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マルチ待機所 その2

1名無しさん:2009/10/31(土) 21:17:42 ID:UAyuEbAo
立てたぞこら

941ソ連:2010/04/05(月) 22:17:43 ID:???
長文失礼・・・

41年8月 世界情勢

アジア戦線
http://hayasoft.com/hiko/paradox/pic/source/up2016.jpg
東部戦線
http://hayasoft.com/hiko/paradox/pic/source/up2017.jpg
欧州戦線
http://hayasoft.com/hiko/paradox/pic/source/up2018.jpg

40年5月頃〜
雪解けと同時に北支にてエイリアンの攻勢開始、即効で北支の要塞線が崩壊する。
これに対し中国は直ちに奪還作戦を開始、ソ連も虎の子の山岳兵90師団を増援にあて北支攻防戦が開始される。
その後数ヶ月に渡り戦線は一応は人類側に有利な状態で安定、しかしそのこと南欧ではギリシャに特別奇襲部隊
の襲撃が開始される、この襲撃にフランスとドイツが100師団以上の機甲師団で対抗、ソ連にも応援要請が入る。
北支戦線が安定しているのを理由にソ連90師団は欧州へ転戦・・・しかしこれを気に再び北支の圧力が高まる
こととなる。

40年秋頃〜
ギリシャ戦線では秋から冬にかけて人類側の攻勢が開始される、装甲師団を持たないソ連の死傷者(MP1000くらい?)が目立つ中
苦戦しながらも敵特別攻撃隊の殲滅に成功、しかしその間にアフリカの敵方面軍がスエズを越えて中東に侵攻を開始。
また、ソ連がいなくなった北支戦線では中国軍の戦線が崩壊、全面壊走に移る・・・。

942ソ連:2010/04/05(月) 22:31:07 ID:???
41年初頭
中国戦線が完全に崩壊、黄河も越えられ南部へと追い詰められていく。
中東ではイギリスとフランスが援軍を送るも力及ばず敗走、アフガニスタンが手薄だったインド軍を背後をつく形になる。
ソ連は春辺りにシベリア放棄を決定、全兵力をカスピ海北部とグルジア周辺に展開。

41年4月
第3方面軍襲来、ドイツ、ほぼ全力にて防衛を行い現在の戦線を形成。
インド軍ヒマラヤ要塞線の放棄を決定、半島へ兵力の移動を開始。
中国軍兵力のほとんどを失い実質的に脱落。

41年夏
日本は満朝国境にて防衛中、戦線は安定している模様。
インド軍、最終防衛ラインにて防衛中、300師団を賄いきれず苦戦中。
インドシナでは中国残党、インド軍の一部の200師団以上で遅滞戦術を展開。
ソ連、東部戦線では現状敵影なし、しかしすぐそこに第1方面軍が接近中。
ソ連、グルジアでは戦線の真ん中に核を受ける、これで80師団程が消滅するが
予備兵力でなんとか戦線の建て直しに成功、しかし敵からの圧力強く予断を許さない。
オーストリア約50師団、アラブ残党100師団、ソ連60師団はアテネとイスタンブールにて第2方面軍と対峙中。
西部戦線、スペインとドイツの連合軍にて戦線は比較的安定。

総括
かなり押し込まれたものの全体としては悪くない感じ(※ただしエイリアンMODに限る)、とにかく
欧州さえ現状維持出来れば連邦結成後の反撃は大分楽になると思われる。
だけど




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