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大涼広辞苑を作るスレッド
100
:
琉蹴
:2008/09/20(土) 09:59:43
>>99
殿下
いやいや、いい企画ですよ(笑)。
分からない用語がでたときとか調べられますし。
嘴部隊
→啄木鳥作戦において最も重要な部隊。砦などに籠った敵を誘き寄せるため、補給線外にまで出ていき、城を直接攻撃する。この作戦で一番兵の死亡率が高く、文武共に優れ、冷静かつ勇猛な将でなければ作戦の成功はおろか、生きて帰れないだろう。
101
:
琉蹴
:2008/09/20(土) 10:00:04
>>99
殿下
お、100だ!
いやいや、いい企画ですよ(笑)。
分からない用語がでたときとか調べられますし。
嘴部隊
→啄木鳥作戦において最も重要な部隊。砦などに籠った敵を誘き寄せるため、補給線外にまで出ていき、城を直接攻撃する。この作戦で一番兵の死亡率が高く、文武共に優れ、冷静かつ勇猛な将でなければ作戦の成功はおろか、生きて帰れないだろう。
102
:
琉蹴
:2008/09/20(土) 18:11:06
やべっ
二度書きしてた!焦
103
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/09/20(土) 22:00:23
>琉蹴殿
登録しました。
毎度ありー(笑
荒藻之藻垣帯病:管理人の呂砲が抱える持病。文章がやたらと長くなり、短いスパンでの更新を阻害する原因のひとつにもなっている。典型的な発症例は、「金10万」。このネタを考え付いた当初、呂砲は1回完結のつもりでいたが、実際には7回にまで及ぶ長ネタとなった。
持病:「荒藻之藻垣帯病」を参照。
104
:
参露の中の人
:2008/09/20(土) 22:22:45
荒藻之藻垣帯病:参加者の大半が「何よりのご褒美」とみなしているらしい
105
:
琉蹴
:2008/09/21(日) 00:34:09
今日はいいことありません・・・。
応援しているジュビロは負けて、
いつも見ていたヤスコとケンジは終わり、
そして、
携帯を落とし、無くしてしまったーー!!
唯一の救いはスパサカの加藤未央ちゃんのかわいさだけです・・・。
とゆかほんとに携帯どうしよう・・・。
106
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/09/21(日) 04:06:01
>>104
参露殿
そう思っていただけるのなら、長時間パソコンの前で「あーでもないこーでもない」と悩む甲斐もあるというものです(笑
>>105
琉蹴殿
携帯はイタイなぁ。。。
とりあえず、速攻で店に行って処理した方がいいでしょうね。
107
:
琉蹴
:2008/09/21(日) 21:36:55
>>106
殿下
修理しようにも紛失してしまいましたので・・・。
とりあえずdocomoと警察に連絡いたしました。
いつもは携帯で読んでおりましたが、
本日はパソコンで読ませていただきます。
108
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/09/21(日) 21:44:06
>>107
琉蹴殿
「修理」ではなく、「処理」ですよ(笑
しかし、携帯であの量の文章を読むって、相当しんどそう。
オジさんには絶対真似できない(笑
109
:
琉蹴
:2008/09/21(日) 22:48:17
>>108
殿下
あ・・・、
ごめんなさい〜〜!!
読み間違えました。
携帯だと一番長いもので17ページに分割されました笑。
あのときは読むの大変だったなぁ笑。
すいません焦。顔グラは1Eでお願いします。
自分の三国志8でも琉蹴はこの顔なのでこれがいいです。
110
:
琉蹴
:2008/09/21(日) 22:59:53
それと・・・、
素晴らしい登場をありがとうございます!!
琉蹴をみるとまだ16(来月17ですが・・・)なのに息子を見守ってる気分です笑。
自分のイメージ通りの「琉蹴」で殿下にご指摘いただいたり、悩んだりしたかいがありました。
次はどんな風になるのか楽しみです。
あと、蔡単!!笑
今後出番はあるのか!!笑
期待です!!笑
今日はネタがないので思いついたら書きますね。
111
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/09/22(月) 23:38:28
>琉蹴殿
お買い上げありがとうございます。
自分の息子を大切にしてやってください(笑
あと、主君を支えることも。
それと、他の非実在登場人物とも関係を深めておいた方が良いでしょう。
何せ琉蹴は、いずれ戦場でうわあなにをするやめ!"#$$%&'(()=~|}*{`_
112
:
琉蹴
:2008/09/23(火) 00:18:41
>>111
殿下
了解です!!
特に成抗殿とは親しくしておいたほうが良さそうですし笑。
仇敵関係にならないことを願います笑。
113
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/09/25(木) 00:45:29
更新したつもりだったけど、やってなかった。
以下、「魏公出師(その三)」からの新規追加分です。
宛 桜桂 勅使 程碰 法正 琉蹴
114
:
大月氏の馬商人
:2008/09/25(木) 14:38:14
桜桂:父虹探索。天皇賞と有馬記念を制し、年度代表馬に輝いた名馬。
実は二度も予後不良級の重傷を負っている。代表産駒は羅馬帝国、桜世紀など。
安定した成績を誇る摩耶乃頂点銃が、馬券圏外にすっ飛ぶ時はいつもこの馬が勝っていた(笑
115
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/09/25(木) 21:28:54
>>114
大月氏の馬商人殿
GⅠを四勝したマヤノトップガンに対し、サクラローレルは二勝でしたが、競走馬としてはサクラローレルの方が強かったかな。
それだけに、トップガンが大外から豪快にローレルを差し切った天皇賞・春は、未だに自分にとってのベストレースです。
116
:
琉蹴
:2008/09/26(金) 00:34:18
琉蹴
→字は晃弦。191年生。馬超の副官および校尉。得物は槍。愛馬は桜桂。父は琉雅、203年頃病没。先祖は東の小国の者で、交易のため漢を訪れ、行き倒れていたところを馬家のものに助けられたらしい。『富んでいる者にめぐんでもらったら感謝するだけでいい、でもそうでない者にわけてもらった時は恩はわすれるな』(某マンガより)が家訓らしく、幼い頃から父に聞かされて育ってきた琉蹴も馬超への恩を返そうと常々思っているため忠誠は高い(馬家はビンボーではないと思うが。)。漢には敬意はもっている。11のときに馬超軍に加わり、翌年の呂砲軍進行に腰を抜かした過去がある。暇さえあれば何かしらのものを蹴っている。
すいません。勝手にいろいろ付け加えてしまいました。
117
:
琉蹴
:2008/09/26(金) 00:43:30
修正
琉蹴
→字は晃弦。191年生。馬超の副官および校尉。得物は槍。愛馬は桜桂。父は琉雅、203年頃病没。先祖は夷州(台湾、琉球)の者で、交易のため漢を訪れ、行き倒れていたところを馬家のものに助けられたらしい。『富んでいる者にめぐんでもらったら感謝するだけでいい、でもそうでない者にわけてもらった時は恩はわすれるな』(某マンガより)が家訓らしく、幼い頃から父に聞かされて育ってきた琉蹴も馬超への恩を返そうと常々思っているため忠誠は高い(馬家はビンボーではないと思うが。)。姓は国名からとったらしい。漢には敬意はもっている。11のときに馬超軍に加わり、翌年の呂砲軍進行に腰を抜かした過去がある。暇さえあれば何かしらのものを蹴っている。
すいません。更に勝手にいろいろ付け加えてしまいました。
118
:
蒼夜
:2008/09/26(金) 07:08:25
宛 Wan エン(ヱン)
【正史】
この時代もっとも人口の多かった南陽郡(ほぼ一州に匹敵した)の県。魏が荊州治府を置いた地。
中平元年(一八四)、黄巾賊の張角が蜂起すると、南陽でも張曼成が挙兵して「神上使」を称し、軍勢数万人を集めて太守褚貢を殺害、宛の城下に集結した。
張曼成が戦死すると趙弘が総帥となり宛城に楯籠り、趙弘が斬られると韓忠が総帥に立った。
朱儁らの奇襲を受けて韓忠は宛城を抜けて小城に逃げ込んだが、包囲のゆるんだのを見て突出、大敗して殺された。
また孫夏が総帥になったが朱儁の強襲を受けて敗走、南陽郡は鎮定された。
荊州牧劉表は婁圭と手を結び、のちに張繡が駐屯した。
建安二十三年(二一八)、曹仁は樊城で関羽と対峙していたが、南陽郡では前線への軍役に苦しんでいた。
そこで宛を守る大将侯音は民衆の気持ちを利用して叛逆した。
しかし太守東里袞・曹仁の包囲を受けて翌年正月に鎮圧された。
【県令】种払
とりあえず正史補完です。
119
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/09/26(金) 09:39:32
>琉蹴殿
>暇さえあれば何かしらのものを蹴っている
なんじゃそりゃ(笑
>蒼夜殿
こうして見ると、宛という地は何かと騒動があった場所、言い換えるなら要地だったのでしょうね。
ところで、「宛」の欄で2ヶ所、文字化けがありました。
それぞれ「ネ許貢」「張繍」でよかったですか?
それと「県令」のところは…………これも文字化けかな?
私のHPビルダーでは「?払」となってしまう。。。
120
:
琉蹴
:2008/09/27(土) 00:23:17
>>119
殿下
宮殿から帰るときに石を蹴りながら帰ったりするそうです笑。
自分のパソコンでも「ネ許貢」と「張繍」が文字化けしてます・・・。
「県令」は「禾中払」と出てますが、あってますか?
あ、「禾」と「中」で一つの漢字になってます。
121
:
琉蹴
:2008/09/27(土) 00:23:17
>>119
殿下
宮殿から帰るときに石を蹴りながら帰ったりするそうです笑。
自分のパソコンでも「ネ許貢」と「張繍」が文字化けしてます・・・。
「県令」は「禾中払」と出てますが、あってますか?
あ、「禾」と「中」で一つの漢字になってます。
122
:
關龍白
:2008/10/01(水) 22:20:31
文字化けはパソコンよりブラウザの問題かと。
FirefoxかGoogle Chromeであれば大丈夫だと思いますけどね。
123
:
蒼夜
:2008/10/01(水) 23:55:24
うちは火狐さんなので文字化けないんですよね。
ネ者貢、張繍、禾中払であってます。
124
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/10/02(木) 00:46:45
>>122
關龍白殿
で…………出あえっ、出あえいっ!
この者は見たことも聞いたこともない呪文で、PCトンチキ野郎のわしを呪い殺そうとしておるぞっ!
皆の者、こやつをひっ捕らえいっ!
・
・
・
って、すんまへん。
「ブラウザとはしばしば目にするものであるが、そもそも一体何ぞや?」とWikiを覗いてみました。
正真正銘、心に一点の曇りなく、意味が理解できませんでした(泣
多分私は、PCの機能のほとんどを使いこなせていないのでしょうね。
こういう時、いかに自分がアナログ人間であるかを痛感します。
>>123
蒼夜殿
エッ?!
「県令」は「禾中払」で良かったですか?
125
:
参露の中の人
:2008/10/02(木) 02:30:15
思いっきり噛み砕いて言えばブラウザってのは「HTMLやCGI等を(ネットワーク介在の有無を問わず)閲覧、使用する為のアプリケーション」
と言うか、世間一般的にブラウザをそれ以外の用途で使用している人間は皆無
学生時代は「軽さこそ命」とばかりにLynxなるブラウザを使ってたこともあったなぁ…
今それを使えって言われたら「ムリ」と即答できるw
126
:
關龍白
:2008/10/02(木) 10:15:55
ブラウザは実際に使ってみるとわかりますよ。
私が挙げたふたつは共に無料ですから検索してダウンロードしてみればわかると思います。
127
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/10/03(金) 01:35:31
>>125
参露殿
>>126
關龍白殿
ダウンロードに挑戦してみました。
想像以上に自分が理解力に乏しいおバカさんだということがよくわかりました(泣
PCに関して私は、最低限の機能で満足する人みたいです。
128
:
参露の中の人
:2008/10/04(土) 14:55:18
殿下の為のLynxインストール講座w
まずttp://lynx-win32-pata.sourceforge.jp/index-ja.htmlにアクセス。
ダウンロードと書かれている直下のリンクをクリック。
Lynx286rel4THjp.exe (Select a Mirror for File Page)と書かれたリンクがそれ。
自動的にインストーラがダウンロードされ(ない場合は「ここをクリック」みたいな文面があるからそこをクリックす)る
インストーラファイルがダウンロードできればそれを実行。
あとは「Next」と書かれたボタンを延々クリックして最後に「install」とかかれたボタンをクリックすればok。
途中でCreate a desktop iconと書かれたチェックボタンがあるのでそこをマークしておけば
desktopにLynx起動アイコンが作成される。
後はいざ実行あるのみ!
ただし、Lynxは「テキストブラウザ」であるため、ほかのブラウザとはまったく使用感が異なる。
どれくらい違うかというとWindowsXPがある今現在に日本語MS-DOS3.1を現役で使うぐらい違和感があるw
129
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/10/04(土) 20:36:13
>>128
参露殿
おかげ様で起動アイコンの設置はできましたが、「PCダメな人」の管理人は、その後の設定メニューのところで早くもチンプンカンプンです。
どうも管理人は、PCの機種とか機能拡張とかいった方面に食指が働かない人種のようです。
起動アイコンは設置できたので、いずれ気が向いたらカチャカチャするかもしれません。
ありがとうございました。
130
:
大月氏の馬商人
:2008/10/05(日) 02:23:29
>>129
殿下
Lynxはネタだと思います!(笑
別のブラウザをインストールする必要は特にないですよ。
IEに不満がなければですが。
131
:
参露の中の人
:2008/10/05(日) 17:51:53
>>130
大月氏の馬商人殿
ネタだとなぜ判ったw
IE6から7にして扱い辛くなった自分としてはoperaかFirefoxが選択肢だった
まぁFirefoxにしたんですが…
132
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/10/05(日) 21:02:13
>>130
大月氏の馬商人殿
そうします(笑
それにしても、みんなPCに詳しいんだナー、とつくづく思いました。
>>131
参露殿
わ、わしは…………まったくわけわからんぞ!
133
:
成抗
:2008/10/05(日) 21:22:44
多足の馬使いの私が、孤立しているというのがよくわかりました(笑)
でも、スレイプニルって、「タブにしたIE6」みたいなモンで、
IE6で文字化けするのは、こちらで中国辞書をインストールしない限り
文字化けするのは一緒ですね。
134
:
大月氏の馬商人
:2008/10/05(日) 22:43:38
>>131
参露殿
読み物系サイト以外全滅するでしょーが(笑
私はIE6とFireFoxを併用していますね。
どっちかに絞ると特定のページで不具合が出ますので。
135
:
真衣
:2008/10/06(月) 19:44:55
突然乱入しますが(爆)
>>131
参露殿
XPの標準装備のIE6に特に不便さを感じないのでそのまま使っています。
が、実家にあるVISTAのIE(多分7)はホント使いにくいですよね。
VISTA自体使いにくいのに……。
ただ、メールソフトはサンダーバードの方が使いやすいですよね。
所詮アウトルックなんてぱくりだし。
呂砲殿
主人もPCを含め機械音痴なのですが、この前清原の最後の試合を見るため
自分でビデオソフトをダウンロードしていた時は、いつの間にそんな使い方
覚えたんじゃ!と驚きました(笑)。
でも、私は最近パソコンより携帯を使いこなせてないとつくづく思います。
余計な機能多すぎ!
136
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/10/07(火) 21:51:03
みんなが異国の文化を異国の言葉で語っているように見える(笑
>>135
真衣殿
真衣殿の御亭主は、少なくとも私よりは機械の扱いに長けているようです。
先日の管理人とヨメの電話でのやりとり。
ヨメ「帰り遅くなるから、『篤姫』をビデオに撮っといて」
管理人「やり方わかんない」
ヨメ「教えてあげるから」
管理人「今日は風向きが悪いから無理」
※実話です。
137
:
蒼夜
:2008/10/12(日) 02:47:39
>>136
>「今日は風向きが悪いから無理」
風向きが悪かったらビデオ撮れないとか(笑)
自分も火狐様とIEの併用ですね。
一部のネットゲームなどではIEじゃないと無理って所もありますので。
138
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/10/12(日) 18:45:02
>>137
蒼夜殿
風向きのみならず、門の向きや当日の運気、体調不良に株価の大幅値下げ等等、管理人がビデオ録画を拒否する理由はいくらでもあるんですよ(笑
139
:
殿下に似た傭兵隊長
:2008/10/12(日) 22:31:53
ドーナツ使いは俺だけか……
140
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/11/04(火) 21:10:08
すっかり忘れてた。
「魏公出師(その四)」からの新規追加分です。
「宦官」「狐」「鶴」「長巻」
141
:
蒼夜
:2008/12/18(木) 22:54:00
雑談で埋まっていたので久しぶりに投稿。
韓当:(かんとう、?−227年)は、呉の武将。字は義公。子に韓綜がいる。
遼西郡令支県の人で、孫堅・孫策・孫権の三代に仕えた。武勇に優れ、呉の主要な合戦の大半に参戦して武功を挙げた。
孫堅時代からの宿老でありながら、呂蒙や陸遜ら自身より若い武将に配属し、最前線で活躍した。
軍法に厳格であったが、多くの部下から慕われた。死後、孫権から虎威将軍を諡された。
王甫:(おう ほ、? - 222年)は、中国の後漢時代末期から三国時代にかけての政治家。字は国山。益州広漢郡郪県の人。王祐の父、王士の従弟。
風貌が凛々しく、人物評価や政治手腕に優れていた。
はじめは劉璋に益州の書佐(書記の事務を担当する者)として仕えたが、
劉備が後に蜀を奪うと、綿竹の令となり、次いで荊州議曹従事に遷った。
章武2年(222年)、劉備の孫権討伐に従ったが、軍が秭帰(南郡)で敗北した際に、王甫は戦死した。
許昌:後漢末の196年、曹操が献帝を奉じてここに洛陽から都を遷したことで有名。
遷都の理由は洛陽が戦乱で荒廃していたのと、この地域が曹操の勢力圏だったからと考えられる。
元は「許」県であり(許都)、魏王朝建国後「魏は許をもって益々昌(さか)える」という予言に従って、許昌に改名された。
献帝在位中は一貫して「許」であったため、実は後漢、魏を通じて「許昌」が首都となった事は一度も無い。
献帝が廃されて魏が建国されると都は洛陽とされるが、魏の五都の一つとされ、依然として重要な都市であった。
許昌には献帝の皇后伏氏(伏完の娘)の陵墓や後漢末の都市遺跡があり、歴史学上も重要な都市である。
142
:
琉蹴
:2008/12/19(金) 01:14:26
長巻
→琉蹴が槍に代わり鍛冶屋に作ってもらった武器。
全体は6〜7尺(180〜210cm)、柄は3〜4尺(90〜120cm)、刀身は3尺前後で
非常に重い(5〜7kg)。
「薙刀」とよく似ているが、薙刀は矛や戟から変形したもので、
槍に近い発想から生まれているのに対し、
長巻は大太刀から発展したもので、
あくまでも刀である。
そのため、薙刀や槍の戦法がその長さを活かしたものであるが、
長巻は柄の長さをリーチとして活かしていない。
また重いため、リーチとして活かすことができない。
槍と並び、戦場では大いに活躍した武器である。
戦国時代には「槍が使えないなら、長巻を使え。」といわれたほどだった。
それをあらわすかの如く、その重量を生かし、
一振りで相手の腕を切り落とし、
鎧の上からでも相手の骨を折ることができたという。
また、騎馬の脚を斬ることなどに用いられたことで知られる。
突が基本の槍とは対照的に、
形状から打つ・斬る動作が主流であったと考えられる。
太閤記では信長が好んで使わせたと有り、
見聞雑録では槍を上手く扱えない雑兵に与えられたと記載されている。
また上杉の長巻隊や、馬の御払いなどが知られる。
しかし、やがて火縄銃が登場し、
戦争の方法が個人の武勇を重視した戦い方よりも
速度を重視した集団戦へと移行するにつれ、
取り扱うのに腕力が必要だった長巻は、次第に姿を消していく事となる。
143
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/12/20(土) 00:27:57
またもや忘れてた、以前の更新分からの新規追加は以下。
「永安放棄」「業β放棄」「一合戦」
>>141
蒼夜殿
>>142
琉蹴殿
解説感謝です。
許昌は後漢時代、実は一度も首都になっていない、というのは「ヘー!」でした。
144
:
蒼夜
:2008/12/25(木) 07:17:45
あくまで一部を読み返しただけなので添削・加筆など宜しくお願いします。
楽楊(がくよう):大司農の細作。洛陽おたっしゃ倶楽部(大史農・公孫師直轄の情報収集組織)長老。
さして良い家柄に生まれたわけではなかったが若い頃は政治の才と勤勉さで、
着々と出世の道を登っており自分をそこまで引き上げてくれた重臣から、
大司農内定の沙汰を受けた事もあるがその重臣が宮廷内の権力争いに敗れた時、
もろとも最下層まで転げ落ちる羽目になった経緯がある為漢朝そのものを憎んでいる。
郭図公則反乱のさいに呂砲一行を保護。洛陽からの脱出に加担するが追跡者の声に焦り
地下道の窪みに足を取られ転倒、首の骨を折り即死。遺体は地下道に放置された。
145
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/12/25(木) 22:34:49
>>144
蒼夜殿
参露殿が書いてくれた蔡瑚の項目をUPする時も思いましたが、死亡した登場人物を大涼広辞苑に掲載する時は、「区切り」のようなものを感じます。
いずれも、私が「殺した」登場人物ですから。
墓標のようなものなのかもしれませんが、郭図公則の叛乱を通じて、この墓標は増えていくことと思います。
146
:
蒼夜
:2008/12/26(金) 01:21:07
>>145
呂砲様
では文章中では幕間のヘボ馬商人として登場できる事を願いつつ、
幕の外では史書の編纂手伝いや墓標作りに精を出しましょうかね。
147
:
蒼夜
:2008/12/26(金) 02:29:57
と言う事で書ける所から埋めていきますぞ。
宦官(かんがん):去勢が施された官吏である。「宦」は「宀」と「臣」とに従う会意文字で、
その原義は「神に仕える奴隷」であったが、時代が下るに連れて王の宮廟に仕える者の意味となり、
禁中では去勢された者を用いたため、彼らを「宦官」と呼ぶようになった。
三国時代で著名な宦官の例としては霊帝に仕えて中常侍の官にあった宦官集団十常侍や
劉禅に仕え、蜀の実権を握り自分勝手に人事を変え、蜀の滅亡の元凶となった黄皓など。
148
:
蒼夜
:2008/12/26(金) 05:09:37
金比箭(きんぴせん):漢皇帝が還行の途中、許田において巻狩りを行った際に携えていた金装飾の矢。
呂砲の危険性を丁秦に告げられており「漢朝を終焉させ、代わって涼王が帝位に就くべき、とな…………涼王。卿はどう考えるか」
とたずね呂砲がブチギレた時に侘びの印として皇帝から賜った物。
その後の巻狩りにおいて呂砲がこの矢を使い鹿を射止めたが群臣将校・兵たちが皇帝が射止めたと勘違いし万歳を連呼した所
皇帝を差し置いて呂砲が「それは、涼王が獲った鹿ぞ!」と叫んだ事から漢室側との確執が加速し始めた原因ともなった。
宝雕弓(ほうちょうきゅう):漢皇帝が還行の途中、許田において巻狩りを行った際に携えていた宝石や彫刻を施した弓。
矢(金比箭)の方は漢室と涼軍(呂砲)の確執の原因の発端となったが、宝雕弓は使用されていない為呂家の家宝として洛陽の自室に存在?
郭図公則の乱中に持って出ることは不可能に近い為、現所持者は不明。
149
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/12/27(土) 00:08:49
>蒼月殿
いずれ涼にも、宦官が必要となるほどの大奥を作ることができたらなぁ(笑
そういや、宝雕弓はどこにあるんでしょーね?
叛乱のドタバタで無くなってしまったなら、もったいないなあ。
管理人もたまには登録。
馬参(ばさん):温寧の情人………………←オイ
150
:
蒼(朔)夜
:2008/12/28(日) 01:48:28
>>149
また名前を間違えられてますね・・・改名って言うか戻しますか?
151
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2008/12/28(日) 12:02:57
>>150
蒼夜殿
すみません。
よく確認せぬまま書き込んでしまいました。
完全に私のウッカリです。
これからはもっと気をつけます。
152
:
朔夜
:2009/01/20(火) 19:00:28
呉蘭:一族の呉懿や同僚の厳顔、雷銅、黄権らと共に涼軍第二軍に所属。
南部戦線で中軸として活躍を続けるも一族衆の呉班の死をきっかけに吾玄と不仲に。
秣陵攻略戦にて徐晃隊殲滅後に受けた矢傷により負傷。壊滅寸前の呉軍呂蒙に
攻撃を仕掛けていた所に味方である厳顔の乱撃により致命傷を受けたのち、
魏軍総大将夏侯惇の突撃により刺殺される。
153
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/01/21(水) 20:03:13
新規追加分です。
「軍祭酒(ぐんさいしゅ)」、「鶏肋(けいろく)」、「蔡瑁(さいぼう)」、「朔夜(さくや)」、「西涼(せいりょう)」、「陳留(ちんりゅう)」、「鳳義(ほうぎ)」、「茂家走(もうかそう)」、「老細作(ろうしのび)」
>>152
朔夜殿
いつも感謝です。
呉班が死んだのは呉蘭戦死の後なので、その部分を訂正の上、更新しました。
154
:
朔夜
:2009/01/22(木) 16:58:33
郭艴:字は阿多。董卓の娘婿に当たる中郎将牛輔の部下として史書に登場。
192年、董卓が王允らによって暗殺された際、李傕・郭艴らは東方にあったが、
賈詡の進言を容れて董卓の報復に乗り出し、諸軍を集めて長安を奪回し
献帝を擁して王允を殺すと後将軍の地位に昇り、李傕、樊稠らと朝廷を支配した。
剛勇の士であり、のちの董承の述懐によると、李傕との抗争では兵数百を以って、李傕軍数万を破ったという。
本編では楽驂(馬参の旧名)の上司として名前が挙がっている。
洛陽おたっしゃ倶楽部:
楽楊が立案・発足させた大史農公孫師直轄の情報収集組織。
李[イ寉]:李傕は後漢末期の武将・政治家。漢の大司馬。字は稚然。
涼州・北地郡(現在の甘粛省南東部)の出身。董卓の配下の武将として立身し、
董卓亡き後は長安を強襲して、呂布・王允を破り献帝を擁して権力を握るも、
幼馴染の同僚郭艴と仲たがいし最期は滅亡する。
茂家走:巴蜀の馬商人朔夜の愛馬。大陸の西部にある荒舞の交配種。
若い頃は隴西(天水)で行われた『性雄記念賞』を三年連続制覇するという偉業を達成した。
155
:
成抗
:2009/01/22(木) 18:14:46
軍祭酒:「軍師祭酒」とも。師の字が省かれるのは、かの司馬「師」(司馬イの
息子で、司馬昭の兄)の忌み名として、使うことをタブー視されたからとも。
同じ例として、軍師→軍「司」など。さらに師家(姓)が、「帥」家と表記を
改めさせるなど、良く使われる字だったために様々な面倒のきっかけになる…
それはさておき、祭酒とは、元は、宴などのときに酒をついで回る人のこと。転じて
世話人のような意味となる。よって、軍祭酒で「軍の世話人」となり、一般的な
軍師のイメージに近い役職となる。
軍祭酒は軍師という役割を制度化させたはじめての官職…とウィキペディアにはあるが、
それ以前にも軍師という単語や役割はあったりする。
軍祭酒は、郭嘉が就任してから死ぬまでその地位にあった。余り政治向きのことを
やらない(やれない?)郭嘉のために曹操が新設したといえなくもない。
曹操軍師集団筆頭の荀攸は後に中軍師や尚書令についたが、軍祭酒になったことはない…のだが、
ウィキペディアには軍祭酒になったと誤解されるような書き方が。
すごい地位につけていただいたので、とりとめもなくつらつらと書いてしまいました。
補足や突っ込みをよろしくお願いします。
たとえば、中軍師、軍師将軍、軍師中朗将、前後左右軍師の序列はどうなのか…とか
将軍>>中朗将で、前後左右と中は同格だったような…そして、それらと比べて
軍祭酒がどうであるのか… ざっと、ネットで調べた限りではその当時の軍師(参謀)的な役割の人に
軍師と官職をつけて、さらに前後に肩書きをつけているようで…
私がネットだけで調べた感じでは当時は「軍師祭酒」となっていて、
後に司馬師の忌み名関連で「軍祭酒」と表記を改めたみたいです。
156
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/01/23(金) 00:38:14
>>154
朔夜殿
李カクと郭艴の字を初めて知った。
李カクの「稚然」は、何とも子供っぽい字だ(笑
郭艴ってけっこう強かったんですね。
>>155
成抗殿
2ちゃん三戦板の古いスレッドですが、これけっこう勉強になります。
【官職】 漢の制度を語る 【政治】
ttp://hobby.2ch.net/warhis/kako/1056/10567/1056795960.html
軍祭酒については、ここの
>>777
に以下の記述があります
「郭嘉がなった『(司空)軍祭酒』なんかも、 曹操としては最大限といえる礼遇なのでしょう。『命令を受けるだけの部下ではなく、 主人(=曹操)から敬意を持って遇される、軍事に長けた賓客の第一人者」』という意味合いでしょうから。従来の命令系統からは外れた位置にある員外の官、言い換えれば曹操の参謀、スタッフということですね。(多分直属の部下を持たない) 」
157
:
大月氏の馬商人
:2009/01/23(金) 13:05:57
>>156
殿下
郭艴の字は幼名の可能性もありますよ。阿多ですから、たーちゃんなんて呼ばれていたかも(笑
李カクは子沢山の家庭かもしれないですね。伯仲叔季幼稚の順だと六男ですか。
158
:
朔夜
:2009/01/23(金) 19:06:33
>>156
呂砲殿
李[イ寉]も郭艴も光栄のゲームなどでは使えない武官として描かれていますが
李[イ寉]は反董卓連合の時に孫堅に停戦(断られたが)を伝えた外交官でもあり
郭艴も李[イ寉]が長安を獲得した後樊稠と共に馬騰・韓遂の連合軍を長平観の戦いで
撃破した事から仲違いさえなければかなりの強国だった事が考えられるんですよね。
159
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/01/24(土) 00:13:26
>>157
大月氏の馬商人殿
なるほど、劉禅の幼名「阿斗」と同じいわれなのかもしれませんね。
昔、少年ジャンプに掲載されていた「ジャングルの王者・たーちゃん」を思い出した(笑
「伯仲叔季幼稚」は以前、田中芳樹の本で読んだことがあります。
これに当てはめるなら、本編馬参(字・叔遠)にはお兄ちゃんが二人いる可能性もありますね。
>>158
朔夜殿
その経歴を振り返るなら、李カク・郭艴コンビを主人公にした読み物というものもけっこう面白そうですね。
優秀な将として董卓を支え、董卓暗殺直後は「賊軍」としてピンチに陥り、賈クの献策を入れて長安を奪い返し(かつ呂布を追い払い)、ついでに馬騰・韓遂を駆逐した後は皇帝をぞんざいに扱いつつ栄華を極め、仲違いし、無残な最期を遂げる。
ウーン、これはいつか書いてみたいなぁ(笑
160
:
琉蹴
:2009/02/01(日) 14:42:33
蔡瑁:字は徳圭。父は蔡諷で、長姉は黄承彦に、次姉は劉表の後妻として嫁いでいる。まだ姪は劉ソウに嫁いでいる。蔡瑁は劉表が荊州に地盤を築くときに功績をたて、古参の武将として知られる。劉表が死んだとき、姪の夫で姉の子、劉表の次男にあたる劉ソウを後継者に擁立した。その後曹操が荊州に侵攻して来たとき、いち早く降伏し劉備が難民と共に襄陽にきて曹操との交戦を求めたが、門を閉じ取り上げなかった。降伏以降は従事中郎、司馬、長水校尉、漢陽亭侯となる。降伏とこの昇進は蔡瑁が曹操と旧知の仲であったため、と考えられている。また、劉ソウの擁立については体の弱かった劉キを擁立するよりは良かったという意見もある。降伏について『龍狼伝』の山原先生は「交戦し荊州の民を傷つけるよりはマシだという蔡瑁なりの正義があったのでは?」と語っている。
161
:
琉蹴
:2009/02/01(日) 18:52:02
殿下曰く『蔡瑁も連れて行こうかとも思ったが、こいつは使える戦法がないのでお留守番』と言われていたが、今は乱射4、矢嵐3となかなか成長している。203年7月永安奪還戦において劉備軍に所属していた蔡瑁は不注意に前進し、吾玄隊に不意打ちをくらい、その代償として1500余りの兵をいたずらに失ったこともある。しかしその後は「矢嵐」を撃ちかけてく撃ちかけ、成功させ涼軍を悩ませたが、再び意味深に平地に移動し捕らえられた。
162
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/02/01(日) 21:34:03
>>160
琉蹴殿
登録しました。
「三国志演義」では劉備が主人公なだけに、劉備を追い払い、さらには「敵」である曹操に降った蔡瑁は、見事なまでに悪代官風ですね。
でも、見方を変えるなら、確かに蔡瑁には蔡瑁の「正義」があったかもしれないわけで。
本編の蔡瑁はもう、張飛の蛇矛の前にあっさり死んでしまいましたが、そういった「別の立場からの見方」というものは、なるべく本編の中で拾っていきたいものです。
163
:
琉蹴
:2009/02/02(月) 01:41:13
>>殿下
自分も『龍狼伝』での山原先生のご意見をお聞きして、蔡瑁殿や董卓殿など悪役として知られる人物の違う側面を調べてみたいと思いました。
曹操殿も初めは劉備殿の敵で悪者であるような書き方をされていましたが、陳舜臣先生『秘本三国志』や王欣太先生の『蒼天航路』、もちろん山原先生の『龍狼伝』などでそうではない人間実のある優れた人物だと改められましたからね。
自分を悪だと思って行動している者などほぼいないわけですから、彼らにも彼らなりの正義があったのだと思います。
そういうところもどうかお書きになってください笑。
164
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/02/03(火) 22:30:12
>>163
琉蹴殿
一般にマイナー扱いされている武将にも、可能な限り活躍の場を作りたいなと思っています。
業βで戦死した張燕もその一環でしたが、あれは自分でもけっこう気に入っている場面だったりして(笑
165
:
琉蹴
:2009/02/05(木) 00:59:15
>>164
殿下
張燕殿の最期もよかったですが、殿下の書く呂布殿がカッコよすぎる・・・。
いい味を出してますよね。それに荀紣殿や曹丕殿が驚くようなところに目をつける笑。
呂布殿に知力もついたら最強の武将になってしまいますよ笑。
その後の張魯殿の最期も気に入ってます。
武将としてでなく、五斗米道の教祖として死んだのが印象的です。
というか、彼は(おそらく史実でも)五斗米道のことしか考えてなかったですからね。
166
:
朔夜
:2009/02/14(土) 02:41:13
関平:歴史書の三国志には、219年荊州において関羽の軍勢が曹仁・呂蒙等の軍と戦った時に随行し、
呉軍に捕縛され関羽と共に首を討たれた事が「関羽伝」に記載されているのみである。
正史における関平は関羽の実子であり、実の兄弟として関興が居る(兄弟順は不明)。
本史では韓滅亡後第一軍における若手将軍として活躍していた。
『郭図公則の乱』において希代之の命により洛陽を警戒していたが
敵対した潘璋と袁の文醜と戦い戦死。この死が旧韓派の謀反のきっかけとなった。
添削お願いします。(汗
167
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/02/14(土) 16:02:14
「大月氏の商人」を消して新たに「波羽於莉」を追加しました。
他に「楊修」、「竹簡」「刺史」もそれぞれ追加です。
>>166
朔夜殿
登録しました。
それでは私もひとつ、関平ネタで。。。。
関平:「帝都混迷(その七)」において、文醜・潘璋の軍勢に敗れた直後、廖影に殺される。直後、掲示板「大涼宮」では、その死を悼み、「関平〜」の書き込みが相次いだ。
168
:
琉蹴
:2009/02/19(木) 15:52:28
楊修
「四世太尉」の名門出身。父は後漢の三公の一人、楊彪の子。母は袁術の妹。字は徳祖。曹操に仕え主簿を務めた。219年、漢中の戦いで曹操が言った「鶏肋」を、「捨てるには惜しいが、腹の足しになるほど肉がない」、よって「惜しいが撤退の潮時」と解釈し、撤退の準備を命じた。まもなく曹操によって処刑されるが、明確な理由は分かってなく、曹操の三男、曹植を曹操の後継者にしようと尽力したため、母親が袁術の縁続きであったことを疎まれたため、その才能を曹操や曹丕、司馬懿などが恐れたためなどと言われている。その他のエピソードで、曹蛾の碑を通りかかったとき、蔡邕によって書かれた『黄絹、幼婦、外孫、韲臼』という字を即座に『黄絹は色のついた糸、で絶。幼婦は少女、で妙。外孫は女子、で好。韲臼は、辛いものを受くる、で辞。よって、絶好の好辞なり。』と訳したり、曹操が門に書いた活の字をみて、『門中の活は、闊(ひろい)の字なり。まさに門の大なるを嫌うなり。』と門を作り直したり、酒宴のときに曹操が書いた、合の字を、人をして一口(一人一口)と見抜いたりしている。
刺史
旧中国の官名。漢代に郡・国を監督するため、州ごとに置かれた検察官で、行政長官でないから定位置をもたず、つねに管内を移動していた。官位も初めは郡の太守より低かったが、実権のあることからしだいに地位が高まり、やがて一州の長官として軍事・民政をつかさどる軍閥と化した。
169
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/02/25(水) 23:36:12
>>168
琉蹴殿
登録しました。
楊修ってIQサプリのようなトンチクイズに出たら、すごい高得点を記録しそうな人ですね(笑
170
:
名無し将軍
:2009/02/27(金) 18:03:13
楊修
>絶好の好辞なり。』 → 絶妙の好辞なり。』
171
:
琉蹴
:2009/02/28(土) 10:59:24
>>170
名無し将軍殿
あ、ホントだ……。
すいません。
訂正感謝です。
あと、『楊彪の子』、の『の子』も不要ですね。
172
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/03/01(日) 16:24:28
>>170
>>171
訂正しました。
173
:
趙衛
:2009/03/21(土) 14:57:06
じゃあぼくも。医術でいこう。
医術:戦争では負傷兵を癒し、普段は会話で怪我を治したり、自分の怪我を治したりする。
難点は1ターン使ってしまうので、囲まれると意味をなさないところ。
また以外と扱いが難しく、あまり頭の良くない人(誰とはいわない)が会得すると、戦乱で忘れてしまい、使えなくなる。
涼軍にも使える者がいたが、初戦の大事な防衛戦で混乱し、その存在を忘れてしまった。
その者は封印した。と言い張るが実は長い戦乱で忘れられた。という説が有力である。
174
:
趙衛
:2009/03/21(土) 15:04:37
鬼:吾玄についた名称。一時期、吾玄が呉攻略を引き延ばしにしてた間は忘れられてた。
175
:
趙衛
:2009/03/21(土) 15:31:27
腕相撲:親善団として業βに行った士長が酔っぱらって、許ネ者・朱霊と楽しんだもの。
一度、許ネ者に敗れた士長は、今度は朱霊に申し込む。
許ネ者が女兵士に対して切れた時、士長がこんなのほっといてもう一度勝負しましょうと言って、女兵士に殺されかけた。
176
:
趙衛
:2009/03/21(土) 15:50:20
評定:軍議や方針決める場。
ゲーム中では君主が6回、君主の軍師・都督が5回、太守・都督の軍師は4回、頭領・太守の軍師は3回、一般・同士は1回、在野は無し。と回数が決まっている。
177
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/03/21(土) 22:40:00
>趙衛殿
一つを除いて登録しました。
本来なら最初に「ありがとうございます」と言うべきなのでしょうが、一つ確認させてください。
ゲームの三国志8では、「知力の低い武将が医術を会得した場合、時間が経ったら忘れて使えなくなってしまう」というようなことがあるのでしょうか?
178
:
琉蹴
:2009/03/21(土) 23:23:30
>>178
殿下
割り込んですみませんが、そんなことはありません。
というか本編呂砲が医術を『忘れてしまった』というのを暗に示唆したと思われます。
179
:
趙衛
:2009/03/21(土) 23:27:14
琉蹴さんの言うとおりです。呂砲殿下が忘れたことを参考にしました。
実際にはありません。てかあったら困ります。
戦争で医術を期待して連れてったらいつのまにか忘れてた。
なんてシャレにもなりませんしね。
僕も医術を持つキャラは大切にしますし。
いきなり消されたらショック死しちゃいますよ。
180
:
趙衛
:2009/03/22(日) 00:03:44
罠:守備側にのみ与えられた権限(?)これにより地の利がはっきりする。
一番最初に行動する総大将、特に君主は引っかかりやすい。これは人にもよるとかよらないとか。
街道に仕掛けられてることも多い。罠で混乱した場合は混乱してる本人でも沈静化できる。
181
:
岳遼
:2009/03/22(日) 10:47:44
混乱:戦法「錯乱」や計略の「混乱」が成功したときに陥る状態異常
相手に与える被害が増える上に、相手は行動できないという効果を持つ。
強敵を相手にする場合は、この状態にしてから叩くのが基本。
ただし、「錯乱」での混乱する確率は、使う相手の統率力が大きいことから
成功しても混乱はしないことも多く、ここぞという場面では
統率の高い武将で使うことをお勧めする。
182
:
岳遼
:2009/03/22(日) 11:00:21
恐慌:「奇襲」や「大喝」が成功したときに陥る状態異常。
これになった部隊は、「混乱」の効果に加え、毎ターン士気が下がる。
この状態が終盤あたりでなると壊滅する可能性が高いことから
武力の高い武将は重宝される。
「大喝」は複数部隊をまとめて陥らせるため、関羽などの武将が使うと
ほとんどの部隊が恐慌になる。
殿下も「大喝」は習得しておられるが、成功する可能性がほぼ皆無のため
現在は使用することすらない。
183
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/03/23(月) 01:22:55
>>180
-
>>181
趙衛殿、岳遼殿
ありがとうございます。
ただ、明日も早いため、登録はまた今度にさせてください。
>>179
趙衛殿
おっさんの小言と思って聞いてください。
たとえ作中の登場人物のことであっても、「あまり頭の良くない人」などと、上から目線と取られても仕方のない書き方をされたら、それだけで十分に不愉快な気分になります。
断っておきますが、私は
>>173
の書き込み「だけ」でもって、こんな小言を書くに至ったわけではありません。
これまでの貴方の書き込み内容に何度か首を傾げてきた、その結果です。
互いの顔も素性もわからないネット上での書き込みは、たとえ悪意がなかったとしても、相手を不快にさせる危険性を多分に秘めています。
ネタ振りスレッドの方で既に書き込みがあったようですが、今回自覚されたように、書き込む際には慎重さが大事ということを、頭の片隅に留めておいてください。
それと、ネタ振りスレッドの
>>726
で貴方が示した内容ですが、これを読むと、
>>715
で琉蹴殿が貴方に提示した各レスについて、貴方がまったく読んでいないか、あるいは斜め読みで済ませたか、あるいは一応読んだが「煩わしい」の一言で終わらせたように感じられてなりません。
今、本編に登場している琉蹴殿の分身は、当時の琉蹴殿がここの掲示板で、いろいろな試行錯誤を重ねた結果として存在しています。
琉蹴殿が示そうとしたのは、そんな当時の「経験」であり、そして貴方への「助言」です。
私は、ここの住民の皆さんへの対応を、来訪歴の長短でもって区別するつもりは全くありませんが、少なくともここの掲示板の動きを貴方より知っている人が示してくれた好意には、真摯に対応すべきだと思いますよ。
取りあえず、
>>726
の内容では、貴方が本編の中で自分の分身に何をさせたいのか、管理人には判断のしようがありません。
184
:
趙衛
:2009/03/23(月) 17:15:36
この発言読んでなかったので遅れました。
呂砲殿下
すみませんそこまで考えてませんでした。本当に申し訳ありません。
悪意がなくても相手が不快に思う。と言うのは僕もそう思います。いじめもその類だと思います。
↑の台詞を見た後なので言い訳に感じられるかもしれませんが、
本当に悪意はなく、不注意でした。自分の書いた文を読み返すこともありませんし。
できればいろいろお教え下されば、光栄に存じます。
ネタ振りスレッドの715のレスですが、きっと斜め読みしたものと思われます。
少しは見たものとは思われますが、多分じっくり読んでませんでした。
のでキャラについてはこれからちゃんと考えます。
それと琉蹴さんに、ちゃんと注意を読んでなくて済みませんでした。
それとまだ義務教育も終わっていないような未熟者もとい愚か者に注意していただき、有り難うございます。
僕は剣道をやっていますが、先生には注意などを言ってくれるのはありがたいことだ。
と、教えられてるので悪いと思ったことはたくさん言ってくれると光栄です。
その方が皆様に迷惑をかけることも無くなると思います。
185
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/03/24(火) 01:32:14
>>184
趙衛殿
剣道部所属でしたか。
今春、めでたく志望大学に合格した公孫栄殿も、剣道をしていたそうです。
これに引っ掛けて、本編公孫栄は「剣の道を極めんと励む親衛隊副隊長。でも、まだ人を斬ったことがない」という設定になっています。
管理人一人の創造力だけでもって本編を進めていたなら、登場人物が増えるにつれて、似たような人物の“量産”に終始していたでしょう。
しかし、このサイトでは、皆さんからのネタ振りや、あるいはちょっとした雑談の中で管理人がその人に感じた雰囲気が、その登場人物のキャラクターに反映される余地があります。
何度か「分身」という言葉を使ったのは、そういう意味もあるのです。
これからの趙衛殿からのネタ振り、そして雑談スレ等でのやり取りを楽しみにしております。
それらのやり取りが、本編中の趙衛殿の「分身」の“肉付け”にも繋がっていきます。
186
:
参露の中の人
:2009/03/25(水) 01:50:52
>>184
へおっさんのちょっと遅い小言
>自分の書いた文を読み返すこともありませんし。
元物書きの端くれとしてこの一文は全くいただけない。というか、ありえない。
推敲はしっかりな。書き込みボタンを押す前に本当にこれで投稿して良いかを常に考える事。
書き込みの原案を紙に書いて2・3日後にもう一度見直してOKサインが出せる位まで煮詰めた文章を心掛ける事。
自分自身推敲を終えて「これでよし」と書き込んだ文章でも数ヵ月後には恥ずかしい思いをするそれがしからの最初で最後かもしれない忠告だ。
187
:
趙衛
:2009/03/25(水) 08:40:32
書き込みを2・3日後にまた見直すと言うことは、
1回1回やってたらきりがないように思えるのですが。
それとも、そういう気持ちで書くように。と言うことですか?
188
:
茸松
:2009/03/25(水) 09:42:58
初投稿。
チームプレー:帝都混迷ー8で公孫栄の脳内に現れた語句。
呂砲が日静と闘将布亜瑠虎を取り返すために曹表と
「チームプレー」を行い見事に取り返した。
なお「以心伝心」のほうが正しい気がする。
孟達:①初めは劉璋に属していたが郭図公則の内通に応じ、
涼の巴侵攻戦の時に約束どうりに寝返り大勝利に貢献した。
現在、第2軍に属している。
②三国志Ⅷでは義理が低く呂布とともに裏切りの代名詞になっている。
劉璋を滅ぼすときは「よし孟達寝返らせっか」見たいな軽いノリで
内通させられる悲しい将。
黄金に光るおまんじゅう:②205年評定を見る限り曹表のみ本当に「おまんじゅう」
をもらっている。
曹表:なんやかんやで一番呂砲の隠し子っぽい人物。
曹表の項目は曖昧で完全に主観なので気に入らなかったら無視してください。
189
:
趙衛
:2009/03/25(水) 10:28:23
曹表が隠し子なら温寧が母?考え方似ていそうだし。
じゃあ温寧はもっと昇進してるか。
鼻から出た固形物:主に曹表に向かって飛ばされる物。
公孫栄が呂砲に対して怒った時に口の中に飛んできた。
↑いいのかな?
190
:
参露の中の人
:2009/03/25(水) 21:02:13
>>187
愚問…というべきか?
普通は“そういう気持ちで書くように。”と捉える。
ただ、ここはN速やVIPじゃない。ほぼ全てにおいてそこまで進行の早い板じゃない。
真剣な話“1回1回やっていっても十二分に進行には間に合う”
だからたとえ面倒でも最初の内は「紙に書き起こして2・3日放置して…」というプロセスを踏むべきだと思う。
このスレの趣旨が「大涼広辞苑を作る」だから少なくともここに書き込む時はそうするべきだろう。
どうも活字離れ甚だしい人間がここに飛び込んでいるような感じを受ける。
文庫本で良いから小説を1ヶ月に1冊(大体300〜400ページ分)読め。
携帯小説やライトノベルは却下。あれは活字離れ甚だしい人間が書いた雑記としか思えない物が大半だ。
推奨作は「三国志」「水滸伝」最近の作では「世界を創った男チンギス・ハン」位か…
191
:
趙衛
:2009/03/25(水) 22:04:50
近くに図書館有るので日曜あたりに行ってきます。
三国志などの小説も有りましたし。
春休みですが、部活があって道場あってと起きてる時間の半分くらい剣道なので、
日曜あたりに行ってきます。めっちゃ暇だと思うし。
水滸伝はまだ漫画しか読んだこと無いような。
192
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/03/26(木) 00:52:19
>>188
茸松殿
「孟達」、「黄金に光るおまんじゅう」、「曹表」、それぞれ登録しました
ただ、「チームプレー」のくだりの解釈は違うと思いますよ。
漢代の人間である本編公孫栄が「チームプレーだ!」なんて言葉を発したり、思ったりしたなら確かにおかしいですけど、「帝都混迷」の中で書いたそれは、公孫栄の脳内に浮かんだ言葉としてではなく、作者目線での表現にしてあるはずです。
だからこそ、カタカナ文字が使える許容範囲と判断したわけで。
なお、「チームプレー」ではなく、「チームワーク」ですね。
>趙衛殿
三国志モノなら、ここでは既に毎度おなじみとなっている「天の華・地の風」、通称江森三国志をお勧めします。
中学生の趙衛殿にはちょっとよろしくないかもしれない表現も端々にありますが、文体は非常に流麗で、リアリティーに溢れた三国志です。
弊サイト雑記帳にレビューがありますので、そちらもどうぞ。
そして、酒見賢一の「泣き虫弱虫諸葛孔明」。
読んでみれば、この作者さんが様々な事象に造詣が深く、知識も豊富であることがわかりますが、それをまったく鼻にかける風もなく、時折腹を抱えて笑えるギャグを織り交ぜているところが素晴らしい。
三国志モノ以外では、横山秀夫の諸小説。
去年映画になった「クライマーズハイ」の作者さんで、警察やマスコミを舞台にした小説が多いです。
主人公が組織の中で悩み苦しむ話がしばしばあり、登場人物を組織という枠組みに絡めて描写する、という手法において、管理人も参考にしている作者さんです。
あと、毛並みはかなり違いますが、夏目漱石の「こころ」。
大きく揺れ動いていく主人公の心理描写は、さすが明治の文豪といったところでしょう。
193
:
参露の中の人
:2009/03/27(金) 20:08:06
>>192
殿下
江森三国志…「アッー!」的な内容がふんだんに盛り込まれながら
その表現無しには面白みの無い代物と以前殿下自身が仰っていた物では…
多感な時期にある少年に見せて良い代物ではないと思いますが…
というか、それで趙衛殿が「目覚め」て…ゲフンゴフン
194
:
趙衛
:2009/03/27(金) 21:24:15
え・・・そんな本ですか・・・
多分僕は目に入らないと思いますよ。
確かに思春期ですが、恋という感情も持ったこと無いですし。
195
:
琉蹴
:2009/03/27(金) 21:54:36
>>193
参露の中の人殿
自分は立ち読みしましたが、『目覚め』はしませんでした。笑
でも”あの本”はちょっと、ですよねぇ。
>>194
趙衛殿
試しに立ち読みしてみてください。
個人的には
歴史物は陳舜臣さんの作品が好きです。
他ジャンルではメジャーな人が多いですが、
東野圭吾さん、村上龍さん、野沢尚さんとかが好きです。
お勧めしておきます。
196
:
趙衛
:2009/03/27(金) 22:43:24
一気にすべては無理ですが、少しずつ読んでいきます。
197
:
關龍白
:2009/03/29(日) 02:23:24
衝車:装甲された攻城塔のこと。用途は高さを利用して中から搭載した兵器(長兵器や弩、砲等)を使い城内を射撃、城壁に接近し女墻を破壊し城壁に侵入。臨衝、対楼とも呼ばれる。墨子に記述があることから春秋戦国期には存在し、最後に使用されたのが1851年の太平天国軍による桂林攻撃である。ちなみに蒼天航路の衝車は衝車ではない。
勅使:皇帝の使者 皇帝の代理人でもあるので勅使の官位が低くても敬意を払わなくてはならない。
陳留:もともとは臨済と呼ばれていたが秦の時代に陳留と改称される。秦末に魏王咎が章邯に敗れ焼身自殺した地。
198
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/03/29(日) 04:41:35
>>193
参露殿
うん。
俺が趙衛殿の保護者か担任教師だったら、「おまえにはまだ早いわい!」と怒りそうな気がする(笑
>>197
關龍白殿
登録しました。
衝車ってのは、弓ほどではないにせよ、おそろしく長期間にわたって使用され続けた兵器だったんですね。
章邯は「項羽と劉邦」、そして「赤龍王」の影響で、かなり好きな人物です。
秦のために死力を尽くし、並ぶ者のない武功を挙げながら、秦の人民から「裏切り者」と憎まれ、悲劇の最期を迎える。。。
管理人の中で章邯は、楚漢攻防戦において項羽に次ぐ主役級の位置づけだったりする(笑
199
:
真衣
:2009/03/29(日) 16:10:13
本の話題だったのでお久しぶりながら参戦。
呂砲殿がおっしゃっているので、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を
お薦めします。これを読んで漢の成り立ちを勉強しました。
後漢についても気になったので塚本なんたらの光武帝も買ったのですが、
まだ読んでなし(汗)。読む物がたまっていて困ってます。
志賀直哉は短編集一作読んだだけですが、お薦めです。
ただ、物を書く身としてはショックを受けます。
というのは、一生この文章に近づけないのではと自分の遠く及ばない
技術に落胆するからですが。
カキコでなくても自分の文章を読み返すのは大事だと思います。
誤字をなくすのが第一、自分の文章によって他人がどう読み取るかまで
考えるのが一流です。携帯のメールでももちろん気をつけると思いますが、
受け取る相手や内容にもよると思います。
この掲示板の場合、不特定多数が見ているので
特に気をつけなければいけないと思って書いています。
が、以前は失礼をした身なので他人にアドバイスできる器じゃないです。
とにかくどんなものにしろ、受け取る相手がいる以上自覚を持つ事が大事かと。
私はまだまだ修行中の身ですが。
この掲示板が良い発展に向かうのを期待しています。
200
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/03/30(月) 10:29:32
>>199
真衣殿
そういや、志賀直哉は今まで読んだことがなかった。
ちょっとネットで調べてみたら、「小説の神様」とも呼ばれているとか。
今度本屋を覗いてみよう。
201
:
趙衛
:2009/04/03(金) 16:40:53
辞典に倍攻略戦(ばいこうりゃくせん)とありますが、涪攻略戦(ふこうりゃくせん)なのでは?
確かⅧではそうだったような・・・
202
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/04/04(土) 00:24:32
>>201
趙衛殿
ウチのパソコンではその文字が打てないので、似たような字ということで「倍」にしたわけですが、確かに読みは「フ」にしなくちゃいかんですね。
訂正しました。
204
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/04/06(月) 23:04:16
「涼旗降納(その四)」からの新規登録分です。
「鮮卑」「馬鉄」「雍州」「楊丙」
205
:
朔夜
:2009/04/14(火) 18:05:25
朔夜:成都の東の馬産地の「巴蜀では」五本の指に入る実力牧場の主。速さは無いが耐久性に優れた「暗黒荒無」種を主に扱う。弟が一人。
劉焉の時代より旧蜀軍と誼があり、特に劉カイとは馬の好みから親交が深かった。
だが呂砲の台頭で益州の戦が全くなくなったことにより巴蜀の馬は殆ど買われる事がなくなった為、呂砲や七同志を恨んでいる。
性格は井の中の蛙。弱いものには強いが強い物には弱い典型的な商人気質。都合の悪い事があると陰口を叩く悪癖がある。
愛馬は「茂家走」成都での競技会では負けを知る事の無かった名馬である。
キャラ立てをしておかないと話が作りにくいと思い作ってみました。
ドラ○もんの●ネオみたいな性格でお願いしますw
206
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/04/16(木) 08:30:30
>>205
朔夜殿
すいません、書き込みに先ほど気付き、登録しました。
>ドラ○もんの●ネオみたいな性格でお願いしますw
そう言っていただけるとありがたい。
憚り無く「イヤなヤツ」にしてしまえる(笑
207
:
大月氏の馬商人
:2009/04/16(木) 10:14:12
波羽於莉(はうおり):ソグドの商人。本名を伝えても発音が難しいのか、大抵『大月氏の』とか『馬商人』とか呼ばれている。
元々交易商人として生活していたが、とあることが原因で匈奴の一族長の娘と結婚することになり、以後は主に馬を扱う様になった。
その経緯もあり、一応は族長の立場なのだが、そっちは妻と義弟に任せっきりである。
名馬の噂を聞けば、一刻後には馬体検査の真っ最中らしい。
208
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/04/17(金) 09:49:45
>>207
大月氏の馬商人殿
登録しました。
家庭も部族も顧みず、好きな馬絡みの生活…………けっこう羨ましいです(笑
209
:
成抗
:2009/04/17(金) 12:16:40
>>207
家族も部族も省みないのに、なぜか片腕の偏屈者に読み書きそろばんに、
戦略的思考法まで教え込む、その世話好き…
ま、まさか、呂砲殿下と曹表殿のような嗜好!?
…ウソです、ごめんなさい。
210
:
大月氏の馬商人
:2009/04/17(金) 15:19:16
>>208
殿下
ええ、そういう生活してみたいです(笑
>>209
成抗殿
や ら な い か ?
ではなくて、おそらくは馴致みたいなものかと(笑
面白いモノを見つけるとついつい首をつっこむ質なんですよ、たぶん。
成抗:半羌という血統、隻腕という見栄えのしない容貌、激しい気性と頭の良さ。
まさに日静。(波羽於莉 評)
211
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/04/17(金) 17:43:17
>>209
成抗殿
曹表ハシランケド、呂砲ハヤローノカラダナンカニキョーミネーヨ! ヽ(`Д´)ノ プンスカ
>>210
大月氏の馬商人殿
それも登録しました(笑
「馴致」というのは、正しい意味は別として、わかるような気がします。
別に自分の得になるわけでもないのに、目の前の人間に色々と教えたがる人っていますもんね。
212
:
趙衛
:2009/04/17(金) 23:40:35
贅沢戦法:呂砲軍が一騎打ちをする時に実行する戦法。
2ターン目で気力を貯めて、大技・反撃を気力消費状態で繰り出す方法。
涼軍は皆この戦法を使うが、普段訓練されているのか、寝返ってもこの戦法は使われるのか。などの疑問も多々。
この戦法が訓練されるのなら、一緒に武力も上がれよ!と突っ込みたくなる。
4行目は消してもいいです。
一騎打ち話題
一騎打ちで最大どれくらいの武力の差まで勝つことができるのだろう。と考えてみた。
だけど武力98の武将を作って武力108の呂布に挑んでもいとも簡単に負けた。
実際、関羽・張飛でも呂布に対抗は難しいことも判明。
結局、一騎打ちで呂布を倒せたのは武力100で、七星宝刀(+10)を装備。
でもきつい。七星宝刀は嫁に3つの装飾品を送れば貰える。
ちなみにアイテムコレクションをコンプすると将軍キャラでも武力・魅力100は可能。
同じように軍師も知力・政治が100まで可能。
イベントコンプは顔グラ。
結構ネタバレが入ってしまったようで・・・しかも脱線。
では戻します。
で、結局奥義が出るか出ないかと言うこともあるので実証不可能。まぁいいや(笑
奥義ネタでは、大技・消費もしくは小技・消費でできる。小技・消費はやるだけ無駄。
反撃は結構ダメージを受けてしまうため、僕は堅守。
それに防御に消費は奥義にも関係ないし、堅守してればダメージは少ないことも判明。よって連続で一騎打ちも可能。(最高4回勝利)
防御は堅守でなんとかなるため、防御・消費は気力の無駄と判断。
威圧・挑発は挑発はまず駄目。意味が無い。気力使わせて余計ダメージ大。
威圧は逆にピンチの時は効果的。でも普通は使う時は少ない。
回復に関しては、気力が尽きたら使う。と言う方法を採用。
で、僕は、
大技・消費、堅守・消費の逆(名前忘れた)
5ターン目、気力が尽きるため回復。
の繰り返しをしてます。
威圧をかけられれば回復で気力を戻す。挑発は大技・反撃にしてその後回復する。
半年前までは、贅沢戦法と同じようにしてました。
でもなんかパクリっぽいので、自分でテストプレーをしてオリジナルを作って完成させました。
いろいろ書いて長々なってしまいました・・・すみません。
完成後はなんか愛着が湧いてもう研究心が空っぽになってしまいました。
勉強は10分と持たないのに、これを研究するために1週間掛かってしまった。
213
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/04/18(土) 01:26:08
>>212
趙衛殿
趙衛殿の文章は、「。」のおかしな使い方がしばしば見られます。
>涼軍は皆この戦法を使うが、普段訓練されているのか、寝返ってもこの戦法は使われるのか。などの疑問も多々。
→涼軍は皆この戦法を使うが、普段訓練されているのか、寝返ってもこの戦法は使われるのか、などの疑問も多々。
ちなみに、贅沢戦法はゲームをする上でのテクニックに過ぎませんから、寝返ったCPU武将がこの戦法を使うはずもないことは言うまでもありません。
また、「疑問も多々」ということですが、他にも何か疑問に感じるようなことがあるのですか?
214
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/04/18(土) 01:50:55
>趙衛殿
言葉足らずの感もあるので、追加します。
趙衛殿の文章は、句読点の使い方、体言止めの使い方、改行の打ち方、同義語の二重使用と、かなり雑です。
このため、今回に限らず、いずれもかなり読みにくい文章となっています。
読みにくい文章は、内容の理解が困難となります。
趙衛殿本人が理解していても、読み手が理解できなければ話になりませんし、何よりこれだけ情報が氾濫している時代において、「読みにくく、理解しにくい」文章は、そもそも読んで「もらう」対象とはなりえません。
そして、読んでもらえなければ、せっかく趙衛殿が時間をかけて調べたことも、そしてまとめたことも、意味を持たなくなります。
書き込む前に数回、自分の文章を声に出して読んでみてください。
それを経て推敲することで、文章はガラリと変わってくると思います。
215
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/05/02(土) 02:07:21
「涼旗降納(その五)」からの新規登録分です。
「司馬徽」「宝の山」「茸松」「茸松の母」「禿げ山」
216
:
琉蹴
:2009/05/06(水) 13:52:14
司馬徽:字は徳操。号は水鏡。 口癖は「よいぞよいぞ」。
龐徳公を兄として仕え、水鏡の号を名付けられた。
龐統の才能を見出し、徐庶や向朗などを門下生とした。
荊州を支配していた劉表には仕えず、隠士として暮らしていた。
劉蒴が曹操に降伏すると曹操に召し出されたが、間もなく死去した。
よく老人の容貌で描かれているが、『演義』の文中には、
「司馬徽は龐統より5歳年上」とあり、史実上は年齢不詳であるが、
『演義』は司馬徽を老人と見ていない。
217
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/05/07(木) 11:43:42
>>216
琉蹴殿
登録しました。
司馬徽と会った頃の劉備はけっこうな年齢になっていたわけですが、そんな男に「よしよし」だけで済ませた水鏡の神経の太さは、ある意味凄いものがありますね(笑
218
:
琉蹴
:2009/05/10(日) 00:20:33
>>217
殿下
司馬徽殿は『赤壁で戦いたいので』で一度殿下の前に現れているんですね。笑
『獅子身中の虫』のくだりの殿下の返しには笑ってしまいました。
筆頭軍師:希代之のこと。涼で最も知力の高く、呂砲に信頼される者がこれに任命される。
・・・と勝手に認識しておりますが、大丈夫でしょうか?
副軍師:郭図公則のこと。彼が離反したが、この地位を新たに任命される者は出るのか?
・・・郭図公則編が終わったあと、涼の知恵者(法正や陸遜、程碰ら)が副軍師の地位を争い、七同志の地位を他の武将らが争うのでしょうね。
補給線:攻撃側にのみ現れる、砦を軸とした線。この線が兵糧が届く限界線となっており、超えると兵糧不足になり、士気が低下する。砦を破壊すればなくなる。また、関のある戦場には砦がないため、現れない。
219
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/05/10(日) 19:54:30
>>218
琉蹴殿
ゲーム中の知力の高さから、「希代之→筆頭軍師。郭図公則→副軍師」としただけで、当時は特段考えがあったわけではなかったのですが、今にして思えば、「逆じゃなくてよかった」とつくづく思います。
郭図公則の中の人がなかなかクセのあるキャラで、ネタ振りもその性格を反映したものでしたから、もし逆の役職だったなら、本編希代之はかなり骨抜きされた描写になっていたかもしれません。
「筆頭軍師は、自分。郭図公則はあくまでも、『副』に過ぎない」という矜持を、本編希代之が持てるような背景があったからこそ、管理人も本編希代之を、「郭図公則と対峙するだけの能力と覇気を持つ人物」として描くことができた。
まったくの結果論ですが、そんな気がします。
220
:
茸松
:2009/05/11(月) 11:25:03
茸松:字は嬴政(エイセイ)。二人の兄がいた。
小さいときはその字から「独裁者」といわれいじめられていた。
それが原因で嫉妬深い人間になったと思われる。そのときの口癖は「偉くなったら、一生万里の長城を増築させてやるからな」
なお、なぜ彼がなぜそんな字をつけたのかは定かではない。
その後司馬徽塾に入り、どんどん力をつけていき、人間関係も広げていった。
とくに龐統とは義兄弟になるほどの仲であり、龐家とも家族の様な仲である。
204年、彼の父親が死亡すると、彼の母親の提案で許昌に移住。
そこからの2年間、「丁秦に山をもらう」としか記述がなく、彼が何をしていたかは不明である。
その後、涼に徴兵され陸遜隊に配属。業β攻略戦に一般兵として参加。
207年、そこまでの経緯は不明であるが「親衛隊参謀」に昇進する。
ちなみに中の人の目標は黒田孝高である。
あとづけ設定が多くてすいません。できれば本編中でも「204年からの2年間」はいじらないでもらいたいです。
目標は黒田孝高だ。がんばるぜぇぇ!
221
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/05/11(月) 21:26:55
>>220
茸松殿
ついでに母上様についても、愛情のたっぷりこもった設定をよろしくお願いします(笑
222
:
琉蹴
:2009/05/11(月) 23:26:09
>>220
茸松殿
黒田孝高ですか。
自分は最近になって
『あ、オレは直江兼続のようになりたいのか。』
と思いはじめました。おそらく大河ドラマの影響もありましょうけど。
彼は常に君主のため、上杉家のため、そして国のためを思い行動し続けました。
数々の戦も武力の面だけでなく政治の面からも見ることが出来ていました。
文武に政治に、人としても優れていた、彼のようなものになりたいです。
結局越後は守ることは出来ず、家康に降伏し上杉景勝は出羽米沢30万石へと減領になりましたが、上杉家を守り抜くことが出来たことは大きいと思います。
馬超も景勝のような人物になって欲しいものです。
若くして副官(側近)になるなど、少しだけ境遇が似てますしね。
223
:
成抗
:2009/05/12(火) 00:16:18
>>222
琉蹴殿
つまり、琉蹴殿は「戦国世界の中心でLOVEを叫ぶ」男になりたいと…
あ、いや、冗談です。あの「意地でも髷はカメラワークで見せないぞ!
前髪は現代イケメン風カットにするぞ!」の国営放送ドラマを見て
つい、口に出てしまって…
結果論ではありますが、直江兼続のマイナスポイントとしては
・五大老としての格から「徳川家康に対抗せねばならぬ」と思い込んでしまったこと
(前田家でも徳川家康に屈服した&伊達政宗も石田三成に勝ち目などないと見切っていた)
・それならば、と自領周辺だけでも分捕りまくる黒田如水のようなことさえできなかった
(結城秀康相手に攻めることができず、伊達政宗に背後をつつかれまくり、最後の
意地で最上をせめるが、それさえ落としきれない)
と、「上杉謙信からなる戦国最強の越後兵が公証120万石を元手に天下の
争覇戦にのりだしたのに、何もできなかった」とケチが付き捲った結果に
なったので…(関が原が一日で終わってしまったことは伊達政宗以上に、
上杉家にとって大誤算であり、戦国最強の上杉家が伊達に最上だけでなく、
里見やらのややマイナーどころにも勝てなかったなど。この奥州関が原
といえる戦いでの撤退は見事だったらしいです)
琉蹴殿も勝負どころで、直江兼続のように、「ここで勝ったら天下が取れる」で
運に見放されぬよう… そういえば、たった一度の戦、それもすべてをかけた
戦で以前の功績にケチがついてしまうという点で、郭図公則殿と直江兼続は
似ているかもしれませんね。
224
:
琉蹴
:2009/05/12(火) 01:27:25
>>223
成抗殿
確かに長谷堂城の戦いでは1万8000の兵を率いて1000しかいない城を落とせなかった、など実践での勝負弱さが多々目に付きますよね。
ですが、貴殿の仰る通り、その後の撤退戦では素晴らしい戦を行っておりますし。
少し諸葛亮的なところがあったのかな?とも思います。
馬超は実践に強いのでそこはカバーしてもらって、逆に馬超に足りない部分をカバーできるかな?、と考えております。
今回の洛陽戦では初めての実践でそういう部分も露わに・・・。
余談ですが、妻夫木聡より北村一輝、玉山鉄二のほうが好きです。笑
どうにかして景虎と景勝には和睦して欲しかったなぁ、なんて思ってたり。
225
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/05/13(水) 01:17:54
直江兼続は、人によって極端に評価が分かれますね。
佐藤大輔の「覇王信長伝」では、真田軍に足止めされて半泣きになる兼続が登場しますし、田中芳樹も直江兼続を「実はこの人は、何もしていないんですよね」と批判しています。
家康にケンカを吹っかけながら、右往左往した挙句、「上杉家減封三分の一」という悲惨な結果を招いただけの人、と。
そんな兼続が良い意味で有名になれたのは、小説「関ヶ原」を執筆した司馬遼太郎の文章力のおかげだ、とも書いてありました。
私は「関ヶ原」は読んでいませんが、ジャンプで連載していた「花の慶次」で「兼続って渋いなー」と影響を受けたクチだったので、好きな作家である佐藤・田中両氏のその描写&指摘はショックでしたねぇ(笑
客観的に認められる兼続の能力・功績は、武将としてのものではなく、大幅に減封された上杉氏の財政を回復させた、その経営手腕ということになるのでしょう。
戦場での活躍譚と比べれば地味ですが、「天地人」の放送にかこつけたその手のビジネス本も出ているそうですし。
ただ、上杉氏の減封も、元を辿れば兼続が「直江状」を家康に送りつけたから…………という解釈もできるところが、尚更この人の評価を難しくしているような気もします。
226
:
朔夜
◆WXBSylF1Z.
:2009/05/16(土) 02:45:11
袁紹:字は本初。豫州汝南郡汝陽県の出身。大将軍の何進と協力して激しく宦官と対立し、董卓の乱の際には首都の洛陽より奔って河内にて兵を挙げた。
後に河北四州を支配するまでに勢力を拡大したが、曹操軍の驚異的な北征に耐え切れず後事を袁譚に託し病没。
三悪とほぼ同勢力を持ち郭図公則物語のキーパーソンでもある郭図を配する袁家旧主袁紹本初ですが、本編見返した所殆どといって良いほど出番がありません(笑)
中盤までに所領の中心的半分を曹操に奪われ涼軍が曹操に手を出した事により存続出来た感が強く史実以上に良い所なしで病没してしまった可哀想な君主様です。
227
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/05/16(土) 14:34:19
>朔夜殿
袁紹が無能な人だったとは思いませんが、少なくとも乱世向きの人ではありませんね。
後継者選び、決戦における優柔不断、臣下の具申の判断能力、そして、臣下の忠義の受け止め方。
郭嘉の袁紹評&曹操評を見るまでもなく、乱世の覇者として成功するには、いずれも厳しい水準だったのでしょう。
228
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/06/04(木) 00:26:41
「涼旗降納」の「その六」と「その七」から追加分です。
「参軍」「光禄勲」「ハッタリ」「桃の染料」「乳香」「町費の左手の小指」
ハッタリ(はったり):呂砲の数少ない武器。
229
:
参露の中の人
:2009/06/27(土) 20:13:24
乳香:ウィキペディア等を見るにサイズ的には1〜2cmあれば十分大きいと思われる。
にもかかわらず茸松殿が手にした物が屑同然と称されたのはおそらく製造過程において
リアルでゴミやホコリ、チリなどが大量混入してしまったものではないかと推測される。
食することが可能とは言え、そのようなゴミまみれになった乳香は
ジャリジャリと砂を噛んだような感触も同時に味わえるであろう。
香りと言う点においても不純物だらけで香炉に置いて楽しむ事は難しいのではないだろうか。
230
:
大月氏の馬商人
:2009/06/27(土) 21:31:31
>>229
参露殿
「香りが弱くて色合いも悪く産地も不明という最低ランクの乳香に、
そこそこの品質の乳香をひとかけら砕いて混ぜ合わせたものでございます。
商人のプライドにかけて、粗悪品を押しつけることはいたしません。」
ということではいかがでしょう?
231
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/06/28(日) 08:52:36
>>229
参露殿
>>230
大月氏の馬商人殿
クレームに対する販売側の釈明っぽくておもしろいので、二人の書き込みをそのまま登録(笑
しかし、乳香ってあんな形だったのか(←wikiで「乳香」を調べていなかったヤツ)
俺はてっきり、羊羹みたいな形かとばかり……。
232
:
大月氏の馬商人
:2009/06/28(日) 23:07:34
>>231
殿下
そのまま登録されるとは(笑
ちなみに、本編波羽於莉は敬虔ではないものの、一応ゾロアスター教徒なのです。
そういうわけで、火や光に関する商品には一切手抜きは致しませんです。ハイ。
ネタふりで宗教が登場しましたので、一応主張しておこうかと。
233
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/07/29(水) 00:40:42
新規追加です。
「漢中」「義舎」「五斗米道」「張富」「班龍」「費詩」「劉璋」
234
:
琉蹴
:2009/09/09(水) 01:02:22
五斗米道:張陵が後漢末に鵠鳴山で起こした道教。後、張衡が継ぎ、三代目張魯が拠点を漢中に移した。名前の由来は信者に五斗の米を寄進させたことから。祈祷により病を治したり、流民に無料で食事を提供する場を設けた。張魯は張陵を天師として崇め、自らを師君、幹部らを祭酒、一般信者を鬼卒と階級をつけた。史実では215年に曹操に侵攻されたときに帰順し、保護を受けながら拡大していった。また正一教として現存している。
235
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/09/11(金) 10:44:48
>>234
琉蹴殿
登録しました。
多謝。
「涼旗降納(その十)」、「涼旗降納(その十一)」からの新規追加です。
王平、洲麟、西平、董和
236
:
長史
:2009/09/22(火) 00:18:36
食い逃げ:飲食店にて飲食後に、代金を払わずに逃げる不埒な犯罪。
一般的にはかなり少なくなって来ており、大変せこい犯罪と言われている。
手配書:希代之と町費が作成した手配書。よく出来た似顔絵付。
殺人、傷害、強盗、窃盗、詐欺、食い逃げをした大悪人を捕らえる為の物。
捕らえた者は金100が与えられる。
何故か呂砲がこれが公孫師の手に渡る事を恐れている。
237
:
琉蹴
:2009/09/22(火) 20:02:51
広辞苑のほうでは錐丙、
本編では錘柄となっておりますが、どちらでしょうか?
238
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/09/23(水) 21:24:14
「孤立無援(その一)」から新規追加です。
岳遼、黄蓋、周瑜、程普、呂蒙
>>236
長史殿
登録しました。
本編呂砲の器の小ささとセコさがよくわかる(笑
>>237
琉蹴殿
「錘柄」が正しいです。訂正しました。
なんで広辞苑だけそんな字にしてたんだろ?
239
:
琉蹴
:2009/09/24(木) 00:37:32
>>238
殿下
了解です。
自分もスピンオフ書いてみようかと思っております。
琉蹴のと趙雲のを。
琉蹴は馬家の約など長文になりそうだ。。。
とはいえ受験終わってからでしょうけど。
部活も今週負けてしまって終わりましたし。。。
とりあえず勉強がんばります。
240
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/09/25(金) 21:35:45
>>239
琉蹴殿
部活動完遂、お疲れ様でした。
次なる山場、大学入試に向けて、気合を入れなおして頑張ってください。
本編趙雲のスピンオフも、じっくり待っております。
この人はこの人で、いくらでも想像を巡らせる経歴の人なので、非常に楽しみです。
241
:
琉蹴
:2009/09/26(土) 23:57:09
>>240
殿下
大雑把に本編読み返してみてみましたが、いきなり公孫サン滅亡して袁紹配下になってますね。
そのあとは趙雲に関する記述は死ぬところまで見かけませんでしたので(見落としてると思うので見つけたらしてください)そのあたりの劉備への葛藤、曹操につくまでの経緯は創作でいこうと思ってます。
242
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/09/27(日) 01:26:28
>>241
琉蹴殿
「趙雲 kabahiko」で検索したところ、本編に趙雲の名が出てくるのは以下でした。
「いよいよ外征」、「謀臣たちの思惑(その一)」、「許昌攻略戦(その一、三、四)」、「業β攻略戦(その三)」、「業β再び(その一、二、三、八)」、「皇帝還行(その一)」
ただし、「謀臣たちの〜」以降では全て、既に趙雲は魏所属となっています。
このため、本編趙雲の遍歴を示すものは、「いよいよ外征」だけということになりそうです。
大いに創作の余地がありそうですぞ(笑
243
:
琉蹴
:2009/09/27(日) 13:20:45
>>242
殿下
お疲れさまです。
本編読みました。
抹稜攻略戦〜その七〜の伏線はここに繋がっていたのですね。
げ、そんなにありましたか。
すいません。
ちゃんと調べねば。
244
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/09/27(日) 16:33:56
>>243
琉蹴殿
「抹陵攻略戦(その七)」を書いた時は、「涼王暗殺&廬江騒動」で第二軍が大混乱となるのにかこつけて、魯粛や呂蒙らが暗躍する、という展開にするつもりでいました。
しかしながら、「郭図公則、叛す」で第二軍ネタを書いている間中、魯粛らの存在をパーフェクトに忘れていたため(←オイ)、ようやく今回、6年越しで伏線が繋がりました。
イヤ〜、実に長かった(笑
「いよいよ外征」では、袁紹配下となった趙雲の忠誠度が高かったため、引き抜き登用は断念しましたが、もしあの時、登用に成功していたなら、本編の中身もかなり変わったものとなっていたかもしれませんね。
245
:
成抗
:2009/09/30(水) 23:06:02
久しぶりに広辞苑の投稿を
呂蒙:姉の夫が孫策に仕えていたので、そのコネも有って登用される。
呉の都督の中で唯一の名家層ではない出身。というより、名家であったら孫策が敵視
してるので登用される可能性はかなり低くなる。
本編では、政戦両略に通じた孫策と周瑜が生存しているためか、猛勉強のすえに
儒者をしのぐ知性を得る…ということはなかった。
207年5月 涼の一隊長として遇されているところ、旧主の孫策に内通し、抹陵の城門を
開けようとする計画が発覚。吾玄に処断される形で死亡。
「呉下の阿蒙」のままの死であった。
士、別れて三日なれば、刮目して相待すべし:この台詞を本編の呂蒙が言うことは、ついになかった。
希代之:読みは「きだいし」 字は英傑。旗に書かれている文字が「希」なので、希が姓で、
代之が名と考えられる。魏の荀?ケの義弟。義兄と同じように勤皇思想の持ち主だが、
義兄と違って、曹操に対する敬意や忠誠心はない。また、勤皇思想ではあるが、
皇帝に対しては「自身の考える皇帝像」があるらしく、皇帝の廷臣と意見が対立することが
少なくない。皇帝に対する忠誠心も劉協その人に対してなのか、政治システム上の皇帝
なのかは、はっきりしないのかもしれない。
能力的には、武力・知力に秀でた戦場特化の軍師であり、魅力がやや低めと外交には
向いてなさそうではある。
しかしながら、優れた国家構想力を持ち、彼の存念がそのまま涼の行動方針となっている
ことは否定できない。これは、町費が現場の物流の流れに強いのに対して、国家構想力や
情報分析が苦手なことも関係しているだろう。さらに、ライバルであり、軍師として
万能型の郭図公則が敵となっていなくなったことにより、自身=涼と思い始めている。
絡め手が得意な郭図公則の策に対して、希代之の策は「果断」が特徴。
馬参の命を助けるための金10万の朝廷に対する一括払いや、万全の体制で
郭図公則との対峙に望むために、自身が否定している曹操との同盟、さらには
もっとも郭図公則を憎んでいるはずの町費を留守部隊に当てるなどに表現されている。
246
:
成抗
:2009/09/30(水) 23:22:03
ああ、荀イクのイクの字が化けてますね… カタカナのほうが良かったかも。
さらに、もう二つ。
希代之:意外な事に?本編では呂砲と七同志の中(あるいは、オリジナル登場人物中)で
唯一の正式な妻帯者である。
希代之細策団:郭図公則細策団のように、護衛兵や親衛隊をかねているかは不明。だが、
護衛隊長の命令で細策団が郭図公則暗殺未遂を引き起こしたので、少なくとも
きわめて密接な関係であることは確か。かつては郭図公則細策団とならんで、涼で
屈指のスパイ集団。今となっては「随一」である。郭図公則細策団と比べて、
人数では劣っているかもしれないが、質では負けておらず、翻武のダブルスパイ行為の
証拠を掴んだ上で泳がせるなど、結果を出し始めている。
なお、希代之がどのように(私設)細策団を作り上げたかは、今のところ不明。
郭図公則のように横領していたとも、彼の性格的に考えて可能性が低いので、
義兄が親族に自身の領土や収入を分け与えたように、手弁当で作り上げたのだろう。
なお、呂砲が自前の細策団をもっていなかったり、町費が蒼月を部下に入れたことに希代之が
警戒心を抱くなど、その存在は涼というよりも希代之のためだけにあるように見受けられる。
247
:
琉蹴
:2009/10/01(木) 01:48:35
>>246
成抗殿
細策でなく、細作、ですね。
希代之殿は唯一の妻帯者であったとは知りませんでした。
希代之殿の中の人は馬超好きのようで気が合いそうです。
248
:
成抗
:2009/10/01(木) 01:59:34
ありゃ。策ということばかり、言っている内に用語まで勘違いしてしまうとは…
琉蹴殿、ご指摘感謝です。
呂砲殿下、お手数ですが、訂正をお願いします。
249
:
殿下に似た傭兵隊長
:2009/10/01(木) 02:09:57
>>成抗殿
素晴らしいの一言です。
ケチをつける様な形となって申し訳ないですが、細策は細作ではないでしょうか?
楊丙
鮮卑族の出。
成抗の頭痛の種であり、馬鉄とは剣を抜き合う程に仲がいい。
参軍当初は、成抗に対して反抗的態度をとっていたが
酒場での件と西平の戦い以来、心服したようである。
その態度の変わり様は、成抗と張横も驚く程であった。
これは、彼の性格なのか試していたのかは不明である。
これは余談だが、後に合流するであろう朔夜とは好敵手となる予定
250
:
成抗
:2009/10/01(木) 10:11:17
>呂砲殿下
あ、呉の都督の中で、名家層ではないのは魯粛も同じでした(汗)
呂蒙の広辞苑ですが、「呉の都督の中で唯一の名声も金銭も少ない層からの出身」
ということでお願いします。
呉の都督(荊州担当)にして、軍師格の4人のなかで、
周瑜と陸遜が名家層の出身で、魯粛は新興豪族(お金はあるけど名声はない)で、
呂蒙だけがそのどちらでもないということです。
孫家自身が、新興豪族であり、孫策時代には名家層を敵視したのも下手に名家層を
組み込んだら孫家の中央集権ができなくなることを危惧していたからでした。
後に孫権が逆に名家層や豪族をどんどん組み入れて行ったのは、彼らの力を借りた
集団政治体制で政治の安定化を図るためと、二人の指導者の性格の違いが
よく現れている人事です。そうはいっても、孫権にとっても、名家層はあまり使い勝手の
良いものではなく、孫皎に皇族にして第一の将軍に育ってほしいと願っていたことなどを
考えると呂蒙は後10年は孫権にとってがんばってほしかった人材でしょう。
多分に孫家側の自業自得の面がありますが、孫権と陸遜、孫晧と陸凱(陸抗)など、
陸家とは対立寸前までいっていることもあり、名家層でもないのに、名家層以上の
知略を持つ人材とは孫家にとっては常に望まれていたのでした。
251
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/10/01(木) 23:31:47
「孤立無援(その二)」からの新規登録です。
宋謙、二虎競食の計、糧食配膳監督官
>>245
成抗殿
オオー、力作感謝です!
希代之の能力・キャラ・立ち位置等、よくわかりました。
なるほど、外からはこういう風に見えるのか。
「自身の考える皇帝像」や「自身=涼」、面白いですね。
これが後々、同じ勤皇派である町費との関係や、「涼こそ命」の廖衛、そして野望を捨てた馬参との間にどのような影響を及ぼすのか、おおいに使えそうです。
>希代之がどのように(私設)細策団を作り上げたかは、今のところ不明。
確かに。
手弁当となると、町費ほどではないにせよ、希代之もけっこう慎ましい生活を送っているのかもしれませんね。
あるいは、「呂砲軍の細作団を作ります」と呂砲を説得して勢力の金を堂々と使いながら、幹部に自分の息のかかった者を据えていた結果、意図するせざると関係なく、いつの間にか自分の私兵集団になっていたとか。
なお、希代之の名前ですが、希代之の中の人は、本編「こんな感じで始まった」の
>>31
で、「姓を希、名を代」としていたのですが、その後の
>>118
で姓を「希代」、名を「之」と改めていましたので、その部分は訂正しておきます。
ちなみに例の軍旗グラフィックは、郭図公則も「郭」の一文字だったりする(笑
>>249
楊丙殿
>後に合流するであろう朔夜とは好敵手となる予定
槍や騎乗技術についてはまだしも、走る馬を見抜く目においては、本編朔夜相手では少し分が悪いかもしれませんよ。
だって、08-09POGにおける傭兵隊長殿と朔夜殿の賞金差は、現在約1500万円(笑
ン? 本編呂砲の相馬眼?
エエ、もちろんただの良血好きミーハーなので、まったく当てになりませんが何か?
>>250
成抗殿
同じ勢力にありながら対立する、孫家と陸家。
涼の中に様々な派閥と対立関係を作ることが大好きな管理人的には、非常にそそります(笑
本編的には是非将来、取り入れたい要素ですが、今思いつくとしたら、劉家と呂家ですかね。
ただ、その場合は家の格はともかく、家の勢いに差があり過ぎて、対等な対立関係を構築することは難しいかな?
どこかで呂家と五分五分に近い対立が見込める名家が登場すればいいなぁ。
252
:
殿下に似た傭兵隊長
:2009/10/02(金) 00:09:30
>>殿下
いや、低確率の一発が出れば逆転できるよなと思ってたり(笑)
253
:
朔夜
◆WXBSylF1Z.
:2009/10/05(月) 05:57:17
>>249
楊丙殿
「好敵手・・・戦場じゃ将軍様方には敵わんですよ。」
254
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/12/12(土) 21:57:13
「孤立無援(その三〜五)」、及び「孤立無援(その六・とりあえず版)からの新規追加です。
「夏口」、「魏延」、「魏呉共闘」、「衝気」、「井蘭」、「葬儀」、「総予備」、「張允」、「超乙女」、「長沙」、「二虎競食の計」、「阜陵」、「霹靂車」、「呂範」、「烈女」、「魯粛の妻」、「魯真衣」
255
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2009/12/12(土) 21:57:45
「衝気」→「衝木」
256
:
朔夜
◆WXBSylF1Z.
:2010/01/02(土) 09:15:49
「張允」
【史実】(生年不明〜208年)
中国後漢時代末期の政治家、武将。荊州牧劉表またはそれに仕えた蔡瑁の甥にあたる。
劉蒴が曹操に降伏した後は、蔡瑁と共に曹操から水軍の組織を任されるが赤壁の緒戦で大敗。
その後両名の手腕を警戒した周瑜の策(内通の偽情報)によって蔡瑁共々処刑される。
【涼史】(生年不明〜207年)
劉表に仕えていたが病により劉備に家督を譲った事で劉表の外戚であった蔡瑁や張允はただの一般武将に格下げされた。
韓王(劉備)滅亡後はそのまま涼に仕えるが扱いは良くはならず鬱積した日々を送っていた。馬参助命賠償金事件時に涼への叛意を抱く。
洛陽反乱の後勅命に蔡瑁が襄陽で反旗を翻し呼応し駆けつけようとするも蔡瑁が関羽に殺害され仇討ちに出兵を急いだ所、
一校尉であった魏延に討ち取られる。
多少意訳も入ってますがこんな所でしょうか?
257
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2010/01/02(土) 18:50:38
>>256
朔夜殿
登録しました。
意訳ということもなく、本編張允の後半生は、まさしくその通りな感じだろうと思います。
感謝。
259
:
ミンメイ書房
:2010/01/19(火) 23:13:52
(闘将)布亜瑠虎:その名の由来は、中国において神話の時代、天帝(古代中国の最高神)
に仕え、その身をまもる武人「金剛の布亜瑠虎」である。彼は中国人においてはめずらしく、
金髪碧眼であり、その身からはっする気迫は金色の極光と感じるほどであったので
「金色の布亜瑠虎」とも呼ばれた。
布亜瑠虎が若かりしころ、「羅王」となのる修羅世界の王者が天帝の御座所近くまで
侵攻したおり、布亜瑠虎は自ら片足を切り落とし、血まみれの闘いになることを
回避したと言う。(余談だが羅王の乗る馬『刻凰』も赤兎馬が現れるまでは、
馬の中の英雄であり、奈無羅刻凰はその名をあやかってつけられたものである)
その後は、天帝を人質にとられ、のぞまむ悪鬼と成って戦った時期もあったが
最後は誇り有る勝利の実感と子供が生まれたことに満足して生涯を終えたといわれているl。
すみません。トウショウファルコの名の由来が北斗の拳のファルコと知って、
つい、与太を書いてしまいました。
260
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2010/01/20(水) 01:46:06
「野望乱立(その一)」より新規登録です。
「王晨」、「宦玄(初代)」、「宦玄(二代目)」、「宦玄(三代目)」、「宦玄(四代目)」、「近衛軍」、「十常侍」、「曹騰」、「大長秋」、「張譲」、「羅刹」
>>259
成抗殿
トウショウファルコの由来が「北斗の拳」だったとは、今の今まで知りませんでした。
本編呂砲はなかなかの謂れを持つ馬に乗っていたんですね。
で、見捨てられた、と(笑
「大涼広辞苑」の一番下にて、「番外編」としてupしました。
261
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2010/01/20(水) 10:14:44
たまには自分で登録もしないと。。。
宦玄・初代:自己陶酔の強い豪腕政治家
宦玄・二代目:空気を読めない扇動家
宦玄・三代目:初心を忘れた策謀家
262
:
真衣
:2010/01/21(木) 14:14:24
>>259
成抗殿
のぞまむ悪鬼となって→のぞまぬ
ではないでしょうか?
ネタ振りスレッド華麗にスルーありがとうございます(爆)。
しばらく成抗殿が掲示板に現れなかったので、
私が余計な事を書いてしまったせいではないかと
勝手に反省したりしてしまいました。
多分私は自意識過剰なだけだと思うのですが、
何もレスがないと私がつい余計な事を書いて呆れられ、
もはやレスするまでもない愚者めと思われたかと勝手に想像(妄想)
してしまう自虐的人間なので、すみません。
お気に障る表現でしたらこの場を借りてお詫びいたします。
263
:
成抗の中の人
:2010/01/21(木) 19:33:45
>>真衣殿
誤字の訂正、ありがとうございます。
それと、ネタフリスレでのことですが、特に意識的にスルーしたわけではないのです。
しかし、そのように思われたのであれば、申し訳なく思います。
レスを控えていた一番の理由は、余り頻繁に書き込んでは悪い意味で
私が目立ってしまうことになったら、それは本意ではないのです。
二番目の理由は「そんなに褒めてもらっても何もでないと言うか、穴があったら
入りたい」と思ってしまったので…掲示板に書き込んでる私は、いいこぶりっこ
だったりしてるので、良識が有るといわれるとなんともかんとも…
抜けてるところが多く、上司に怒られる日々の自分を振り返ると苦笑いばかりが(汗)
もし、私に良識が有るとすれば、多分、私が真衣殿よりも年齢が上であり、
しなくて良い苦労と、しておくべき苦労をしてこなかったことによって、少々の
視点の相違があるから、そのように見えるのだと思います。
キャラとしての成抗と中の人の共通点は「何者かになれなかった挫折感」であり、
相違点はキャラとしての成抗には、「なりたい何者か」がはっきり見えているのに対し、
現実の私には何者になりたかったのか、何者になれたのかが、まるでわからずに
ただ生きているだけ、ラノベなら真っ先に否定されるべき「無気力な古い大人」に
なっているという苦い認識だけです。山月樹には、プライドの高さが嵩じて虎になる
男がでてきますが、私は虎にすら成れません。でも、何かになれたんだという
プライドがどこかに有るのを否定できません。
話がだいぶそれましたが、短くわかりやすく言うと、真衣殿の言葉に恥ずかしくなり、
己が小さくなるのと、余りこういうことを見つめなおす勇気がないのと、個人的な内面を
呂砲殿下の掲示板で語るのは、よろしくないと思って控えていたと思ってくださいませ…
ああ、ちっとも短くなってない(苦笑)
これからも、まったりとお付き合いくだされば嬉しいです。
264
:
成抗の中の人
:2010/01/21(木) 21:47:07
こっそり訂正…
×山月樹
○山月記
265
:
真衣
:2010/01/23(土) 00:37:11
>>263
成抗殿
私の自意識過剰な発言にわざわざお答えいただきありがとうございます。
確かに人様の掲示板であまり内面的なことを語り合うのも良くないですね。
今回で終わりに致しますので、少しだけ補足させてください。
私のような者にいわれるのは心外かと思いますが、
成抗殿は私に少し似ている部分があります。
というのは、私も自分自身が大した人間でないと思っていることと、
自分を必要以上に卑下した表現をしてしまうことです。
以前働いていた時の上司に、私はマイナスからのスタートだと言われたことがあります。
マイナスというのは多くの人が平均的にできるレベルからマイナスという意味です。
私は過保護というかミッション系女子学院に幼稚園から通っていた環境からか
あまり世間の常識というものを考えないで生きてきました。
環境のせいにするのは自分が自堕落に生きてきたいいわけにすぎないのですが、
それで人より劣っている点が数多くあります。
客観的に見ても自覚している部分以上に欠点がたくさんあります。
他人に接する際そのようなことは踏まえていても、
空気が読めなかったり周りをみていなかったりで失敗続きの人生でした。
しなくても良い苦労は私もしました。
会社(上司)の命令とはいえ看板を電柱に張っていたら警察に捕まったり、
しかもみんな逃げてるのにとろい私だけが捕まったという事実
(もちろん犯罪はしてはいけません)。
そこで一緒にいた同僚に、私のせいで捕まったから金払えと脅迫されたこともあります。
アルバイトも仕事がとろいせいで首になったことが数回あります。
まあ私の自叙伝はいつか出版されるだろう(爆)ということでこの辺にしておきますが。
(続く)
266
:
真衣
:2010/01/23(土) 00:39:39
とにもかくにも痛い経験を超えて今の自分があるわけですが、
成抗殿に勝手に共感めいたものを感じてしまい、つい自分のことのように
弁護というか擁護したくなってしまうのです。もちろん全て本心ですが。
私のように年が下でしかも人間的にも下な人間に勝手にそう思われるのは心外かもしれませんが、
そういうことでこれまでの多々の発言はご理解ください。ちっとも少なくないですね。
後これはまったくの余談なのですが、何かを始めるのに年は関係ないと思います。
私は周りからも無謀といわれ、絶対無理だと思われていますが、
この先叶えたい夢が小説家以外にもいくつかあります。
焦ってはいませんが、小説家になるのがまず第一の目標なので、
それを超えてからでないと先には進めません。
今まで何度賞に応募しても引っかかりもしませんが、諦めたことはありません。
今成抗殿は何もないとおっしゃるかもしれませんが、これから見つかるかもしれません。
別に希望的な観測をするわけではありませんが、70、80……になっても
やりたいこと、やるべきだと自分が思うことが見つかったらそれでいいのではと思います。
挫折するのはまだ早いのではないでしょうか。
プライドなど必要なのではないかと私は思います。
私にあるのは誰に何をけなされても、自分自身を否定されても、
心の奥にある絶対崩したくない芯のようなもの、それだけが自分を支えています。
家族を愛してはいますが、それは周りから享受されるものじゃない。
自分でしかつかめない、他人にどうこうできる領域じゃないからです。
自分が変わろうと思わなきゃ変われないと信じているから、日々悪戦苦闘して、
あまりのふがいなさにいっそ死んだ方がましと思うことがあってもかろうじて生きている。
すこしでもましな人間になるために、1分1秒でもほんの少し成長できる自分でありたい
と思っています。
私が自分の内面を語るのは、相手を理解したいと思ったらまず自分をさらけ出して
からだと感じているからで、それが余計だったらすみません。
呂砲殿、長きにわたって本編とは関係ない書き込みすみませんでした。
この場を与えてくれてありがとうございます。
267
:
呂砲
◆I9WFnCXgeU
:2010/01/24(日) 01:08:33
>成抗殿、真衣殿
成抗殿は自分自身を客観的に見つめる勇気を持っていて、真衣殿は大事な家族と夢を持っている。
それでいいのではないでしょうか?
私は御二方を含め、このサイトに足を運んでくださる皆さんに、ささやかながら息抜きをしてもらえるような読み物を提供するべく、脳みその雑巾しぼりに精を出すことにします(笑
274
:
琉蹴
:2013/06/11(火) 02:28:35
久々の更新。
雍州:後漢末の194年(興平元年)、金城、酒泉、敦煌、張液の涼州河西四郡をもって雍州とされた。213年(建安18年)、雍州と涼州が統合され、雍州となる。魏の時代となった220年(黄初元年)、旧雍州地域に涼州を設置、旧涼州地域が雍州とされた。この頃の雍州が現代で広く認知されている雍州である。
275
:
琉蹴
:2013/06/11(火) 14:36:01
加筆訂正です。
雍州:後漢末の194年(興平元年)、金城、酒泉、敦煌、張液の涼州河西四郡をもって雍州とされ、天水から長安までを涼州と呼んでいた。213年(建安18年)、雍州と涼州が統合され、雍州となる。魏の時代となった220年(黄初元年)、旧雍州地域に涼州を設置、旧涼州地域が雍州とされた。魏時代の雍州が現代で広く認知されている雍州であるが、呉蜀は認めずに後漢の区分を用い続けた。
本編(というより三國志Ⅷ)では魏時代の区分けを採用しているため、西涼、西平が涼州に属し、天水、長安は雍州に属している。
276
:
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琉蹴
:2013/10/25(金) 02:00:49
方天戟:槍の両脇に三日月形の刃物(月牙)が取り付けられた武器。北宋時代から登場したもので三国時代には存在しなかった。
三國志演技にて呂布が愛用した方天画戟は片方にだけ月牙を付けたもの。ちなみにゲーム中で方天画戟を保持すると武力が+8加えられる。
これら原型となる戟は三国時代でも一般的に普及しているが、矛に戈が取り付けられただけの簡素なものであった。
285
:
琉蹴
:2013/10/25(金) 02:02:31
また暇な時に書き込みますね!
再開までに大涼広辞苑を埋めるのが目標です。笑
と言ってもこのペースでは間に合いそうにありませんが。笑
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琉蹴
:2014/11/02(日) 00:16:02
お久しぶりです。
ほぼ一年振りの書き込みです。
狐(きつね):207年宛副軍師法正に対する蔑称の一つ。
宛太守馬超には心中で「狡賢い狐の如き容貌の法正」と形容され、宛正軍師の程碰からは「漢語を口にする狐が迷い込んでいる」と蔑まれた。
なお、法正も狐と瓜二つの容姿を悩んでいるようである。
鶴(つる):207年宛副軍師法正に対する蔑称の一つ。
宛太守馬超からは「年老いた鶴の如き外見の程碰」と形容された。
289
:
琉蹴
:2014/11/02(日) 00:17:57
むっ、少し訂正です。
相変わらず推敲が足りません。。すいません。
狐(きつね):207年宛副軍師法正に対する蔑称の一つ。
宛太守馬超には心中で「狡賢い狐の如き容貌の法正」と形容され、宛正軍師の程碰からは「漢語を口にする狐が迷い込んでいる」と蔑まれた。
なお、法正自身も狐と瓜二つの容姿を悩んでいるようである。
290
:
琉蹴
:2017/12/24(日) 15:29:03
久々の書き込みです。
KIN:漢帝国の国営放送局。漢の国営放送局であるが故に、様々な勢力の有力者に取材可能であることがウリ。特定勢力に肩入れせず、漢帝を庇護している涼をこき下ろす報道が視聴者にウケている。主な人気番組は過去の偉人を主題とした「時代劇作」、前漢や後漢の無名の英雄を取り上げる「企画絵九須」、そして不定期放送の「漢帝国ニュース」の三番組。
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:
琉蹴
:2017/12/24(日) 15:42:24
すいません、書き込み途中に送信してしまいました。。
KIN:漢帝国の国営放送局。漢の国営放送局であるが故に、特定勢力に肩入れせず、様々な勢力の有力者に取材可能であることがウリ。漢帝を庇護している涼をこき下ろす報道が視聴者にウケている。主な人気番組は過去の偉人を主題とした「時代劇作」、前漢や後漢の無名の英雄を取り上げる「企画絵九須」、そして不定期放送の「漢帝国ニュース」の三番組。
大涼芸能:涼が誇る週刊大衆雑誌。取り扱う内容は事実から噂話まで多岐にわたるが、大半は涼(涼王)に批判的な記事である。竹簡で発行される。
涼に伝わる七つの謎:別名「涼の七不思議」。(1)呂砲が特技「医術」を自身の軍にばかり使うことに対し、諸将があまり不満を持たないこと。
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