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5WS:2011/07/22(金) 23:35:21
大伴昌司(1936年2月3日 - 1973年1月27日)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%98%8C%E5%8F%B8
日本の編集者、SF研究家、映画評論家、翻訳家。別名、大伴秀司。「怪獣博士」と呼ばれた。

1963年から『SFマガジン』にインタビュー記事「SFを創る人々」を連載開始。また同年に創設された日本SF作家クラブの二代目事務局長として、草創期の日本SF界に関与。またSF映画評論を『SFマガジン』等に発表。のち、1970年には「国際SFシンポジウム」の事務局長をつとめた。

さらに、『ウルトラQ』がまだ企画時の『UNBALANCE』という名称だった時期から企画者として円谷特技プロダクションに関わりはじめ、怪獣や宇宙人のプロフィールを詳細に設定。そのプロフィールに前村教綱、梶田達二、南村喬之らのリアルなイラストを添えて「怪獣図解」として雑誌に発表し、さらには単行本『怪獣図鑑』として刊行。当時空前の「怪獣ブーム」を盛りたてた。しかし、のちに怪獣観の相違から円谷英二の怒りを買い、円谷特技プロへの出入りを差し止められている。

1966年から1972年まで、『少年マガジン』の図解グラビアの企画構成者として一世を風靡。高度経済成長期における未来ブームの波に乗り、科学技術をはじめとして、森羅万象の物事を的確に視覚化する特異な才能で高く評価された。また、表紙に横尾忠則を起用するなど、斬新な発想力で同誌の売上を飛躍的に伸ばした。

常に「自分は40までには死ぬのだから」と言い続けていたが、1973年1月、日本推理作家協会の新年パーティの席にて、気管支喘息治療用の気管支拡張剤エフェドリンの副作用により心臓発作を起して急死。享年36。


エピソード
 ・生涯独り身で、私生活では本名すら友人にも明かさず、死後初めてその人となりが判明している。
 ・「少年サンデー」「少年マガジン」の怪獣特集を1冊にまとめた「怪獣図鑑」は現皇太子の浩宮殿下が初めてお小遣いで購入した本である。
 ・ウルトラマンが地上で戦える時間を3分間として「少年マガジン」誌上で紹介した。そしてその設定を円谷特技プロが後から公認した。
 ・黒澤明作品を紹介した記事構成の見事さから、彼だけは撮影中も取材を許されたといわれている。
 ・エッシャーやマグリットを日本で初めて紹介した。
 ・死後、彼を記念して、シナリオ作家協会大伴昌司賞が創設された。
 ・京都大学文学部二十世紀学研究室に、原稿・原画等の膨大な資料が寄託された。
 ・ウルトラマンに登場する宇宙恐竜ゼットンが放つ「一兆度の火球」は大伴が設定したものであったが後に公式設定となった。

大伴昌司の描いた、ウルトラマン怪獣大図解のスケッチ画
http://karapaia.livedoor.biz/archives/51747849.html

 1966年から1972年まで、『少年マガジン』の図解グラビアの企画構成者として一世を風靡。高度経済成長期における未来ブームの波に乗り、科学技術をはじめとして、森羅万象の物事を的確に視覚化する特異な才能で高く評価された。また、表紙に横尾忠則を起用するなど、斬新な発想力で同誌の売上を飛躍的に伸ばした。

 常に「自分は40までには死ぬのだから」と言い続けていたそうだが、その予言は悲しくも的中してしまったようだ。1973年1月、日本推理作家協会の新年パーティの席にて、気管支喘息治療用の気管支拡張剤エフェドリンの副作用により心臓発作を起して急死。享年36歳だったという。




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