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とりあえず雑談

240a,w:2011/01/04(火) 03:50:25
くそっ、レポートが書けん。参考資料丸写しになりそうで困る。

>江戸幕府
私説の要素が強いからネタ半分に聞け。
また初めに断っておくがこれは幕府の定義による。最近は鎌倉幕府成立は1185年であるという説が出るなど曖昧な部分だ。が、そこは一先ず置こう。
14代将軍徳川家茂の死は1862年7月20日に起こった。享年21、子はいない。
後継者候補には一橋慶喜と田安亀之助が挙がった。田安亀之助は幼年であったが、家茂の生前の希望であり、慶喜もまた自身の将軍就任を固辞し亀之助を推したため候補になった。
しかし、老中はこれをあり得ないとし、慶喜に後継を嘆願した。長州征伐が泥沼化しており、三歳の幼君で捌ききれる難局ではないと主張したのだ。穿った見方をすれば長州征伐の責任を丸ごと負わせようとしたとも取れる。
慶喜は固辞を続けたが、ある条件をもとに後継を承認することになる。その条件というのが宗家は継ぐが、将軍は固辞するというものだ。
これが人々にどの様な受け止め方をされたかは別として、8月20日に家茂の喪が発され、慶喜の徳川宗家存続が正式に決まる。しかし、将軍職は空位のままだ。慶喜が12月5日に将軍宣言を受けるため、軽視されがちだが8/20〜12/4は明らかな空白期間と言える。この時既に征夷大将軍というものは消え、幕府も滅びていた。
ちなみに孝明天皇は、この空白期間、緒候に参内を求めているが、ほとんどの大名は病気で断っている。
更に岩倉具視の息が熱い貴族達は内ゲバを始め、無政府状態を引き起こしている。
そのため結局は12月5日に慶喜に将軍宣下をすることとなっている。
この一連の流れを、将軍職に就きやすくするための慶喜の戦略としているのが一般的な説で、松平春嶽なんかも慶喜は酒を断りながらも飲むねじあげ上戸と評している。しかし、この一般説は薩長びいきな気がしてならない。戦略とする根拠も戦略としない根拠もないのが実際と言える。

疲れたんで簡略で
・コストは確かに問題
教育費と効率を時給で換算するとどれくらいだろうな。バイトに任せられる仕事の増加量と一々聞かれる手間の省略がどれくらいあるか。仮に客からの質問が1日12時間で60あり、内二割が店員を呼ぶとして、五分ずつとすると、時給二千円換算で一日二千円、月六万、年七十二万。あれ、発注用端末なんか既にあるし、統合すればなんとかならね?
・仕事であれば知らなきゃどうしようもないだろ
自主性に頼る部分はともかく割り振られた仕事に必要な部分は放置できんだろ。
今さらアホなこと聞けないって放置する奴もいるが、何でやらないんだ、になるからな。
・些細な問題をマニュアルにフィードバックってどこの話だ
上司の俺流に対応しやすくすることや、それを人事が評価しやすくすることって感じだったはずなんだが。
電子マニュアル以前の問題であるが、基本業務のやり方に加え、専門用語、禁止事項、優先順位、最低限の要求、これらが明示されてないことはあるもの。これらも場所や人によってやり方(例:正確性重視、)が変わる。またマニュアルに対するメモは人事が業績や社員満足度と比較して質を判断をしたり、実際に役に立つかで書いたものの能力を評価するツールにすればいいだけの事だろ。
・あとは外人向けマニュアルの前段階になるんじゃないかと思ってる。
語学優秀な奴が一斉配信できる。
・アドリブは苦手だなあ

ブックオフの倉庫はされてる
教育用マニュアルというよりは、効率的な回収場所を表示する業務機器だが




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