したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

HB大学

770WS:2022/06/29(水) 11:41:16
>>764
全米犯罪シンジケート
1931年、カステランマレーゼ戦争でマッセリアに勝利したサルヴァトーレ・マランツァーノがニューヨークの縄張りを五大ファミリーに統合・整理し、自ら「ボスの中のボス(Capo di tutti capi,boss of all bosses)」を名乗ったときに組織名を「コーサ・ノストラ」と命名したとされている。
ラッキー・ルチアーノ(Charles "Lucky" Luciano)は、縄張り争いがビジネスを阻害するという信念から、全米各地のイタリア系組織と縄張りの調整を進め、ファミリー間の争い事をコミッションという合議体で解決し、活動の露見を防ぐため犯罪ネットワークの潜在化に努めた。
同時にユダヤ系、アイルランド系ギャングとも連携し、全米犯罪シンジケートを構築した。
酒の密輸で巨万の富を築き、積極的な賄賂攻勢で警察の捜査を遮断し、政界との癒着を深めた。

禁酒法後
ニューヨークの地方検事トーマス・デューイがルチアーノを投獄して組織に大きなダメージを与えたかに見えたが、ルチアーノは刑務所から組織を指揮し、犯罪活動自体に影響はなかった。
第二次世界大戦後、ルチアーノは連合国軍への戦時協力により政府に恩赦が認められイタリアに強制送還という形で釈放されたが、のちアメリカへの麻薬密輸に関わった。
禁酒法が廃止された1933年以降のマフィアは酒の密輸に代わる収入源を賭博ビジネスに求め、また労働組合に進出した。
東海岸マフィアは全米各地に賭博の拠点を次々に作り、キューバにも拠点を作って全米のコーサ・ノストラと利権を分かち合った。
組合については、1930年代、衣料業界や娯楽業界から運送業界まであらゆる産業に触手を伸ばしていった。
大手自動車会社フォードやハリウッドの映画会社も被害に遭っていた。

コーサ・ノストラは第二次世界大戦中にアメリカが強制送還したラッキー・ルチアーノに対してつけられた組織(ギャング)を言う。

第二次世界大戦後
第二次世界大戦後もほとんどのマフィア・ファミリーは農村地帯に本拠を置いていたが、1950年に大土地所有制度が廃止されたのと、イタリアに「奇跡の経済復興」と呼ばれる復興景気が訪れたのを機会に、マフィアたちは都市部へと本格的に進出し始めた。
そして彼らは建築ブームに乗じて政治家たちと手を組み、公共事業の入札を支配し、建築業者から現金を脅し取るなどして大きな利益を上げるようになった。
この好景気において大きく勢力を伸ばしたのが、サルヴァトーレとアンジェロのバルベーラ兄弟と、グレコ・ファミリーとコルレオーネのボス、ルチアーノ・リッジョであった。
彼らは共にタバコ・麻薬密輸・公共事業への介入で勢力を拡大していった。

マフィア合同会議
1957年10月10日(あるいは12日)、アメリカ・マフィアの大ボス、ラッキー・ルチアーノの提唱により、パレルモにある高級ホテル「グランド・ホテル・デ・パルメ」において、アメリカのマフィアとシチリアのマフィアの大ボスたちが集まり、初めての合同会議が開かれた。
議題は、シチリアでの最高幹部会(コミッションまたはクーポラと呼ぶ)の創設と、麻薬に関する双方の取り決めであった。4日間続いた会議の結果、最高幹部会の結成とアメリカへの麻薬密輸等はシチリア側が取り仕切り、アメリカ側はその利益の一部を受け取るということに決まった。
この後、シチリアマフィアはアメリカへの麻薬密輸に本格的に乗り出していくこととなった。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板