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珍呼に関する真面目な議論や意見はこちらで

17真・墓掘り人★:2004/04/06(火) 10:52
珍に対して「氏ね」とか言いたい気持ちは、正直分からんでもないです。
私も友人が珍に怪我させられたことがありますんでね。

でもね、セロー氏などの脱珍実績の実例もあるわけだから、
仮に現役珍が現れた場合に、わざわざ『氏ね』と言って挑発することは、
どれほどの意味があるのかと我々は自らに問わなくてはいけないのでしょうね。

現役珍に『珍は氏ね』と言えば、個人の気持ちとしては昇華(≒発散)するかもしれませんが、
目の前の現役珍は当然恕髪天モードに突入し、タダでさえ人の話を聞くように訓練されていない彼らに
我々の話を聞いてご覧よと言っても聞き入れるわけも無く、当然の帰結として、
現役珍を脱珍させるまさに千載一遇の機会を、逸してしまうわけですね。

珍呼は予防措置だから、現役珍の脱珍は主目的ではないという主張も分かるのですが、
目の前で犯罪者が更生するかもしれない機会を見逃しておいて、
珍呼と言う予防措置活動だけに専念するってのもいかがなものかと最近は考えるようになりましたね。

目の前の犯罪者を見逃しておいて、「犯罪はやめましょう」って主張することに、
どれだけの意義がありますか?
目の前で起こっている犯罪を見逃す人が、「犯罪撲滅運動」をやったとして、
その人を信じて運動に参加する人がどれだけいますか?

珍呼は予防措置、現実の更生支援活動は是正処置と切り分けるのは別に構わない。
でも、互いが互いの活動をお役所的に縦割りに切り分けて、相互不干渉を決め込んでも、
効率が悪いんじゃないかと。

最近、つぐづく思うのですが、珍呼活動の一つの限界点って、そこのところじゃないかと。
実際の更生支援活動も、事後の是正処置なので、予防と言う観点では駄目なので、
珍呼運動と実際の更生支援活動の限界点と言うのは表裏一体、コインのう表と裏のような関係じゃないかと思います。

珍に「氏ね」ということを肯定する人の気持ちも分からんでもないけど、
大局的には「氏ね」と言わずに、「珍なんかやるのはおやめなさいよ」と言う方が、
例え一人でも珍の生息数を減らせるわけですから、社会にとっても、自分にとっても
理にかなっているし、利益にもなっていると考えられないものでしょうか?

なんて、私は考えています。


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