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HB大学

803WS:2022/08/08(月) 19:51:05
>>802
ヨーロッパでの普及
イギリスでは1650年にオックスフォードでコーヒー・ハウスが営業を始め、1652年には初めてロンドンにコーヒー・ハウスが開業した
17世紀末には数100軒から3,000軒にのぼるコーヒーハウスが存在していた。
コーヒー・ハウスはロンドンにおける社交・商取引の場として多くの客に利用されたが、18世紀半ばからロンドンのコーヒー・ハウスの数は減少していく。
コーヒー・ハウスに代わる社交場として、クラブ、ティーハウスが台頭し、イギリスの家庭には紅茶が定着する

フランスでは、1669年にオスマン皇帝メフメト4世によって派遣された使節スレイマン・アガ(ソリマン・アガ)がルイ14世にコーヒーを献上したことをきっかけに上流階級にコーヒーが広まった
1672年にアルメニア人商人パスカルによってパリ最初のコーヒー・ハウスが開かれ、エスファハーン出身のイラン人グレゴワールは劇場に集まる俳優や批評家を対象としたコーヒー・ハウスを開いて成功を収める
1686年にはカフェ・プロコープが開店し、文人や政治家などの多くの人間が議論を交わした。
また、かつてのフランスではコーヒーが心身に悪影響を及ぼすという迷信が広く知られており、「コーヒーの毒性」を消すためにコーヒーに牛乳を入れるカフェ・オ・レが考案された

オーストリアには、オスマン帝国との戦争にまつわるコーヒーとコーヒー・ハウス伝播の有名な逸話が存在している。
先にフランスに使節を派遣したメフメト4世は1683年に第二次ウィーン包囲を行うが、失敗に終わる。
第二次ウィーン包囲でヨーロッパ諸国のスパイとして活躍したゲオルク・フランツ・コルシツキーが、オスマン軍が放棄した物資の中から発見されたコーヒー豆を手に入れ、戦後ウィーンに初めてコーヒー・ハウスを開いたのがオーストリアにおけるコーヒーの始まりだと言われている
客が牛乳、生クリームなどの量を調節して自分好みのコーヒーを注文できる点がウィーンのカフェの特徴であり、アインシュペナー(ウィンナ・コーヒー)などの飲み方が知られている

かつてオスマン帝国の支配下に置かれていたハンガリーでは、16世紀末からコーヒーが知られていた

ドイツには1670年頃にコーヒーが伝わり、当初は上流階級に贅沢品として愛飲されていた
1679年/80年頃にハンブルク、1721年にベルリンにコーヒー・ハウスが開業、18世紀後半にはビールに代わる飲み物として一般家庭に普及した
1760年代から1780年代にかけて、身分秩序の維持とコーヒー輸入の抑制を目的として、庶民を対象としたコーヒー禁止令がドイツ各地で施行された
プロイセン王フリードリヒ2世は国内の経済を脅かすコーヒーの消費の抑制を試み、王立の企業にコーヒーの製造を独占させた
1766年にプロイセンへのコーヒー輸入は統制を受け、1777年にフリードリヒ2世はコーヒーの禁止を布告した
ドイツの庶民の間では、本物のコーヒーの代わりにチコリ、大麦などの他の作物を加工した代用コーヒー (Muckefuck) が飲まれることが多く、「ドイツのコーヒー」といえば長らく代用コーヒーを指す時代が続いた
1786年に王立企業のコーヒー産業の独占は廃止され、フリードリヒ2世の死後に規制は解除された

17世紀から18世紀初頭にかけての間に、ヴェネツィアにもコーヒー店が誕生する。ヴェネツィア共和国末期には多くのカフェが営業し、さまざまな階層の人間が集まる社交の場となった。

17世紀末には、ロシアでもコーヒーが知られるようになった
しかし、茶がロシアの国民的飲料となったのに対して、コーヒーは貴族、インテリ、芸術家が好む飲み物にとどまっていた

スカンディナヴィア半島には18世紀までコーヒー、茶といったカフェイン飲料は普及していなかったが、1746年にスウェーデンでコーヒーと茶の過度の飲用を批判する声明が出される
コーヒーが有害な飲料であると示すため、18世紀後半にスウェーデン国王グスタフ3世が人体実験(グスタフ3世のコーヒー実験)を実施したという真偽不明の逸話が存在する。
スウェーデンでは1820年代初頭までコーヒー禁止令が数度出されたが、スウェーデン政府がコーヒーの飲用を認めて以降、スウェーデンは世界でも上位のコーヒー消費国となる




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