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七同志萌えを語るスレッド

1真衣:2008/07/06(日) 11:48:19
七同志やその他オリジナルキャラの魅力を存分語るスレッドです。
三国志の登場人物は含めませんのでご注意ください。
自分について語っても構いませんが、自己陶酔はやめましょう(笑)。

2呂砲 ◆I9WFnCXgeU:2008/07/07(月) 01:05:10
「萌え」とはまた違うのでしょうが、私が「羨ましい。こんな風になりたい」と思うのは、親衛隊長・曹表です。
ろくに働きもせず遊んでばかりいるのに、クビにならないから(笑

3真衣:2008/07/07(月) 18:08:10
すみません。スレを作っておきながら書き込む時間がありませんでした(汗)。
子供とか家事とか主婦は色々忙しいんです(いいわけ)。

>>2呂砲殿
私が言うのもなんですが、何でも良いのでどんどん書き込んじゃってください。

町費について
最初の方の人が良さそうに見えて、実は性格が悪い所が好きでした(笑)。
黄金に光るまんじゅうとか、腹黒い面もおいしいです☆
でも、本格的にいいなと思ったのは、「親善団、東へ」の回からです。
自分が生き残るために、他のみんなを犠牲にしなきゃいけない。
それでも自分が軍団長である責任を持って生き残る事を第一に考える。
そんな心の葛藤が好きです。
それから廖衛との友情。
町費は漢朝復興を目指していて、廖衛は漢朝を憎んでいる。
そんな二人が思想を超えて一時でも友情に結ばれる。
最後の別れのシーンがとても印象的でした。
ってこれじゃ萌えじゃなくて好きなシーンの羅列か……。
とにかくそんな町費が好きです。

4呂砲 ◆I9WFnCXgeU:2008/07/08(火) 22:28:13
>真衣殿
町費が第三軍から離脱する際の廖衛とのやり取りですが、実はあれは、伏線のつもりだったのです。
郭図公則の叛乱に際し、「町費殿はおそらく、郭図公則側、というか朝廷側に回り、呂砲と対峙するだろう」という読みがありました。
で、その後起こるであろう涼軍と洛陽軍の決戦の場で、町廖両将を戦わせてやろう、と。
その前段階として、二人を和解させていたなら、二人の対決も余計盛り上がるだろう、と。
で、見事町費殿にうっちゃられた、と(笑
町費殿が洛陽側に回ったなら、その配下の士超が廖影や温寧と戦うという「副官対決」がありえたのですが、こちらは廖影殿の、やはり予想外だった「洛陽寝返り」のおかげで、少し違った形ながら実現できそうです。

5成抗:2008/07/11(金) 21:58:56
萌えじゃないかもしれませんが、いきなりあの人は今…のコーナーを
立ち上げてみます。

劉仁姫殿
 軍備不足深刻のころに登場した、軍政官としての町費殿を支える秘書官。
 比較してはいけないかもしれませんが、いわずもがなの温寧殿や策謀に
 生きる翻武殿と比べてもかなりまともと言うか女性らしいというか、
 いわゆる常識人。
 最近は登場していませんが、どこにいるのか気になります。
 町費殿も士長殿を連れて逃げるので精一杯の中、町費殿と一緒に
 洛陽にいたのであればとっくに郭図公則殿の手のものに囚われて
 いるでしょうし(さすがに、今回の暴動には参加してないと思いますが)
 第一軍にもどっているのなら、希代之殿の手が伸びていそうですね。

7大月氏の馬商人:2009/09/11(金) 17:29:09
ちょっと陸遜ネタを。

陸、伯言。
言わずとしれた、涼第三軍の軍師である。
もっとも、涼第三軍は現在は解体されているが。

郭図公則の反逆とその後の混乱によって、軍の再編が行われたためだ。
陸伯言もまた、第三軍軍師の任を解かれ、許昌において兵站を担う役に付いている。

彼の諱は、遜、と言う。

へりくだる、という意味を持つその字を、子に名付ける親などいない。
本名ではないのだ。


彼は、呉郡の四姓と呼ばれる名族に生まれた。
幼い頃より利発で秀才として知られ、一族を率いる外祖父・陸康をして、
彼がある限り陸家の未来は日輪の如くなり、と言わしめたほどだ。

その陸康は、伯言が4歳のころ、廬江郡の太守に任じられた。
黄穰を首魁とする賊が、江夏蛮と手を組んで、反乱を起こしたため、
これの鎮圧には、荊州において公明さで知られた陸康が適任、と見なされたのであろう。

実際、彼は見事にこれを平定した。
この平定戦において、腹心を必要とした陸康は、自分の一族の主な者を呼び寄せた。
その中には、伯言の姿もあった。

中原が乱れるようになると、その影響は廬江にも及んだが、
陸康の統治はすばらしく、太守府のある舒は平和そのものであった。
あの日までは。

8大月氏の馬商人:2009/09/11(金) 17:29:43
「これまでのようだな。」
太守府に重い空気が流れる。
長期に渡る攻撃により、城門はその機能をほとんど失っていた。
目の前にいる使者は、その攻撃を行った者から使わされている。
「降伏しよう。左将軍にそう伝えてくれ。」
使者は頷くと、拱手して去っていた。

左将軍とは、廬江の隣、九江郡寿春にいる袁術のこと。
そして今去っていった使者の名は呂範。城外の軍を率いる男の腹心、である。

陸康はそばにいた校尉に一言告げると、自室に戻った。
やがて、一人の少年がやってきた。

「太守様。議でございます。」
数日前に加冠されたばかりの少年は、名を議、と言った。
「そうかしこまるな。ここは私室だ。」
陸康は相好を崩した。
「すまないな。お前には苦労をさせてばかりだ。」
「とんでもありません。外祖父上の苦労に比べれば。」
実際、董卓が国璽を握って以降、陸康の苦労は絶えることがなかった。
「本来なら、お前の晴れ姿を見るのは、まだまだ先の話だったのだがな。」
たしかに、この少年の面持ちは、加冠にはまだ早すぎる年齢のものだ。
「外祖父上。私は以前から言っていたではありませんか。
 私はもう子供ではない、大人として扱って欲しい、と。
 私自身、常に望んでいたことですよ。」
「たわけ。お前は背伸びをしすぎだ。身の程をわきまえよ。」
「わきまえるのは分、ですよ。身の程は知るものです。
 それに、今は身の丈を知る、のほうが良いのでは?」
陸康の拳が少年の頭上に振り下ろされた。
「いたた……もうすこし手加減をお願いします。」

9大月氏の馬商人:2009/09/11(金) 17:29:59
「大人をからかうな。揚げ足を取るな。何度も言わせるな。」
「私も大人になったのでしょう?……ごめんなさい。」
もう一度振りかざされた拳を見て、少年は謝ることにしたようだ。
「陸家の男で満足に動けるのは私ぐらいしか残っておりません。
 ……城を落ちよ、とおっしゃられるのでしょう?」
「お前は頭が良すぎるな。時には阿呆になることも必要だぞ。」
「お説教なら先ほどの拳で十分でございます。」
陸康はもう一度殴ってやろうかと考えたが、あきらめたように言った。
「……ふう。分かっているなら話は早い。績と瑁を連れて呉へ帰れ。」
「他の方々はどうされるのですか?」
「儂とともに袁術に降る。重傷を負った者もいるのだ。やむを得んだろう。」
「しかし、許されますか?」
「わからん。しかし、逃げれば殺される。ならば、降るしかあるまい。」

その夜、密かに三人の少年が舒の城から落ち延びた。
翌日、陸康は降伏した。


その後の陸家を襲った運命は、相当に過酷な物だった。
当主たる陸康は翌月に病没。
一族は離散し、餓死するものまで出る有様だった。

呉郡に落ち延びた陸議達も例外ではなく、
陸康の子である陸績と、その母は人質として袁術の元に連れて行かれた。

連れて行ったのは、孫策。
廬江を攻撃した軍の、総大将であった男である。

10大月氏の馬商人:2009/09/11(金) 17:30:28
やがて孫策は袁術から自立し、抗争を始める様になる。
陸議は陸績を人質に取られている関係上、袁術側について孫策と戦っていた。
陸績も袁術に気に入られて、厚遇されているという事情もある。

しかしそれも長くは続かなかった。
袁術が孫策に破れたのである。


袁術降伏の報が届いた翌日、孫策の使者はやってきた。
「降れ。さもなくば殺す、か。」
いにしえの項羽になぞらえられる男は、その気性もよく似ている様だ。
「降ろう。討逆将軍に伝えてくれ。」
陸議にとって屈辱ではあったが、やむを得ない。
一族の運命が掛かっているのだ。


それから数年の歳月が過ぎた。
少年のそれであった陸議の顔も、幾分大人びた印象を与える様になっていた。
孫策に降ったとはいえ、陸議は出仕する気は毛頭なく、隠遁生活を送っていた。
陸家の、自分の運命をねじ曲げた男である。
自分をあれだけ可愛がってくれた外祖父もあの男に殺されたも同然なのだ。
許せるはずがなかった。

「客?」
「はい、ちりめん問屋の呂と申される方がいらっしゃってます。」
聞いたことが無い名だ。
「身なりのしっかりした方ですし、このようなお土産まで渡されまして。」
かなり上質のちりめんだ。
「まあ、今日は特に予定も無いし。あってみるか。瑁、通してくれ。」

11大月氏の馬商人:2009/09/11(金) 17:31:03

(殿下と陸議の会談中)

「おお、では来てくれるのか?」
「いいでしょう。孫策と戦われるのでしたら、私の力を貸して差し上げます。」
「お前、もしかしてとんでもなく自信過剰?」
「いけませんか?」
「まあいいけど。他にも似た様な奴いるし。」

「そういえば名前聞いていなかった。なんていうんだっけ?」
陸議はズッコケそうになるのを抑えた。
「私は……」
そう言いかけたところで頭に浮かんだのは、孫策の顔と、陸家のことである。
このまま自分が呂砲の元に向かえば、あの孫策の事である。
陸家を皆殺しにしかねない。

名を変える必要がある。
そう、私は孫策を倒さねばならない。
いつか。どんなことがあっても。

今の私は、孫策にへりくだった男。
いつか奴を倒し、誇りを取り戻してみせる。
そうだ。

12大月氏の馬商人:2009/09/11(金) 17:31:23
「……遜。」
「ん?」
「陸遜。それが私の名です。覚えておいてくださいよ。」
「分かった。これからよろしく頼むぞ。」
「はい。殿下。」

奴の名を自らの名とすれば、永遠に忘れることはない。
奴を滅ぼしたら、そのときは。

13大月氏の馬商人:2009/09/11(金) 17:32:33

以上です。
速攻で書き上げたのでイマイチな点も多いですが、
ちょっと陸遜にスポットを当ててみたかったもので。

お目汚しすいません。

14呂砲 ◆I9WFnCXgeU:2009/09/12(土) 00:14:51
スピンオフ&外伝
http://www5.synapse.ne.jp/kabahiko/newpage1011.htm

そして、記念すべき第一作
「遜(へりくだ)りし者」by 大月氏の馬商人
http://www5.synapse.ne.jp/kabahiko/newpage1012.htm

>大月氏の馬商人殿
upしました。
何かと若さが前面に立ちがちな本編陸遜ですが、あれは「若さ」ゆえではなく、生来のものだったんですね(笑
「遜」が「へりくだる」と読めるとは、初めて知りました。
そして、孫策の姓「孫」と「遜」の繋がりには唸りました。
命名の動機は、タイトルと違って全然「へりくだった」ものではないけど(笑
また何かネタが浮かんだらよろしくお願いします。

15大月氏の馬商人:2009/09/12(土) 22:10:02
>>14殿下
ありがとうございます。

> 何かと若さが前面に立ちがちな本編陸遜ですが、あれは「若さ」ゆえではなく、生来のものだったんですね(笑

陸遜って子供の頃から苦労していますからね。
史書を漁ってみても、演義のような「若い」要素が見あたらないんですよ。
で、これはこういう性格なんだろーなー、って考えました。

> 「遜」が「へりくだる」と読めるとは、初めて知りました。
> そして、孫策の姓「孫」と「遜」の繋がりには唸りました。

「遜」の字の意味を知ったときは、陸遜すげーって感心しました。
本来なら、孫権の幕下に加わった際に改名したんだと思いますが、本編では孫策が存命ですからね。
実は史実では陸遜の妻はゴニョゴニョなんですが、陸抗大丈夫かな?(笑

> 命名の動機は、タイトルと違って全然「へりくだった」ものではないけど(笑

史実で関羽をだまくらかした時のように、
たぶん、相当へりくだった文章を孫策に送りつけたんですよ(笑
で、自分が涼に居るってことがばれたときの良いわけにも使えるように、これはピッタリだ、と。
本人はへりくだってないけど、周りから見ればへりくだったように見えるんですよね。

そのへんが陸遜らしさかと(笑

> また何かネタが浮かんだらよろしくお願いします。

了解です。
小説化されていない初期のエピソードは、結構妄想をふくらませる余地がありますからね。

16成抗:2009/09/13(日) 14:05:03
>大月氏の馬商人殿、呂砲殿下
初のスピンオフ展開、おめでとうございます。

陸議→陸遜の改名は、いろんなサイトで「三国志のなぞのひとつ」とされてますね。
赤壁どころか、夷陵の辺りまで、いろんな史書に「陸議」名義で記述されているので、
我々の良く知る「陸遜」表記になったのは、相当な晩年かあるいは死後でないかと
まで考えられています。

1説には、対立していた孫家を主君とし、なおかつ、一門に入ることになったので
陸家から孫家に改姓しようとしたが、もともとは陸家の方がはるかに孫家より名門で
あったために、名の方に孫の字を入れたとか入れないとか。

また、野暮なつっこみではありますが、「遜」という字には三国志時代には「へりくだる」
という意味はなく、「やろうとおもっていたが、事情があってできない」という状態を
さすのだそうで…(その状態を指して、へりくだっているようにみえたのかも)
さらには、「のがれる」という意味もあるそうで、晩年は軍部に属しながらも丞相にまで
のぼりつめたのにもかかわらず、最晩年には後継者問題で痛くもない腹を探られて
しまうなどの意味も込められていたのかもしれませんね。

純真な真衣殿が、孫魯班みたいなことになったらちょっと面白いかも…などと考えてしまうのでした。

陸議→陸遜の改名のご参考に
三国志ファンのためのサポート掲示板 より
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=410

追記:成抗伝も考えてみないことはないのですが、どうにも暗くなりそう…

17真衣:2009/09/13(日) 16:40:37
>大月氏の馬商人殿
陸遜のスピンオフおもしろかったです。
あまりにも説得力があったので、まさか本当に史実で
こんなことがあったのではと思ってしまいました(汗)。
陸遜は関羽が死んだ原因となったので、あまり好きではなかったのですが、
本編陸遜はまた違った魅力がありそうですね。

>>16成抗殿
孫魯班のようにですか?(ニヤリ)
純真だった人間が何かをきっかけに壊れることはよくあると思います。
魯粛が何かで殺されたりしたら、豹変するかもしれませんね。
楽しみにしていてください(笑)。

関係ないですが、以前三国志9をやっていたら、
魯粛が曹操に切られたのでリセットしかけました。
セーブしたのが大分前だったので泣く泣く諦めましたが、
お気に入りのキャラクターが切られたらふざけるな!となりますよね。

>呂砲殿
馬参伝に着手するにはまだまだ時間がかかりそうですが、
先に魯粛伝を書けたらと思います。
必ずしも本編に反映しなくても良いと書いてあったので、
勝手にまだ本編に登場していない私(真衣)を出してもよいのでしょうか?
まだ孫策が生きているので、孫策が死んだ後周瑜に引き抜かれるという
史実どおりの話が使えないので、魯粛の登場も創作できると考えたのですが。
しかし、やはり涼旗降納12を読んでからの方が良いかもしれませんね。

18大月氏の馬商人:2009/09/13(日) 19:21:15
>>16成抗殿
ありがとうございます。

実際、へりくだると言う意味を持つ言葉には、他に「謙」という字がありますが、
こちらは宋謙やら楽進が使っています。
というわけで色々虚実とりまぜておりますです(笑

陸遜(へりくだる)の子が陸抗(あらがう)っていう流れが好きなんですよ。


>>17真衣殿
ご感想ありがとうございます。

本編陸遜は結構人間くさいところがあって、よく見かける完璧超人陸遜より魅力的ですね。


魯粛はくせ者揃いの呉の人物の中でも、突出した人物だと思っていますので、
どのようなエピソードになるか、本編とともに楽しみでしかたがないです。

19呂砲 ◆I9WFnCXgeU:2009/09/15(火) 03:12:04
>>15大月氏の馬商人殿
>>16成抗殿
恥ずかしながら、陸遜が本名でないということを今回初めて知りました。
陸遜の改名が三国志における謎のひとつとされているのなら、尚のこと今回のスピンオフは、「無理矢理マルチプレイにおける改名の理由」という意味合いを帯びて、面白いですね。

>>17真衣殿
今回、管理人がスピンオフTopに書いた説明文は、以下でした。
>管理人自身も細かい設定を忘れてしまうほど本編自体が長くなっているため、あるいはスピンオフ作品と本編との間に
>設定・認識の違いが出てくることもあるかもしれませんが、そこらへんは大らかな感覚でどうぞ。
>なお、必ずしもスピンオフ上の設定が、後々の本編の設定とリンクするわけではないので、『未来』における想像モノもOKです……
読み返してみると、かなり曖昧というか乱暴な記述だったため、真衣殿には誤解をさせてしまったようです。
あるいは真衣殿だけでなく、他の人にも誤解させてしまったかもしれないので、以下、説明させてください。

>必ずしも本編に反映しなくても良いと書いてあったので
これは、「必ずしもスピンオフ上の設定が、後々の本編の設定とリンクするわけではない」の部分からの判断かと推測しますが、「本編に反映しなくても良い」と言えるほど、幅を広げたものではありません。
この部分は、「例えば、本編の登場に≪先んじて≫誰かによって書かれたスピンオフ諸葛亮がのんびり屋の描写であっても、≪後々≫に本編に登場する諸葛亮は、話の都合上、せっかちな人柄になるかもしれません」程度のもので、「≪本編が≫≪スピンオフの設定・描写を≫≪何が何でも≫トレースするわけではない」と言ったつもりでした。
もちろん、「≪スピンオフが≫≪本編の設定・描写を≫反映しなくてもOKです」と言ったわけでもありません。

その前の記述、「あるいはスピンオフ作品と本編との間に設定・認識の違いが出てくることもあるかもしれません」についても同様です。
ご承知の通り、本編は半端なく長くなっていますから、あるいはスピンオフの中でも勘違いや見落とし等に起因する本編との齟齬が出るかもしれません。
そういう時、他の読み手から心無いツッコミがあってもつまらないので、「大らかな感覚でどうぞ」と言ったものであって、いずれも「必ずしも本編に反映しなくても良い」と言ったつもりはありませんでした。

無論、「必ずしも」の幅次第、という面はあるのでしょうが、本編の内容・設定から離れていったら、それはもはや「スピンオフ」ではなく、「まったく別の物語」になると思います。
何より一番懸念するのは、そのような作品に対し、他の人から「本編と関係のない話なら自分でHP作ってやれば?」という趣旨の書き込みが入ることです。
そうなると、やはりスピンオフ作者さんのモチベーションも下がってしまうでしょう。
その意味からも、「『未来』における想像モノもOKです」のくだりも、余りに安易な記述だったと反省しています。
そういうわけで、みっともないことを承知で、スピンオフTopの記述は訂正させてください。

20呂砲 ◆I9WFnCXgeU:2009/09/15(火) 03:12:18
>勝手にまだ本編に登場していない私(真衣)を出してもよいのでしょうか?
ネタ振りは頂きましたが、「本編真衣を本編魯粛の養子・家政婦とするかどうか」という根本的なことを含めて、本編真衣の立ち位置はまだ、管理人の頭の中で流動的です。
実際のところ、これまで本編真衣と本編魯粛の絡みはこれまで考えたことがなく、若干煮詰まっているため、今、「魯粛と関わりがある真衣」の話を書いても、本編の進行次第では、本編と関連のない、まったくの別人の話になってしまう可能性があります。
このため、真衣殿の分身が絡むスピンオフは、真衣殿が言われている通り、分身が本編に登場するまで待った方が無難かと思います。

21錘柄伝1:2009/09/16(水) 11:54:34
この俺が小隊長?
姓名を錘柄と言うその新兵は、いきなりすぎる僥倖に身を震わせていた。
嬉しさもさることながら、現実のものと思えず、小刻みに体を震わせては
自身が与えられた地位が夢ではないことを確かめているようだった。

さらに、非現実といえる幸せに追い討ちをかけるような辞令が続く。

小隊長となってはいるが、実際は「部隊」と呼べるほどの人数がおらず、
小隊長待遇のまま、錘柄が隊長として、その部隊を率いることとなった。

その部隊の名を「水兵隊」と言う。

水兵隊が作られたのは言うまでもなく、長江における水上戦を得意とする
孫呉に対抗するものである。しかしながら、勢力として立ち上がったばかりの
涼(この時期はまだ、呂砲勢力であり、涼の国名はなかったが)には、
水軍が得意なものは、袁奉しかいなかった。
さらに、呂砲の七同士に優先して武功を揚げさせる方針により、袁奉は水軍指揮
のみならず、各地の戦線に忙しく飛び回っている身であり、涼の対孫呉軍団である、
第二軍の軍団長の吾玄は陸上における速攻と後に、名人芸と称されることになる撹乱が
得意の武将であり、水兵隊は作られてはみたものの、最初期には適当な「教導役」が
いなかった。

「よし、こんなものだろ。お前たち、だいぶ良くなったぞ」
そう言って、水兵隊を褒めているのは、最初の教導役となった。馬超である。
涼州の枯れた原野を故郷とする彼が、水兵隊の教導役となったのは、偏に
「他に手の空いてる奴がいなかったから」であり、後世の史家の指摘を待たずして
「不適当の極みの人事」であると、しばらくして気がつくことになる。

22錘柄伝2:2009/09/16(水) 11:55:25
馬超にとって、川とは押しわたるものであり、船に乗って水上で戦う地などではない。
ゆえに、水兵隊を(一時的に)任された時も、川を見ては渡河点を突き止めて強引に
徒歩で押しわたる術と、腰まで水に使っていても具足を身につけたまま、長柄の武器を
振り回す体力づくりのみにあけくれていた。
袁奉は、その訓練の様子を伝え聞いて「水兵とはそのようなものではない」との声が
のどから出掛かっていたが、万事に控えめなこの男は、それを呂砲を始めとする
同士達に言うことは当初はなかった。あるいは、にわか作りの水兵部隊に期待して
いなかったのかもしれない。

馬超が他の戦線に移動することになっても、錘柄の率いる水兵隊は馬超に教えられた
やり方での訓練を続けていた。泳ぐことすらできない彼らにとって、川とは自ら身に
まとった具足の重さを利用して、川の流れに流されないようにしながら歩いて
押しわたるものと考えているのであった。

困ったのは、呂砲から「水兵隊を作ってみたぞ!使ってみてくれ!!」と喜色満面に
言われた吾玄である。呂砲の思いつき半分の人事であるとはいえ、逆らうわけにも
いかない。それならば、と思って試しに水上訓練を視察してみたところ、
水軍の心得のない自分と自分の兵がやっていることと大差がない。
これでは、水兵としての活躍を期待して策を立てては足手まといになる。と言って、
水兵隊として渡されたからには、それなりに水上で役立つように活用するべきと
生真面目なこの第二軍団長は、最初から訓練のやり直しをすることを決意した。

まず、吾玄は親友であり、水軍指揮の心得もある袁奉に相談した。相談された袁奉は
(お主、本気であの部隊を使う気なのか?)と思っていたが、さすがに口に出すことは
控えた。その代わりに、「では私が早速、訓練をしよう」と呂砲に許可を得た上で
第二軍に出向しようとしたが、さすがに訓練のためのみで七同士随一の膂力の
袁奉が移動することはかなわなかった。そんな折に、うってつけと言える人材が
呂砲勢力に加わることと成る。

23錘柄伝3:2009/09/16(水) 11:55:57
甘寧。字を興覇。巴だけでなく、益州・荊州に名を轟かせている川賊の親分あがりの
武将である。この男、吾玄の旧友の一人であり、水軍指揮においては袁奉に勝るとも
劣らない。さらには、「ダチの吾玄の主君なら、俺の主君に十分!!」と呂砲に
対する忠誠心が(吾玄を通してとはいえ)他の者とは比較にならないほどの高さである。
そして、何よりも降将からの登用直後であり無役である。甘寧が、水兵隊の教導役に
成るには実にタイムリーな人事であった。

「殺される…」
そう、錘柄が感じたのも一度や二度ではない。いや、訓練をする度にそう感じている。
何しろ、甘寧が着任直後から強烈過ぎる挨拶があったのだから。
水兵隊の訓練中(甘寧に言わせれば『水遊び』)にやってきた、甘寧は代名詞になってる
鈴と羽飾りのついた派手な服を脱ぐと、上半身裸で川に飛び込むなり、水兵隊の兵士の
足を水中で払っていったのだ。
もがく者、武器を取り落とす者、あわてて具足を脱ごうとするもの、無謀にも
水中で長柄の武器を振り回して甘寧に対抗しようとする者、そのほとんどが溺れて
甘寧一人に、水兵隊は壊滅的な状況に追い込まれたのだった。

この「挨拶」(甘寧曰く「一本、ビシッと締めてやった)により、溺死する者2割。
水をたらふく飲んで2,3日動けなくなる者3割。自ら死んだと偽って逃亡する者3割と
全滅といっていい状況にも、錘柄は耐えていた。甘寧の方もどこ吹く風で吾玄を通じて
呂砲に人員の補充を要請すると、再編した水兵隊に更なる地獄の訓練を施すのであった。

甘寧が兵に対する嗜虐趣味があるのではないかと、最初のころは錘柄も疑っていたが、
そうではないことがやがてわかった。なにしろ、船上だけでなく、水中でも戦えてこそ
水兵と言う考えで行けば、甘寧が言うところの「根性」が無い者にはとてもできそうに
無かった。


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