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ミセ*゚ー゚)リ 怪異の由々しき問題集のようです

229名も無きAAのようです:2013/05/25(土) 16:57:08 ID:RqAuxQOc0


 「今は斯く さみだるるのみ 藤葛」


【歌意】
私の人生ももう終わりだ、五月の雨が降るばかり、今となってはもうひたすら藤や葛が乱れているだけだ。
(古語ではこれだけの意味だが、藤と葛が心理学における『葛藤』の由来になったことを踏まえれば「私の心はとかく乱れている」と解釈できる)

【語法文法】
冒頭の『今は斯く』は「今は斯う」とも書かれ「最早これまでである」「今となっては」「別れの時だ」というような意味の決まり文句。
『さみだるる』はラ行下二段活用「五月雨る」の連体形。掛詞であり、同じくラ行下二段活用の「さ乱る」と掛かっている。
前者は文字通り「五月雨が降る」という意味。対し、後者は「乱る」に接頭語の「さ」が付いたもので「乱れる」という風に訳す。
この接頭語の『さ』に意味はない。語調を整える為に付けるか、意味を強めるか、くらいのもの。
次の副助詞『のみ』は様々な用語に付き、また意味も多い。限定用法としては「〜だけ」「〜ばかり」となる。
強調では「特に」「とりわけ」と訳し、用言を強める場合には「〜しているばかりだ」「ひたすら〜である」で、ただの断定として「〜だけだ」を意味する。
今回は『五月雨る』に対しては限定用法として、『さ乱る』に対しては用言を強める形で訳してみた。
また『葛』は古典世界では一般的に秋を表す植物であり『五月雨』は田植えの季節(旧暦の五月)に降る雨のことなのは留意すべきだろう。

【特記】
参考にした歌は和泉式部日記より「おほかたに さみだるるとや 思わらむ 君恋ひわたる 今日のながめ」。
事前知識がなければ歌意が分からない和歌は多いが、この歌も藤と葛が『葛藤』と関係していることを理解しないと真意が分からない。

余談だが、何かの動詞や体言に「る(り)」を付けて新しい動詞としたり「〜している」と訳すのは割と昔からある文化で、言葉の乱れとは言えない。
「五月雨」に「る(り)」を付けて動詞化する、というこの方式は「Google」に「る(り)」を付けて「ググる」という動詞を作るのと同じである。
昔から日本人はこんな感じだったようで、古文でも外来語(当時の漢語)に「る(り)」や「す」を付けでっち上げた動詞が出てくることがある。

しかし「さみだる」で「五月雨が降る」って昔の人凄いな……。


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