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ミセ*゚ー゚)リ 怪異の由々しき問題集のようです

411名も無きAAのようです:2013/07/07(日) 03:43:07 ID:FOBxL5ZQ0


 「心すら 心に叶ふ ものならず」


【歌意】
(「心に叶う」なんて言い回しがあるけれど)この心でさえも、私自身の思い通りになるものではないのだ。

【語法文法】
『心』は現代語と同じように主に「精神」「感情」を意味する。
続く『すら』は類推や強調の意味の副助詞。今回は「…でさえも」という風に強調として訳している。
『心に叶ふ』は『心(名詞)』『に(格助詞)』『叶ふ(ハ行四段活用の動詞)』なのだが、一つのフレーズとして覚えてしまえば良い。
これは「思い通りになる」「思うままにできる」という意味である。
次の『もの』はそのまま「物」として良いだろう。
最後の『ならぬ』は断定の助動詞『なり』の未然形に打消の助動詞『ず』の終止形が付いたもの。
古文での「なり」の識別は難しいが、体言若しくは連体形に接続されているものは十中八九断定の「なり」である。
今回の場合だと「だ・である(断定)」+「ない(打消)」で「ものではない」ということ。

【特記】
参考にした歌は前回と同じく離別歌「命だに 心にかなふ ものならば なにか別れの かなしからまし」。
正確には、この歌を知り作者が抱いた感想を二つに分けたものが四話と五話の和歌もどきである。

私達は「思い通りになる」なんて言い回しを当たり前に使うが、考えてみれば、自分の思いこそが最も思い通りにならないものなのかもしれない。
百人一首に納められた和歌の多くは悲恋を詠ったものである。
恋をしてはいけない相手に恋をせずにいられたならば、恋の歌がこんなにも多く現代にまで残ることはなかっただろう。


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