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69名無しでござる:2011/08/16(火) 21:35:23
これはどういうことかと考えてみるに、まず、そもそもネタ元がバカや落ちこぼれ向けに書かれた本なのだから、
そのトピックスはバカには目新しいかもしれないが、そこで仕入れた知識を得意満面で披露されても、
ごくふつうの教養のある者には、「いや・・・わざわざオマエに講義してもらわんでも・・・」
程度の反応しかできないことは当然である。

しかしこういうところにに思い至らないのがさすがにバカで、
また確かに天才tinkoにとっては「データ、クレーム、ワラント」とか「内包/外延」とかは、
人生の一大事・大発見であることも事実。

「けんかのときにこういうことばをゆったらみんなぼくをそんけいするだろうなあ。うふふ」
そんなまほろばを夢見て、高揚した額のあたりを脂でぎらぎらさせて、心持ち呼吸も早くさせニヤニヤしているおっさんの顔が目に浮かぶようだ。
もちろん結果はご案内の通り、失望如何ばかりか。

ここで己の程度の低さを反省すればこそ、問題は彼の中で、それが絶対不変の真理になってしまっていることだ。
「感心しないなんてみんながバカなんだ!」
あれです。
ウイグル自治区あたりから来ている留学生の子が風邪気味だというから、
市販の風邪薬飲ませたらいっぱつで治っちゃった、みたいな。
これまでほとんど薬なんか飲んだことないから効き目がすごいらしい。
「知」の免疫がない、とでも言おうか。
だから罪が無いといえば罪が無いのかもしれない、バカなだけで。


ところで、ここまでの話は、このバカが「バカでもお利口さんのフリができる」系の書籍を愛読しているという仮定で進めてきたが、
そうだとすると、このバカは自身のバカを自覚しているということになる。

なるほど!
sueくんのツッコミに、あれほどヒステリックに反応したわけも納得できる。(95番sueさん「ほら語れ´`」スレ 参照)
必死になって賢しげに発言しているときに、「学が無ぇなあ」まがいの言われ方をされたと感じたのだろう。

ああ、劣等感は辛いだろうけれど、ひけらかすために本を読むのはつまらないことだよ、チンコくん。
どういうわけか、ひとはバカを一瞬で見破ってしまうものだし。

どうか金輪際「ぼくのかんがえるけんかろん」みたいなものを語らないようにしよう。
「ぼくのおちんちんみてください!」とか「うんこ!うんこ!」とか、
いかにもオマエらしい発言をしてはしゃいでいれば幸せになれると思う。


あ、あと余談だけど、彼が最近読んだ本が「読書力」だって(笑)
病的に読む能力のないバカが「読書力」という題の本を読んでいる図(笑)
でも、「やっぱり本人も自覚してんのね・・・」って、少ししんみりもしましたけど。

半キチガイが垂れ流す妄言に付き合わされたそこのキミ。
なんの因果か、どんな祟りか。
お盆は終わってしまったけれど、これを機にご先祖様のご供養を念入りにしてみてはいかがでしょう?

70名無しでござる:2011/08/16(火) 21:35:49
↑こいつどんだけtinko大好きなんだよww

71名無しでござる:2011/08/16(火) 21:50:27

69 名 前: 名無しでござる - 投稿日:2011/08/16(火) 21:35:23
70 名 前: 名無しでござる - 投稿日:2011/08/16(火) 21:35:49

26秒で反応てw

オマエも熱心だよなwww

72:2011/08/16(火) 22:06:44
>>67
クオリア自体は質感だものね ありがとうとう

73:2011/08/16(火) 22:10:19
賢二くんの文章は横隔膜が震えるのね

74:2011/08/16(火) 22:25:01
道徳的義務から生じる自分の確固たる信念からくる犯罪も、確信犯になるよね
間違いがどうのこうのとか、犯罪だと認識してるかしてないかとか関係なしに、
自分の信念を貫いた結果、犯行に及んでしまったってのが確信犯なんじゃないの

75:2011/08/16(火) 22:30:15
お参りはしっかりしてきたからきっとご先祖様に不満はないと思うんだ
認知資源は取られるけど、時間はそこまで取られない

76天才tinko:2011/08/17(水) 00:12:54
>>72
クオリアの話って面白いんだけど、すっごい理解し辛いんだよ・・。簡単そうに見えてめちゃめちゃ難しいんだ。それが簡単そうに見えるからこそ、余計に難しい。
たぶん、このスレに書き込んでる人の中にクオリアをちゃんと理解できてる人が1人でもいるかどうかは、怪しいぐらいw
クオリアを「質感」とか「人によって感じ方が違う”かもしれない”事」っていう理解に留めてる人が多いんだけど
実は、それらって、厳密に言うと、全然違うんだ・・w

クオリアを意訳するならば「質感」って言葉が一番近いし、だからこそ、そう言い表すしかないし(旅と物語みたいにね)
クオリアを普通の人にも分かるように説明するならば「人によって感じているもの、見えているものが違うかもしれない」っていう説明になっちゃうのは、その通り。

でも、「人によって感じているもの、見えているものが違うかもしれない」なんて、わかりきってる事じゃんw
そんな、わかりきってる事にクオリアなんて名前をつける必要はないんだ。
本当のクオリアを理解するには、オレが苦労して説明したw 主観と客観の違いを理解してないと、絶対に理解できないもので
クオリアは厳密に言うと概念でも質感でもない。クオリアそのものなんだ。

クオリアを主観と客観の説明にあわせて説明するなら
「客観とは主観が食い違いなく受け取られる事だけども、クオリアの食い違いがあっても主観の食い違いはおこらない」という問題なんだ・・・

つまりw
クオリアってのは「質感の元になってるコレ」であったり、「今”感じている”と思っている理由のコレ」なわけ。
「質感」も「感じているもの」も主観でしかないんだよ。それは証明できない。
だけども「我思う故に我あり」と同じ理屈で、「今、なんだろうと思っている”コレ”」は「なんだろう?と思っている目線」が存在するのと同じに、あるいは発展的に存在が証明できるんだ。
こういう理屈でいうと、クオリアは主観や、質感や、概念なんかよりも、論理的に証明しやすいものだといえる。
だからこそクオリアは「クオリアそのもの」でしかなく説明が難しい、厳密にいうと、かなり抽象度の高い概念で、少なくとも「質感の元」と言えるぐらいだから、質感よりは外延にある概念だと言っていい。

クオリアを説明するときの一番の難しさは、クオリアに位置する部分の事を「コレ」は「コレ」としか言い表せないから説明が難しいw
そしてなおかつ、「コレ」は「コレ」としか言い表せないからこそ名前が付けられたの。それが「クオリア」なわけさ。

77天才tinko:2011/08/17(水) 00:30:24
>>66
52でも51でもいいんだけど、これら一連の説明は全部つながっているもので、表しているものは一緒なんだ。
表しているものを、どういう別の説明の仕方をするか?の違いだけで、全部同じ事を言ってる。
その説明を聞いて理解できないなら、申し訳ないが「主観と客観の違い」って考えがわかってないし、その根本的な解釈が始まってもいないw
疑うという目線そのものがないし、たぶん「我思う故に我あり」が他者に与える影響と意味も理解出来ないよ。
まぁ、理解できてたら主観と客観の違いは、オレに説明される前から、とっくに理解できてると思う。
こんだけ説明されても理解できてないから、もう無理だと思うw

>抽象的な単語(ワラント)を、自分で考えもせずに出典で判断し、「この場合、これだとおかしい」ということに気付かなかったりしたままじゃいけませんよね。
ここらへんも、ちょっちね〜意味がわかってないね〜
賢二は「ワラントは抽象的な言葉ではなく、ちゃんとした意味がある。だからこそワラントを抽象的な解釈をしている天才tinkoはおかしい」ってブチギレてるのね。
なので「抽象的な単語(ワラント)を」っていうのは、ありえないです。
「自分で考えもせずに出典で判断し」も、それは賢二が良しとする所で、
出典のある言葉を、自分の考えでねじ曲げるなってブチギレてるのが賢二なのね。
じゃあ「自分で考えもせずに出典で判断した」としたら、それは「もとの意味に正しい言葉の使い方をしている」って意味になるんだよw
文章が下手くそなのか、意味が理解できてないのかわからないけど、たぶん見た感じ、文章が下手くそなのと意味が理解できてないのと両方だと思うw

ちなみに「リストラ」は「自称に付けられた名称」であって「概念」ではありません。
まず、ここからも概念が理解できていない事がわかる。
主観と客観の説明で、概念の説明もしたはずだけど、概念ってのは「物事の特徴を抽出したもの」だから
そういう意味でいえば「リストラ」の外延が「クビ」って事になるけど、たぶん、この説明をしてもわからないと思うw


>>65
>>62 概念は、クオリアが「本当の意味での共有はできない」、と今のところ証明している。
概念とクオリアは根本的にまったくの別物だから、それがちゃんと理解できてたら
言い間違いにしても、この言葉の使い方はありえない。
つまり海ちゃんは主観も概念もクオリアも似た様な解釈しかしていなくて、それは
「自分が感じていて、それを他者との関係に関係なく断定していいもの」程度にしか理解できてない。
「断定していいかどうか」は単純に個人的な思考であって、概念でも主観でもクオリアでもないからね。

78天才tinko:2011/08/17(水) 00:32:49
*事象に付けられた名称

79:2011/08/17(水) 00:35:38
飲茶さんの言葉を借りて「主観的体験が伴う質感」やら、●←この色、で説明は事足りるような気がするの
ちゃんと理解ってのがどこまでの範囲か知んないけど、こういう認識を持つだけで、十分理解できてると言えるんじゃないかな

80:2011/08/17(水) 00:41:32
え?最初、賢二くんはわたしに間違ってると言ってきたはずだけど
その後アナタに対象変更されてた気がするの

81天才tinko:2011/08/17(水) 00:42:41
>>68
英語はよくわかんないんだけど、最近海外のニコ生みてて思ったんだ。
英語って言葉がすごい少ないの。
いや、正しく言うと、日本語みたいに「同じ意味合いの言葉を別の言い方にする」っていう文化が英語には、あんまないんだ。
それは、たぶん、英語には敬語がないからなんだと思う。
つまり、敬うためだけに言い方を変えるって事を英語ではしないから、同じ言葉の言い換えがない。

じゃあ相手を敬いたい時、どう表現したらいいの?っていうと
「親愛なる友人」みたいな表現の仕方をするんだよ。でもこの意味合いの、解釈の仕方がわかると、すごくおもしろい。

つまり「本当は、あなたとは、あまり顔見知りでもないけれど、あなたに対して経緯を表して「友人」と扱います」という意味合いで「親愛なる友人」と表現するんだ。
これは「親しい友達」を「友人」と定義するなら、それこそ間違った使い方なはずでしょ?
でも、当然英語では間違ってない。

それは、確信犯という言葉の使い方が、「厳密な定義」ではなく「使う状況」にあわせて意味合いが変わってきたのと同じで、
人は言葉で「概念を表す」ことを主体としてるから、「友人」という定義が大事なのではなく、
相手を友人と見立てることで意味を伝える。という手法を取るんだ。これが本質的な言語のあり方だよ。

ちなみに、
>英語ではよくある事で、
はパクってきた文章ではありませんw オレのニコ生をみてて感じたオレの持論ですw

82天才tinko:2011/08/17(水) 00:51:28
>>68
「悪いことでないと確信してなされる」=「間違いに気づかない」だよ
オマエ、確信犯の意味を辞書で調べて、そのまま引用し、そかもその引用文とオレの説明が「一言一句同じじゃない」から噛み付いてるけど、それ意味ないよ・・・

確信的は、間違いをわざと行動する時、間違いを知っていながら行動する、その「知っている」部分が
「固い信念を持った様子」と似た様な様子だから、なにかを分かっていながら、わざと違うことをすると「確信的」(固い信念がある”みたい”)とう表現になる。と考えればスムーズに理解できるでしょ?
「確信」ではなく「確信的」と表現したのは、そのためだよ バーカ

>「〜なんだ。〜してみよう。ぼくたちは〜なんだ。」といった講義口調
これ、なんでだろうね?
オタキングも物事を丁寧に説明してるとき、こういう口調になるんだ・・・。でもオタキングの影響ではない。オタキング見る前から、丁寧な時はこんな説明の仕方をしてた。
たぶん、「ぼくら」は「この目線」や「人の主観とは構造的にこうなっている」っていう意味合いで、
そういうのを、柔らかい言葉に帰ると「ぼくらは」みたいな表現がベターになっちゃってるんだと思う。そのほうが説明文にした時わかりやすいんじゃないかな。

83天才tinko:2011/08/17(水) 01:00:27
>>69
データ・クレーム・ワラントも内包・外延も、元々感じていてわかってた。
ひきこもって、これらと同じ概念の考え方をもって、いろいろ考えてた。
それがある時、本とかテレビみて「え?!この考え方に名前ついてるの?!?!!」ってなるわけw
名前がわかったら、説明に便利じゃん!


なにより、オレは物事をある程度説明するとき、ある程度の定義は気にしてる。もちろん誤差を許容した上で。
そういう時は、煽るか、煽らないか、ちゃんと判断してるんだが、そこらへんオマエは理解できてないよね。
オマエの「わからなさ」という感情に起因する「今ここで煽ってやろう!天才tinkoがやってたように!」っていう、
オレをモデルとした口調をオレにぶつける、っていう、その態度もどうかと思ってます。
「煽ってるか煽ってないか、状況判断もできないのか」って突っ込もうと思ったけど
そもそも「天才tinkoのように!」っていう、オレをモデルとした態度をオレにぶつけることにためらわない様子が、すごいよね・・・
オレも昔、違う人をモデルに態度を真似ていた時がある(し、今でもそれをモデルとして使ってる)けど、
だからこそ、そのモデルとなってる人に同じ態度をぶつけようとは思わないよ・・・(しかもところ構わず自分が”わからない”時に・・・)
せめて、喧嘩のスレでその”自称煽り”を披露すれば?
たぶん通用しないけどねw 切れ味ないし、パターンが少ないし、全ては「言い分がおかしい」ってだけの一点に帰結しちゃってるから・・・

84天才tinko:2011/08/17(水) 01:08:06
>>80
よくわかんないけど、海ちゃんは途中から前に言ってた内容と変わってるよ。

「言葉の定義をハッキリさせろ」って話なはずなのに
>抽象的な単語(ワラント)を、自分で考えもせずに出典で判断し、「この場合、これだとおかしい」ということに気付かなかったりしたままじゃいけませんよね。
これじゃ「自分で考えもせずに」って言ってるから「自分で考えろ」って事じゃん。
でも「言葉の定義をはっきりさせる」って事は、自分で考えずに、辞書なで意味を保証しろって意味合いだから
言ってることが食い違う。
定義をはっきりさせるって事は「自分で考えもせずに出典で判断する」って事だよ

85天才tinko:2011/08/17(水) 01:09:49
>>79
「主観的体験が伴う質感」はいい説明だね・・・
「●←この色」を使った説明もしってるけど、海ちゃんはそれを理解できてないよ。

論理的にいうならば「主観的体験が伴う質感」とは、どういう事かが説明できる?
オレが明した「

86天才tinko:2011/08/17(水) 01:10:39
>>79
「主観的体験が伴う質感」はいい説明だね・・・
「●←この色」を使った説明もしってるけど、海ちゃんはそれを理解できてないよ。

論理的にいうならば「主観的体験が伴う質感」とは、どういう事かが説明できる?
「質感の元になってるコレ」と「主観的体験が伴う質感」が同じ意味だと理解できたら、アッパレだよ。

途中で発言しちゃった・・・・

87:2011/08/17(水) 01:14:34
いやいや、リストラは概念だよ……
リストラって、本来は事業の再構築を意味しているけれど、日本では企業の縮小に重点を置いている場合がほとんどで、本来の意味からはかけ離れてしまってるの。

88天才tinko:2011/08/17(水) 01:20:49
>>87
>本来は事業の再構築を意味しているけれど
へー 知らなかった
じゃあ概念かも。詳しくわからないけど。
それが「再構築」という特徴を有するもの、全てを「これはリストラだ」と言い換えて問題ないのなら、概念だ。

89:2011/08/17(水) 01:23:35
説明することができないもの、で伝わるのかな
言葉の定義が同じであったなら、誰がどう受け取ろうが会話は成立するから表面化することが無いもの、なら伝わるかな

90天才tinko:2011/08/17(水) 01:27:33
>>89
うーん・・そこがね、クオリアが難しいゆえんなんだ・・・
というのものね・・w

>言葉の定義が同じであったなら、誰がどう受け取ろうが会話は成立するから表面化することが無いもの
なのか
「言葉の定義が同じであったなら、誰がどう受け取ろうが会話は成立するから表面化することが無いコレ」
なのかで、意味がだいぶ違うんだw

「もの」っていう表現だと2通りあって
「表面化することがないコレ」という意味での「もの」と
「表面化することがない考え方」という意味での「もの」 (そういうもの、とかの”もの”)がある。

91:2011/08/17(水) 01:27:51
そうだよ、問題ないよ
っていうか、伝わってなかったんだね
まぁ>>37>>39で言いたいこと言い終わったからもういいんだけど

92:2011/08/17(水) 01:30:47
まあ、ものっていうのは質感ってことなんだよね
痛みとか恐怖とか色とか味とか音とかダルさとか嬉しさ悲しさなどの、人々が感じる全ての質感について言えること

93天才tinko:2011/08/17(水) 01:33:56
>>92
うーん・・・だから難しい・・・w
たしかに質感でもいいんだけど・・実際は質感の事じゃないんだ。
とりあえず「質感って何か」説明できる?

94:2011/08/17(水) 01:38:57
この質感って、クオリアって解釈でいーよ
アナタが感じたもの全て。その全ては現代科学では再現することも解明することもできないの。
って答えるかもね クオリアについて考えたことなんてなかったな

95:2011/08/17(水) 01:41:37
現代科学では じゃなくて 現代科学的なやり方では の方がいいね

96天才tinko:2011/08/17(水) 01:42:11
>>94
じゃあダメだ・・・w
厳密に言うとクオリアは質感の事じゃないから

なんでこんなクオリアに詳しいかっていうと
高校生ぐらいの時に、クオリアの事をまったく知らない状態で、自力でクオリアと同じ事を考えてたからw

97:2011/08/17(水) 01:43:21

いや、クオリアについて語られた覚えは無いような……
ど、どうぞ

98天才tinko:2011/08/17(水) 01:45:54
>>97
どうぞって? オレが説明するって事?w
説明は考えるんだけど、どうしても>>76に書いた「質感の元になってるコレ」としかいいようがないんだよな・・・

そもそも、質感だなにか?がわかって、
その質感の元になってるコレ がわからないと、その「コレ」がクオリアなんだよって説明できないw

99:2011/08/17(水) 01:47:20
詳しいって言ってたからそれなりの答えを持ってるのかと思ったのね

100天才tinko:2011/08/17(水) 01:47:58
>言葉の定義が同じであったなら、誰がどう受け取ろうが会話は成立するから表面化することが無いもの
を、あえてわかりやすくして「説明できないもの」とする
それが「説明できない質感」と同じであり、「説明できないクオリア」と同じだ。という説明は、なりたたない。

101:2011/08/17(水) 01:50:01
まぁ、質感と言うよりは現象に近いんだろうね

102:2011/08/17(水) 01:51:08
調べたら、前提として1)クオリアとは、意識の上に浮かぶ鮮やかな質感のことであり、ひとつの『現象』と定義する。
だってさ。

103天才tinko:2011/08/17(水) 01:55:02
>>99
だから、答えはもう書いてあるよ!!w

質感は、他者との関係性に影響があるもので、主観の中で概念とも関連をもち相関的に運用される認識作用の一端なので質感はクオリアとは同一ではない。
クオリアは認識過程の根本をたどった時に、他者との関係性に影響をもたらさず現れる、独立的な認知の認知作用そのものを表すもの。
って説明しても、わからないでしょ!w

104天才tinko:2011/08/17(水) 01:55:57
わからないでしょ!って言ってるけど、この説明書くのに普通にちょっと手こずったよw

105天才tinko:2011/08/17(水) 01:59:43
>>102
そうだな、定義としては現象のが適切だ。
なぜだか、わかるかい?
それは、質感は主観的なのにたいして、現象は客観的だからだよ。
でも、この客観はちょっと特別で”他人に受け取られた時に食い違わないもの”という意味ではない。
もうちょっと高度なレベルの「我思う故に我あり」に由来する、認知の順番からなりたつ客観なんだけど 難しいよね・・

106:2011/08/17(水) 02:01:26
書いてあったの?長い奴はほとんど流し読みだったからねー

あぁ、うん分かってるよ。「質感」と「クオリア」は一致しないってずっと言ってたもんね。
テキトーに書きすぎてごめんね。ちゃんとそこらへんは分かってるよ。
あと、定義の説明としてはこれも中々よかったの。
1.クオリアの定義
クオリアは生物が感覚刺激から事物を知覚しそれを分類、識別する範疇化の結果生まれる脳内表象で、その事物の特徴的な属性を指している場合が多い。
ただしクオリアを一般の脳内表象と区別して神経科学で探求されるべき独立 した実体と見なす一般に広く見受けられる立場は誤りである。

107天才tinko:2011/08/17(水) 02:03:01
あるいは・・もっというと、人間が感じているクオリアが別々だとしても
クオリアという現象は同一なので、その仕組みが理解されると
”他人に受け取られた時も食い違わない現象”という意味で客観である、という説明はできるけど
この説明の仕方をすると、よけいに難しくなるから
ちょっと高度なレベルの特別な客観って考えたほうがいいw

108:2011/08/17(水) 02:04:54
うーん、ホントに興味を持ったらログ漁ったりしに行くから今はいいやテキトーで

109天才tinko:2011/08/17(水) 02:09:09
>>106
ギリギリだなぁ・・・w
「質感を感じる元となっている脳内現象」って説明もできるけど、正しくない
なぜなら、あるいはこれが”脳内現象かどうか?”もわかってないから。
わかってないからこそ、とりあえず「人間の全ては脳で認識している」という原則にしたがって
「脳がそう認識しているのだから、脳内現象であるはずだ」という意味合いでの「脳内現象」でしかないんだよ

本当のクオリアは、その脳内現象で感じられる”コレ”という事そのものを指してるから・・・
もし、この”コレ”が脳内現象によって作られてるなら脳内現象だけど
その”コレ”は客観的物理世界に由来する外的影響による反応だとしたら、脳内現象っちゃあ、一応はいえるけど、クオリアという意味合いでは適切じゃないと思う
この場合は、客観的物理世界に由来する外的影響による”反応そのもの”がクオリアとしたほうがいい
いやーだからつまり、脳内現象は脳内現象であってるけど、主観的意味合いの”コレ”なのか、客観的意味合いの”コレ”なのかで、意味は結構違うんだけど
わかる?w

余談だけど、脳科学者の茂木さんは、このクオリアの正体をつかもうとしてるらしい・・・ウソかホントかしらないけどw

110:2011/08/17(水) 02:15:35
本当のクオリアって見つかってすらないんだから、前提を敷くしかないんじゃないの
脳(物質)に物理的な作用を与えるか与えないかで、結構違ってくると思うけど

茂木って苗字の人はよく見かけるけどその人は知らないの

111天才tinko:2011/08/17(水) 02:20:29
>>110
茂木さんは前にテレビとかにでてた、頭がもじゃもじゃで、NHKの番組やってたけど、税金未納でちょっと騒がれた脳科学者だよw

>本当のクオリアって見つかってすらないんだから、前提を敷くしかないんじゃないの
この意味では正しい。その通り!
それでも「クオリアが適切に理解できてるかどうか」ってのは、それが分かるように説明できる事がスゴク難しいんだ。
殆どの人はクオリアの事を「見えてるものが違うけど証明できないコレ」という意味合いにとどまって考えてるけど、これは間違ってるんだ。
「見えているものが違うけど証明できないコレ」は単純に”主観”という意味でしかない。
主観的体感の伴なう、見えているけど証明できないコレ(質感)がクオリアだから、この主観とクオリアの違いを理解できてる人が、すごい少ない
ここが難しい、たぶん海ちゃんも理解できてるかどうか、わからんw 説明はいい線いってたけど、こう・・「違いの説明」に欠ける

112:2011/08/17(水) 02:28:37
うん。解明されてないのに「説明してよ」って言われてビックリしたの。
理解はしてると思うんだけどね。
いくら「俺はコレを感じているんだ」と言っても分かってもらえない質感のことじゃん。

113:2011/08/17(水) 02:35:24
ボクの頭に電極が刺されていて、ボクが赤いものを見たとする。すかさず、脳科学者は「あ、今、キミの脳内で、これこれこういう化学反応が起きているよ」と説明するかもしれないが、それは決して、「まさに今ボクが感じているこの色」の起源、仕組みを説明したことにはならない。

で、この「まさに今ボクが感じているこの色」こそがクオリアってことでしょ。

114天才tinko:2011/08/17(水) 02:36:17
>>112
ううーーーん 大まかに言えばそれでいいんだ
そっから主観的な部分を切り離して、客観的に「オレにしかわからない質感」という意味を切り出せたら、ほんとうの意味が分かってる。
ここの主観と切り離す作業が、やる事自体はそんな難しくないんだけど、説明がやたらしにくい
まず主観をわかって、そっから主観とクオリアが別である事を説明するから・・
人の認知のあり方を論理的に論じて、そっから初期段階にクオリアがある事を説明するか・・・とか どっちも難解


こういう話してると福田先生を思いだす。
もう、こういう話、普通の人に通用するレベルにいないのかもしれない、オレ・・・

115天才tinko:2011/08/17(水) 02:43:48
>>113
大きい意味でなら正しいんだけど、微妙w
例えば頭にささってる電極をから逆に信号を与える事で、脳内に「赤色」を再現できるとする。
そして、その再現された「赤色」の「実際に感じているコレ」がクオリアなわけ。
で、仮にクオリアが解明できたとして、クオリアの信号を脳内に送る。
すると、今まで赤色に見えてみたものが全部青色と入れ替わったとする。
すると「あれ?!見えてる色がかわった!」ってなる
そんで、もう一度脳内に「赤色」を再現する信号を送る
それで同じ赤色が再現されてるのに、見えている色は別のものになっている。これがクオリア

116天才tinko:2011/08/17(水) 02:47:17
「赤色という現象」そのものと「クオリア」に関連性はなくて
「赤色という現象を再現する」事は、万人に共通だけど、実際に見えている色が違う事がクオリアなの。

これは「人がそれぞれ、赤色という現象を青色と定義している」という話ではなくて
「実際に赤色という現象を赤色と定義している」にも関わらず、見えているだけが「別の色」になるわけ
この「見えている色がクオリア
だから「別の色を、定義がなりたつように解釈してしまっている」のではなくて
「同じ色を別の色に見えている」かもしれない、あるいは同一かもしれない。この「見えている色」の事

117:2011/08/17(水) 02:48:07
音声として「言葉」を聞いたときの「音」のクオリア、 文字として「言葉」を見たときの「色」のクオリア、 として、意識はクオリア化して「言葉」を認識します。

思考過程においても、 頭の中で、声として「言葉」がイメージされたり、 文字として「言葉」がイメージされたりすると思います。
そのイメージされたものが、 「音」のクオリアであったり、「色」のクオリアであったりします。

118:2011/08/17(水) 02:49:14
逆転クオリアってやつだね、それ

119:2011/08/17(水) 02:49:50
>>115のことねー

120天才tinko:2011/08/17(水) 02:53:01
>>117
ごめん・・たぶん、やっぱわかってないわ・・
クオリア化はないw
あるかもしれないけど、仮定の話?
例えがよくわかんないw 言葉がクオリアとして認識される?

121:2011/08/17(水) 02:55:16
>>117はコピペだよ。「「言葉」自体というよりは、 」が最初にあるね。
質問内容は「クオリアの中には、「言葉」みたいに思考という過程を経由したものもあるんでしょうか?」

122天才tinko:2011/08/17(水) 03:03:37
>>121
じゃあその説明は間違ってる
言語を「音のクオリアで認識している」ってのは、正しいし
文字を「色のクオリアで認識している」っていうのも正しいと思う

グレーなのは、中盤の説明で
「受け取ったもの(クオリア)を言葉化する」ならわかるけど
「クオリア化したものを言葉として理解する」というのは
物理という客観から影響を受けた物を、人間は主観のクオリアに変換している、という仮定のものなら意味がなりたつけど
たぶん、本来のクオリアは「客観としてのクオリアがそこにあり、人はそれに頼って主観的解釈をするしかない」というものだと思う。
ここが、ちょっとグレー

で、間違ってる部分は
「イメージしたものはクオリアではない」という事は決定的に間違ってる。
赤色をイメージしても、それはクオリアではない。赤色を見ている時に感じるコレがクオリアなのであって
赤色をイメージしている時は「赤色の概念」でしかない
だから、その回答者は、オレが何度もいってる主観とクオリアの違いがわかってない。
概念とクオリアさえごっちゃになってる

123天才tinko:2011/08/17(水) 03:04:39
言葉が変だから訂正する

「イメージしたものはクオリアではない」が正しい。
だから「イメージしたものがクオリアになる」という事は間違ってる。

124天才tinko:2011/08/17(水) 03:07:36
こんなふうに、クオリアを「証明できない色の概念」とか「証明できない色の質感」でしか理解してない人が多いけど(まぁ、それでもいいけど)
本当に深い部分は、「証明できない今感じるコレ」にあるの

それは概念でもないし質感でもない”コレ”なわけ。 その”コレ”をクオリアと言うわけ。
変な言い方をすれば、クオリアは証明のできない客観なわけ。

125天才tinko:2011/08/17(水) 03:12:35
だから、これを読み解くには、まず「きみは主観って何だと思う?」っていう説明をキチっとさせないといけない
けど主観の説明も概念の説明も、ちゃんと出来る人は殆どいない。

せいぜい「自分が感じていて証明できないもの」ぐらいの認識でしかない。概念も主観も。
主観っていうのは、概念が関係してて、いわば、主観は概念の相関関係を定め解釈する目線(あるいは働き) みたいな感じ
まず、この言い回しが理解できないと、到底クオリアは深い意味で説明できない。
主観も概念も理解するには、主体的認識作用のありかた、そのものを理解しないといけない

126:2011/08/17(水) 03:13:16
現象学的還元(現象に立ち返る行為)がなされ、「私にはこう見えたよ」と主観的にされたもののうち、そこに表れている個々の感覚(どう見えたか)のことをクオリアという。

これでしょー?アナタの言いたいことって。
自分に感じられる主観的な感覚全部がクオリアの対象。

127:2011/08/17(水) 03:17:30
自転車に乗っている様子を描いてくださいと言われて、
自分が自転車に乗っている姿を描いた様子が客観で、
自分が自転車に乗っているときに見る風景などを描いた様子が主観、でいいじゃん。

128天才tinko:2011/08/17(水) 03:18:25
>>126
そうそう!!

「我思う故に我あり」みたいな事を現象学的還元っていうのか。
つまり、これは、全ての認識の出発が認知であるから、その認知(見えたこと)がスタートであるはず、という事だよね。
だから、他者としての物理が存在していて、そこから影響を受けたと考えるかどうか?はさておき
まずは、今起こっている現象に立ち返った時に、まず一番最初に「客観」として働く作用のことだよ。

129天才tinko:2011/08/17(水) 03:20:15
>>127
全然違うw 自分が思い描いてる時点で、両方主観
それは他順に「一人称視点で見てるか、三人称視点で見てるか」の違い
FPSとTPSの違いだな・・

130:2011/08/17(水) 03:21:25
いや、クオリア自体は分かってるけど何がしたいのかサッパリだったのね。
それで、「精一杯説明してくれてるのかなー?」と思って、少し応えてみただけ。

131天才tinko:2011/08/17(水) 03:22:19
>>130
たぶん、主観をわかってない時点でクオリアをわかってないw
分かってると思ってるだけw

132:2011/08/17(水) 03:22:37
>>127が言いたいのは「立って見る事が出来ない状態を描いているから」客観視点、ってこと。

133:2011/08/17(水) 03:23:17
http://blog.goo.ne.jp/yappy0625/e/8c22b9b2e54e057b02fb24ed84b93ddc/?cid=aabfb2313f0e5430a906e59a0c43569a&st=0
このサイトに全部書かれてあるの

134天才tinko:2011/08/17(水) 03:27:14
一応説明しておくが
FPSとTPSはゲームの種類の名称です・・
ファーストパーソン・シューティングとサードパーソン・シューティングの略称
FPSが戦争ゲームとかである自分目線の打ち合い画面で
TPSがモンハンとかPSOとかの、誰かをカメラで撮影してるような目線の画面

>>133
この説明間違ってる
▲のクオリアなんて、ありえない。 クオリアは根源的な認知作用における感じられるコレの事を示すもので
色や手触り、いわゆる五感に値するもの。▲というものの認識は概念によってなされるもの。「三角」というものを感知するためだけの五感がある?
これは典型的に概念とクオリアの違いがわかってないケース

135:2011/08/17(水) 03:30:02
そこじゃなくて、最後辺りの>>126だけ答えさらっちゃっておけばいいんじゃないかな

136:2011/08/17(水) 03:33:18
>>126でウンウン頷いてたじゃん。というわけで、アレってことでいい。
他のは余計にしゃべってしまってゴチャゴチャになってしまった〜ってことで。

137:2011/08/17(水) 03:35:10
なお、特に視覚に注目して定義を伝えましたが、実際には私に感じられる主観的な感覚全部がクオリアの対象になります。
例えば、りんごを触ったときのツルツルした手触り、コーヒーを飲んだときの香り、暖かさ、味、音楽を聴いたときのメロディ、、、そういったもの全て、私が感じたその「感覚」自体をクオリアといいます。

この人もこう言ってることだし、細かいところは気にしない〜
脳内保管って大切だと思うの

138:2011/08/17(水) 03:38:04
今チラッと見て思ったけど、PSO知ってるんだねー
ぼくは3時間程度で飽きちゃったけどねー

139天才tinko:2011/08/17(水) 03:39:25
>>135
現象学的なナントカのあたりは、オレが言ってる「主観と客観の違いがわからなきゃクオリアは理解できない」って言ってることと同じでしょ

今、クオリアに関係してくる、少なくとも哲学的な客観は、「どう見えているか」ってうのは、関係ない。
「どう見えているか」は全て主観で、「どういう目線か?」を疑問にして、はじめて主観から切り離すことで客観を定義できる
つまり、現象に立ち返った時の客観とはクオリアの事になる。(主観を構成する認知作用の根源という意味合いにおいて)
つまりクオリアは誰の目線か? クオリアとは誰のものか?を問わないといけない。(現象的には今は自分の中で起こってることとしか説明できないけど)
ただ、自分が主観の中で概念の相関関係をを定めて自我を形成していくなかで「こう見えるはずだ」という客観をつくる。この客観のデータ元は、すべてクオリアであるわけ。(そもそも主観の全てのデータ元がクオリアであるわけ。)

でも、少なからず▲のクオリアとか言っちゃう時点で間違ってるよ
この人は現象学的にいっても「クオリアは主観である」と思ってて、だから(決めつけていいものである)って認識になっちゃってる
クオリアが外的要素と関係性があるかどうかはわからないが、すくなくとも現象学的にいっても外的要素を捉えるセンサーの意味がクオリアだから
主観と客観を定義するとしたら、クオリアを内的な客観とするしかない
現象学がどういうものか知らないけど、現象学には主観しか存在しないって事は無いと思うけど、わからないw

140:2011/08/17(水) 03:43:40
>>139
そっかなー とりあえず取っつきやすいようにああ言ったんじゃないかなって思ったよ

141:2011/08/17(水) 03:51:08
「なんで空はあんな色をしているのかしら」
「空色のクオリアを感じているからだよ」

142天才tinko:2011/08/17(水) 03:53:13
>>136
やっぱり、理解できてないよ海ちゃんは
理解できたら、こうやって説明できる>>139

>>137は正しい。ようするにクオリアは五感によって感じる”この感じ”の事を主観から切り離して考えたものだから。
この主観から切り離すってのがすごく大事で、それは「五感を自我の範疇としない」という事だよ。
それは、「五感が自我に影響をうけない」という事。
実際はプラシーボ効果とかで五感は自我や概念の影響をうけるんだけどw
それは、五感というセンサーそのものは、情報世界の臨場感が高まらない限り、物理世界の臨場感にのっとって概念の影響を受けない。と説明すればいいと思う。

だから、なんで五感を主観から切り離すのが大事かっていうと
五感が主観だとしたら、クオリアが主観だとしたら、この”見えてる感じ”が主観であり
「他者に受け取られた時食い違いがあってもいいもの」となるので、今ある世界と矛盾がおきる。
つまり、それは「他者に受け取られた時に食い違いがあってもいいクオリアと概念によって、食い違いなく動いてるこの世と概念」という事になる。
概念が主観であり、クオリアも主観なら、概念が共通性をもち他者と一致する時点で「クオリアは一致する」という単純な結論になる。

でも、そうじゃなくて、概念が主観って事は、概念は自我の中に相関関係を構築させるって意味。
となるとクオリアも自我の中で相関関係を構築されているのか?って事になる。
でも、それだとやっぱりおかしい。つまり「始まりの何かがあり、そこから相関関係が構築される」ものだから。
この出発点が「現象」であり「我思う故に我あり」であるわけ。

だからクオリアを客観としないと、逆転クオリアという想定はなりたたない。
逆転概念はありえないってのはわかるでしょ?それは主観に依存するから。 でも逆転クオリアはありえる。それは自我から切り離された存在性が確認できるからなんだよ。

もうやめるか、ちょっと深入りして、かなり難しい領域に入り込んでる
この掲示板にこれを理解できる人はいない

143天才tinko:2011/08/17(水) 03:55:37
>>138
PSOおもしろいよ!!!!!
もったいない・・・友達とプレイしたら楽しいのに!!!!
オレ、レンジャー使ってたよ

144:2011/08/17(水) 10:07:14
理解は出来ても説明は出来ない人々はたくさん居るよ。
そして、実際に説明は出来ていてもそれが伝わらなかったら「説明出来てない」とする人々もたくさん居るの。
だから表現方法は多種多様なのね。

クオリアってのは「主観的体感を伴う質感(>>137)」のことで、クオリア自体は主観的なものだけど、クオリアを捉えるときは客観的でなければならない。でいい?
そして「クオリアを感じさせている何かがあって〜」って説明で伝わるかな。

145:2011/08/17(水) 10:10:40
そして「クオリアを感じさせている何かがあって〜」は
>つまり「始まりの何かがあり〜」を少し言い換えたんだけど、これは合ってる?ってことね。

お友達はラピ子なのね。きゅぴきゅぴ。
焼き鳥にするととってもおいしいんだ。
PSPo2iではフォースしてたなー

146名無しでござる:2011/08/17(水) 12:38:01
>>81
>英語はよくわかんないんだけど

と言った端から英語の講釈を始める、頭が悪い。


>>82
>「悪いことでないと確信してなされる」=「間違いに気づかない」だよ(以下略)

理解できないらしい、やっぱり頭が悪い。


いや、頭が悪いというよりも、

>>83 >データ・クレーム・ワラントも内包・外延も、元々感じていてわかってた。
>>83 >オレをモデルとした口調をオレにぶつける、っていう、その態度もどうかと思ってます。
>>114 >もう、こういう話、普通の人に通用するレベルにいないのかもしれない、オレ・・・
>>142 >もうやめるか、ちょっと深入りして、かなり難しい領域に入り込んでる>この掲示板にこれを理解できる人はいない

あたりを読むと・・・、

以下wikipediaより引用。
―引用ココカラ―

妄想とは、非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと。
妄想を持った本人にはその考えが妄想であるとは認識しない(病識がない)場合が多い。
精神医学用語であり、根拠が薄弱であるにもかかわらず、確信が異常に強固であるということや、
経験、検証、説得によって訂正不能であるということ、内容が非現実的であるということが特徴とされている。

■分類
1.誇大妄想
 誇大妄想は、現実的な状況から逸脱し、自己を過剰評価したり、実際には存在しない地位・財産・能力があるように思い込んでいる状態である。
 躁病によく見られる。誇大妄想の原因として評価基準の甘さと自己と他者の評価のバランスの悪さがある。

2.被害妄想
 他人から悪意をもって害されていると信じる妄想。
 何らかの犯罪的な干渉を受けていると信じこみ、事業や就職などにおいて失敗しても、他者からの攻撃で失敗したと考えたり、
 「脳内に何らかの機器を埋め込まれ、意識や行動を操作されている」と考えたりする。被害妄想も参照のこと。

3.注察妄想
 「常に盗聴されている」とか「隠しカメラで監視されている」と思い込む妄想。

4.関係妄想
 周囲に起こっている現実を自らに結びつけて考える妄想。周囲の行動・言葉に過敏で自己に関係して捉えるが
 それに動じることも多く妄想まで発展し現実離れしていく。

5.盗害妄想
 自分の物を盗まれたと思い込む。認知症によく見られる。

6.罪業妄想
 自分は非常に悪い存在だ、罰せられるべきだ、皆に迷惑をかけているなどと思いこむ妄想。うつ病によく見る。

7.心気妄想
 自分の身体の一部が病気にかかっていると思いこむ妄想。実際に病気に罹っていても、その症状が自分の思っているより非常に軽い場合も
 この種類に分類される。うつ病によく見られる。

8.貧困妄想
 現実にはそうでないにも関わらず、自分は非常に貧しい、借金を抱えてしまったなどと信じる妄想。うつ病によく見られる。

9.宗教妄想
 誇大妄想の延長上、またはひとつの症状として考えられる。
 統合失調症のひとつの症状としても考えられているが、自分自身に何か超次元的で特別なパワーがあると信じたり、
 霊界のような所から特別な預言や啓示を受けた、またはあらゆる病気を癒す力を授けられたなど、
 内容が極めて非日常的で壮大なものであり、訂正不能な強固な確信があることが特徴である。(略)

10.その他
 不死妄想、Capgras妄想、被毒妄想、恋愛妄想、血統妄想など(詳しくは統合失調症参照)。

―引用ココマデ―

上記のうち、誇大妄想と関係妄想が認められる。
滅裂思考、言語新作などの思考障害も観察されるが、これらは躁病や統合失調症などに多くみられる症状・障害である。
軽度の躁欝病ならばまだしも、仮に統合失調症だとすれば、悪化することこそあれ自然寛解はあり得ない。
速やかに専門医に受診、相談し、適切な薬物療法などを行うべきだろう。

参考url:http://www.nurs.or.jp/~taiga/psychiatry/schizophrenia.htm

147:2011/08/18(木) 02:31:25
1から全部読んできた。40ぐらいからはちゃんと読んでなさすぎて会話になってなかったね。
で、それはいいとして144と145は無しね。全然違ったの。

熟したトマトの表面を見ることに伴うクオリアとは、視覚によって直接アクセスできる特有の質、つまりその赤さであり、
コーヒーを味わうことに伴うクオリアとは、嗅覚と味覚によって直接アクセスできる特有の質、つまりその味や香りである。
クオリアは徹底して主観的、一人称的である。つまり、客観的な現象としては自分の脳の中にも見出せない。
主観がある程度集まったとき、その共同体の内部でそれは「客観」と呼ばれるようになるが、それもあくまでも原理的には主観である。
従って、クオリアは現在のところ証明不可能である。何故なら、あなたが私にならない限り原理的に確かめようがないからだ。

これでいい?

148天才tinko:2011/08/30(火) 20:27:34
大体いいよ!

>主観がある程度集まったとき、その共同体の内部でそれは「客観」と呼ばれるようになるが、それもあくまでも原理的には主観である。

ここが、ちょっと違う。
「我思う故に我あり」って考え方があって、それは今見えているこの世界の全ては私の主観だから本当に存在するかどうかわからない、って考える。
つまり「自分が見えているモノが、自分以外から見たら存在していないかもしれない」っていう意味だ。

こういう考えを突き詰めて行った時
「そもそも自分自身は本当に存在するのか?」っていう問題にぶつかる。

自分を証明できる「主観ではないもの」を証明できない限り、自分が本当に存在するかどうかを証明できない、っていう事になってしまう。
でも自分は他人になれないので、「自分以外から見た自分が存在するかどうかがわからない」
もちろん他人に「いまオレ存在してるかな?」と聞いた所で、オレが見ているその他人が本当に存在するかどうかがわからないので意味がない。

すると結論は「自分自身は存在しない」になってしまう。
だけどそれじゃあ矛盾だ。
だって「この世は全て”私”の主観だから証明できない」という事を根拠に、結論が「”私”は存在しない」だと、明らかにおかしいでしょ?
”私”が存在しないのながら、じゃあ主観はどこからやってきたの?
そう考えた時、「自分自身は本当に存在するのか?」と「疑っている何者か」は絶対に存在するわけだ。

つまり客観とは、主観(人)が多数集まり、その多数の仲で共通して「これを客観としよう」と決めたものではなくて、
客観とは「主観(自分の信じている現実)から切り離せるもの」が客観なわけ。それは他人との合意以外にも「主観から切り離す」という作業を行うことができる。
その1つが「我思う故に我あり」なわけ。

「主観は証明にならない」だから「主観は存在しない」とすると、「主観を疑う何者か」の存在が説明できない。
主観が証明できない、ゆえに主観を見ている”私”は存在しないのだとしたら、そもそも主観を疑う何者かなどは存在するはずがないからだ。
つまり、これらの考えは「主観を疑う何者か」という存在を「主観(自分の信じている現実)から切り離すことができる」という事であり、これこそが「自分自身」の存在を証明できる、自分の中にある主観から切り離すことのできる”目線”であり、これこそが自分自身の始まりだ。と考えるわけやね〜〜

この本当の”目線の違い”を意味する所の「主観と客観の違い」を理解できてる人は、実は少ない。
根拠なく簡単な事だと思われてるけど、簡単に理解できるものじゃないんだよ。

最近は、この違いが理解できていない事の連鎖に思えるような出来事が多い。
例えば、物事を主観から切り離した評価軸で語ることが出来ない人がとても多い事だったり、
自分が何について話そうとしているのかを、自分以外の目線に伝えるにはどうしたりいか?という事をそもそも考えられない、
自分が見えている世界をくり返し述べるだけという人も増えてる。こういうのはとても頭が悪い。

149天才tinko:2011/08/30(火) 20:33:33
>”私”が存在しないのながら、じゃあ主観はどこからやってきたの?
って考えたとき、この主観は「神がくれたものだ」って考える事もあったような気がする
んで、そのアンチ神の論理で主観の内在にある”目線”の存在を証明したのが、「我思う故に我あり」 みたいな流れだったような

150名無しでござる:2011/08/31(水) 16:44:28
実際にクオリアを感じているかどうかは説明ができない
なぜならば、クオリアを持ち出さなくても相手の行動がすべて説明することが可能だからだ
脳細胞の動きだけで、相手の行動がすべて説明できてしまう
脳細胞という神経が物理的な条件にしたがって、隣の脳細胞に延々と刺激を伝えている、という歯車的な機械しか見つからない
「その関係性が客観的に正しいかどうか、他人と共有して検証しようがない」という問題がどうしても付きまとってしまい、
つまるところ、科学の理論として、みんなが共有できる客観的なものにはならない
厳密に言えばクオリアを科学として取り扱うことはできないけれど、そんなことしてたら何も語れなくなってしまう
しかし、「他人の脳だって、同じ物理状態になったら、同じ現象が起きるはずだ」と考えるのは、とても妥当なこと
なぜならば、科学にはなんにしても譲れない前提はあるはずで、そういう暗黙の了解の上に構築されているから
だからこそ「クオリア」や「哲学的ゾンビ」が難問として人々を蹂躙している

151名無しでござる:2011/08/31(水) 16:47:21
修文

実際にクオリアを感じているかどうかは説明ができない
なぜならば、クオリアを持ち出さなくても相手の行動がすべて説明することが可能だからだ
脳細胞の動きだけで、相手の行動がすべて説明できてしまう
脳細胞という神経が物理的な条件にしたがって、隣の脳細胞に延々と刺激を伝えている、という歯車的な機械しか見つからない
「その関係性が客観的に正しいかどうか、他人と共有して検証しようがない」という問題がどうしても付きまとってしまい、
つまるところ、科学の理論として、みんなが共有できる客観的なものにはならない
厳密に言えばクオリアを科学として取り扱うことはできない
しかし、そんなことしてたら何も語れなくなってしまう
「他人の脳だって、同じ物理状態になったら、同じ現象が起きるはずだ」と考えるのは、とても妥当なこと
なぜならば、科学にはなんにしても譲れない前提はあるはずで、そういう暗黙の了解の上に構築されているから
だからこそ「クオリア」や「哲学的ゾンビ」が難問として人々を蹂躙している

152名無しでござる:2011/09/01(木) 11:34:02
言葉は全て概念だぞ
「それなら概念だね」なんて要らない

153:2011/09/02(金) 12:54:54
不適切な内容:主観がある程度集まったとき、その共同体の内部でそれは「客観」と呼ばれるようになるが、それもあくまでも原理的には主観である。


不適切な内容を変更したもの:主観とは、自己に内在するものである。それが外在化されるとき、必ず客体化を伴うので、主観を完全に伝達することは原理的に不可能である。

これならどう?

154天才tinko:2011/09/03(土) 02:17:17
いいよ!

155:2011/09/03(土) 04:19:47
やったね!

157名無し:2014/01/21(火) 16:05:23
結論:ただの長文大好き派達のオナニースレ。
>>11
>オレは基本的に言葉を本来のものより多く意味をもたせる事は絶対しないよ。
むしろ、書きこむ時は常に「どこまで言及したらいいかな・・」を考えてる。
できるだけ簡潔に言い表せるようにしてる。昔は意味を複雑な言い回しにし
たり付け足したりしてたけどね。喧嘩だっら今でもそういう事もするかな。


最初に発言してた趣旨から遠く離れたとこに飛んじゃったね〜ドンマイ♪

158名無しでござる:2014/01/24(金) 04:23:22
>>157
なんか言ったか雑魚


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