

日本人は、日本的な考え方をする、日本人の中でしか生きられない。
海外の労働者も、受け入れない方がいい。

日本人は、日本社会の中でないと、落ち着けない。
だから僕が言うように、「日本人は、日本列島の中で、静かに穏やかに、滅びていけばいい」と思っている。

8みどりのくつした★:2014/07/07(月) 12:23:11
「よく死ぬことは、よく生きることだ」千葉敦子1987/04/15

この本は、3度目の再発のことを書いてあるが、
自分ががんの人はとても読めない。

アメリカの医療は、充実しているが、
とても高額だし、
英語がしゃべれないと、
意思の疎通も出来ないだろう。

9みどりのくつした★:2014/07/07(月) 12:36:45
「乳ガンなんかに負けられない」千葉敦子 1981/06/20

これは最初に乳がんが見つかったときの話。

この時は元気に、対応できたので、
その顛末を書いてある。

10みどりのくつした★:2014/07/07(月) 17:30:23
メモ

日本では点滴の針を刺すのが下手。
アメリカでは、点滴漏れの経験は無い。

11みどりのくつした★:2014/07/08(火) 09:41:41
千葉敦子「乳ガンなんかに敗けられない」を読む。

千葉敦子については、僕は同時代的に、彼女のガンやガンの再発などの記事を読んできた。
「乳ガンなんかに敗けられない」には、その最初の、ガンが発見されて、都立駒込病院で手術を受けるところなど、詳細に書いてある。

この本を読んだのは、今回が最初だが、想像していた内容とはかなり違った。
もちろん、ガンの検査や、入院、手術、そのあとの経過についてはちゃんと書いてあるが。

僕が感じたのは、病気のことではなくて、その背後にある社会の状況。
そのころの日本社会の雰囲気が読み取れるのが興味深い。

例えば、外国人ジャーナリストがたくさん日本にいる。
いまだと、有能なジャーナリストはみんな、中国に行ってるのでは?

つまり、日本社会に活気があった時代の話だ。
千葉敦子さんは、日本企業の経済記事などを、英語で、海外の雑誌にレポートしていたりする。

しかし、いまだと、日本企業の活動も低下して、記事も売れないのでは??
海外からの有能なジャーナリストも、日本からいなくなっているかも。

彼女はまだまだ若く(40歳)、体力もあり、フリージャーナリストとしての活躍もしていて、日本人外国人を問わず、友人知人が多い。
家族の助け合いもあり、お花のプレゼントも山のように来る。

乳がんの早期発見だから、正直、本人は、あまり危機感を持っていない。
乳がん手術をレポートしようという考えで、胸を出した写真まで撮っている。

それはもちろん、乳がんに正面から向き合って、戦う決意を固めているからだね。
時代が、バブル前で、昇り調子のころだ。

その時代の気分が、本の中に詰まっている。
ところで僕がこの本を読んだのは、近藤誠医師の著作を読んだから。

近藤医師の考えによると、早期発見しても、死ぬ確立は、下がらないとか。
小さなガンを早期発見しても、意味がないという風なことが書いてある。

そうなると、「ガンと戦う」という、千葉敦子さんのスタンス自体が、意味がないことになるわけだが。
抗がん剤を使わずに、放射線療法で、表面だけ叩いたとしたら、そちらが、楽で、長生きしたのだろうか?

難しい問題だね。


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