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新ネタ5
239
:
WS
:2023/07/14(金) 08:02:25
ディオゲネス (犬儒学派)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%82%B2%E3%83%8D%E3%82%B9_(%E7%8A%AC%E5%84%92%E5%AD%A6%E6%B4%BE)
古代ギリシアの哲学者。アンティステネスの弟子で、ソクラテスの孫弟子に当たる。
ディオゲネスは、両替商ヒケシオスの子としてシノペに生まれた。
彼と父は通貨の鋳造ないしそれに関わる仕事を行っていたと考えられる。
シノペに居た頃のディオゲネスは、このような要職に就いていたことから経済的に豊かで地位もそれなりにあった立場の人間であったことがうかがえる。
ディオゲネスは通貨に「傷をつけ」贋金かどうかの判断をするために「通貨を変造」した。
しかし、これがおそらくは敵の知れることとなったために、贋造の罪といっしょくたに告訴されてしまった。
ディオゲネスは国外へ逃れたが、父ヒケシオスは獄死したとされる。
国外追放後はアテナイに定住し哲学者となるが、最低でも55歳にはなっていた彼にとっては精神的にも肉体的にも辛い時期であったと思われる。
ディオゲネスに追従していた最後のひとりの従者(奴隷)であるマネスが突如姿を消してしまった。
困窮と悲惨のドン底にあった主人を捨ててしまったのだ。周囲に居た人々が、ディオゲネスを哀れに想い捜索をしようとするが、ディオゲネスが皆を止めて言った。
「おかしな話だよ、マネス(奴隷)のほうはディオゲネス(主人)なしでも生きてゆけるが、ディオゲネス(主人)のほうはマネス(奴隷)なしにはやっていけないとすれば」と答え、捜索を無用とした。
奴隷にまで見捨てられ天涯孤独の人生において彼自身の哲学の原点の萌芽が見てとれる。
その後アテナイに到着したディオゲネスは「異邦人(クセノス)」として、アテナイ人に遇される。しかし、それは最初だけでありディオゲネスは当初神殿などを間借りしてホームレスのような生活を送っていたとされる。「アテナイ人は自分のために住処をしつらえてくれている」という本人の言葉通りだったのだろう。
しかし、それでも50を超える年齢と施設の管理人たちの文句や、嫌がらせをするものたちもあったのか小屋を建ててもらおうと知人を頼ることにした。
「ある人に手紙を出して、自分のために小屋をひとつ用意してくれるように」と手紙を出した。
しかし、なかなか作ってくれないため「メトロオンにあった甕(ピトス)を住居として用いるようになった」。
その甕はアテナイ人の若者たちによってある日壊されてしまう。だが、アテナイ人はその若者を鞭打ちにし罰した後に代わりの甕を用意してくれたと言う。
「彼はアテナイ人たちによって愛されていた」とある。
こうしてアテナイに定住したディオゲネスは哲学者として活動を行う。
彼の珍妙なキャラや行動に反して、決して不条理に屈しない姿から……次第に彼は有名人になっていた。
ディオゲネスはアレクサンドロス大王と同じ頃死んだ。
死因はタコを食べて当たったためとも、犬に足を噛みつかれたためとも、自分で息を止める修行をしたためとも言われている。
ディオゲネスは「徳」が人生の目的であり、欲望から解放されて自足すること、動じない心を持つことが重要だと考えた。そのため肉体的・精神的な鍛錬を重んじた。
ポリスの理念を否定し、貴方は何人なのかと聞かれると「自分はコスモポリーテス(世界市民)だ」と言い、史上初めてコスモポリタニズムという語を作った。
また女性や子供の共有を主張した。
ディオゲネスは師アンティステネスの徳に対する思想を受け継ぎ、物質的快楽をまったく求めず、外見にまったく無頓着だった。
粗末な上着のみを着て、頭陀袋ひとつを持って乞食のような生活をした。
神殿やアゴラでも気にすることなく食事をしては寝て「アテナイ人は自分のために住処を作ってくれる」と言った。
あるときは酒樽(大甕)に住んだことから「樽のディオゲネス」と渾名されるようになった。
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