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矢吹健太朗のBLACK CAT★ 黒猫No.236

462例の899 でも面白いな大番長:2004/08/01(日) 02:21
 ネオユークでの研修が終わりに差しかかった頃、俺は一人の犯罪者を担当することにな
った。彼女は、殺人者だった。
彼女には小さな子供がいた。父親はその子が産まれてすぐに消えた。今どこにいるのかも、
消えた理由も分からない。ただ、彼女は小さな食品加工会社の経理事務と福祉を頼りにそ
の子を育てていた。生活は苦しいという段階をとおの昔に過ぎていた。しかし、頼れる親
類縁者もおらず、その子の面倒を彼女一人でみなければならないため、それ以上の時間を
仕事にまわすゆとりも無かった。
そんな彼女に、一人の男が近づいた。会社の上司である男は、彼女に横領を持ちかけた。
なに、ちょっと数字を間違ってくれるだけでいい。仕事上のミスだが、誰にも気づかれな
いだけ。その男の役職と、彼女が毎日顔を突きつけている書類があれば、それは簡単なこ
とだった。誰にも気づかれなければ。
なによりも彼女の気を引いたのは、分け前として得られる金額だった。それだけあれば、
ベビーシッターを一年間は雇えるのだから。
彼女は罪を犯した。ゴミに埋もれた街の典型的なプアーホワイトの家庭に育った彼女にと
って、それが生まれて始めて犯した罪だったかどうかは分からない。ただ、彼女はやり遂
げた。
男は約束の金を彼女に渡さなかった。金は全て独り占め。横領を働いたのは彼女一人。自
分は提出された書類に目を通したが、不正を見抜けなかった。彼女を信頼していたからだ。
それがミスなのだとしたら、自分は確かにミスをした。ホテルの一室で、男は彼女にそう
語った。
彼女は激昂し、男に詰め寄った。男は逆に、彼女を脅迫した。そして、彼女は男を殺した。
一時は取り乱しもしたがやがて我を取り戻し、彼女はその場で警察へ電話をした。自殺も
考えたが、止めにした。生命保険に入っていなかったからだと、彼女は俺に語った。
やり取りを後ろで黙って聞いていたジョーと一緒に取調室を出た俺は、こみ上げる吐き気
を抑えながら彼に尋ねた。
『警察は正義なんですか?』
我ながら馬鹿げた質問だと思った。だが、心の底からわき上がってきた疑問だった。
デスクの上の法律書には、彼女は第二級故殺犯であり、横領の共同正犯だと書いてある。
しかし、俺の心はそれだけでは到底納得がいかなかった。あの時、俺を支配していたもの
は、なにかをしなければならないのになにもできないという、強烈な無力感だった。
ジョーは、落第寸前の生徒を導くような優しい口調で俺に語った。
『この商売をやってるとな、時々自分がなに者なのかを見失ってしまうことがある。人に
対しての高圧的な態度も、職務のためと分かってはいても俺は最初からこんな人間だった
んじゃないかって気になってくる。狂った犯罪者どもの相手をしている内に、だんだんと
ヤツらの考えていることが分かるようになってくるのも、それはヤツらと渡り合うために
は必要なことなんだが、その内それも、俺という人間が最初から持っていた素質なんじゃ
ないかと思えてくる。俺も狂ってるんじゃないか、とな。でも、それは全部間違いなんだ。
俺達は、ただ単に刑事であるだけなんだ。だから、飢えた子供のために盗みを働いた女も、
その日のヤクを買うために八十の婆さんを殺したガキも、俺達は同じように扱わなければ
ならない。それが、ただの人間でしかない刑事にできる、たった一つのことだ』
 俺は壁から背を離し、携帯灰皿で煙草を揉み消した。
「そいつは多分、間違いだ」
リックは顔を上げた。俺は携帯灰皿を見つめたまま、喋り続けた。
「警察は正義だ。上の人間が汚い取り引きをしていようが、下の人間が職権を利用して悪
さをしていようが、それでも警察が正義なんだよ」
リックをそこに残し、俺は歩き出した。その背中に、彼は声をかけた。
「アナタは刑事を辞めて正解でした」
俺は振り向くこともせず、ただ右手を軽く挙げてそれに答えた。
あの時、語り終えたジョーに俺はなんと言ったんだろう?そんなことを考えていた。
頭の中のパズルが、綺麗に並んでいた。


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