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コーヒーの歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
エチオピアでは高原地帯に自生するコーヒーノキの果実の種子が古くから食用にされ、現地の人間はボン(コーヒー豆)を煮て食べていたと考えられている
17世紀初頭のイスラーム世界の年代記作家アブー・アッタイイブ・アルガッズィーは、ソロモン王によって初めてコーヒーが淹れられたと記している
コーヒー豆から抽出した飲料について、9世紀のイランの哲学者であり医学者でもあったアル・ラーズィー(ラーゼス)が、自著でコーヒー豆を指す「バン」とその煮汁「バンカム」について記述している
バンカムはイスラーム世界の寺院で秘薬として飲まれ、当初は一般の人間が口にする機会は無かった
バンカムはイスラム神秘主義(スーフィズム)の修道者(スーフィー)によって愛飲され、コーヒーの起源にまつわる3つの伝説にはいずれもスーフィーが関与している
スーフィーたちは徹夜で行う瞑想や祈りのときの眠気覚ましとしてバンカムを用い、宗教活動の中で飲用されるバンは彼らから神聖視された
13世紀に入ってコーヒー豆が炒られるようになると、香りと風味が付加された飲料は多くの人間に好まれるようになった
トルコ、イラン、エジプトでは、豆の焙煎に使われた1400年代の道具が発掘されている
また、コーヒーの一般への普及に伴って、マジュールを製造していた陶工たちはコーヒーカップに相当する器の製造も手掛けるようになった
15世紀以後に「カフワ」はイエメンからイスラーム世界に広まる
16世紀初頭のメッカ、メディナ、あるいはカイロのモスクではコーヒーを飲みながら礼拝を行うスーフィーの姿が多く見られたが、同時にコーヒー飲用の宗教的な是非が大きな問題となった
1511年にはメッカで高官ハーイル・ベイ・ミマルによってコーヒー飲用の是非が諮られた後、メッカ内のコーヒー豆が焼かれ、コーヒーを売買した者や飲用した者は鞭打ちに処されるコーヒーの弾圧事件が起きる
1525年/26年には風紀を乱すとしてメッカ内のコーヒーハウスの閉鎖が命じられたが、コーヒー自体の飲用は禁止されなかった
1517年、オスマン皇帝セリム1世によるエジプト遠征の際にコーヒーがオスマン帝国に伝わったと言われている
アラビア語の「カフワ」がトルコ語に転訛して、トルコに入ったコーヒーは「カフヴェ」と呼ばれるようになった
初期のイスラーム世界のコーヒー店ではコーヒーは大鍋に入れて温められ、小さな容器に移して客に供されていたと考えられている
イスラーム世界ではコーヒーに砂糖と牛乳を入れることはほとんどなく、調味には主にカルダモンが使われていた
1600年頃のカイロでコーヒーに砂糖が入れられ始められ、1660年頃に清に滞在していたオランダ大使ニイホフがコーヒーに牛乳を加える飲み方を始めたと言われている
17世紀初頭のヨーロッパではコーヒーはまだ珍奇な飲料であり、植物学者や医学者以外の人間にはほとんど知られていなかった
1596年にフランスの医師・植物学者のカロルス・クルシウスが、イタリアの植物学者ベッルスからコーヒー豆と豆の調理法に言及した書簡を送られた記録が残る
クレメンス8世は悪魔の飲み物であるコーヒーに洗礼を施してキリスト教徒がコーヒーを飲用することを公認した
17世紀のヨーロッパ社会において、コーヒーはアルコール度数の低いビールやワインに代わる、衛生的な飲料として受け入れられた
また、コーヒーがもたらす覚醒作用も好意的に捉えられ、コーヒーはアルコール飲料と逆の性質のものと見なされるようになった
17世紀末からヨーロッパでは、コーヒーの淹れ方を教授する書籍が盛んに出版される
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