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ウルトラQ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9Q
ウルトラシリーズ(空想特撮シリーズ)第1作のテレビドラマ。
アメリカのテレビドラマ『アウターリミッツ』や『トワイライトゾーン』を意識して作られた特撮SFドラマ。
主人公は万城目淳(星川航空パイロット)、戸川一平(パイロット助手)、江戸川由利子(毎日新報報道カメラマン)の3人で、毎回彼らが遭遇する不可思議な事件を描く。
1964年の春。円谷特技プロダクションによる特撮テレビ映画の初企画は、フジテレビとの提携で進められていた。
社長の円谷英二は、この地球人に協力する不定形宇宙生物の活躍を描く『WOO』を制作するにあたり、当時世界に二台しかない米・オックスベリー社製の高性能光学撮影機「オプチカルプリンター1200シリーズ」を独断で発注してしまった。
しかしフジテレビとの調印の当日、『WOO』の制作は中止となってしまう。
円谷特技プロは代理店を通じてオックスベリー社にキャンセルを申し入れたが、すでに日本へ向かっている最中であり、当時の価格で4000万円の機械を、円谷特技プロが自社で購入することは不可能であった。
幸い、当時TBS映画部に在籍していた円谷一の口添えでTBSが購入を肩代わりすることになり、1964年8月、この高価な機械を生かすために、まだ検討段階にあったSF特撮シリーズ『UNBALANCE』の制作を決定。
TBS側としては「世界のツブラヤ」の知名度を生かしての海外販売が前提であった。この時点での契約は1クール13本となっており、TBSは円谷特技プロの見積り通り7千万円の制作費を支給した。
『UNBALANCE』には東宝のスタッフ・キャストが数多く集められ、放送スケジュールが未定のまま1964年9月27日から撮影が始まった。
本邦初のSF怪奇アンソロジーとして3本のエピソードが完成した『UNBALANCE』だったが、対象視聴者層をより明確にしたいというTBSプロデューサー栫井巍(かこい・たかし)の意向により、怪獣路線へと変更を迫られることとなり、
番組のタイトルも11月中に『ウルトラQ』へ改められた。
このタイトルは、当時の流行語「ウルトラC」を元に、TBSの編成部に所属していた岩崎嘉一が考案したもので、視聴者に「これは一体何だ?」と思わせる高難易度のクエスチョン、そして高度のテクニックを駆使した特撮テレビ映画という二重の意味が込められていた。
ほとんどの放送回で視聴率30%台に乗る大人気番組となり、複数の社から発売されたレコードも初版3万枚が短期に完売、最終的にはミリオンセラーを記録するヒットとなった。
関連商品も好調で本作を商品化した各社は次作『ウルトラマン』の契約でも優遇された。怪獣のソフトビニール人形(ソフビ人形)は代表的なヒット商品となる。
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円谷英二
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E8%8B%B1%E4%BA%8C
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/648/1117509131/996-1000
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ウルトラマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%B3
円谷プロダクションが制作し、1966年(昭和41年)7月17日から1967年(昭和42年)4月9日の間にTBS系で毎週日曜日19:00 - 19:30に全39話が放送された日本の特撮テレビ番組、および、その劇中に登場する巨大変身ヒーローの名前である。
遠い宇宙の彼方「M78星雲光の国」からやってきた宇宙人・ウルトラマンが、科学特捜隊のハヤタ隊員と一心同体となり、科学特捜隊のメンバーとともに怪獣や宇宙人を相手に、地球の人類と平和を守るために戦う。
ハヤタはベーターカプセルという道具を使って、身長40mの巨大なヒーロー「ウルトラマン」に変身する。
円谷一(つぶらや はじめ、1933年4月23日 - 1973年2月9日)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E4%B8%80
円谷プロダクション二代目社長で、演出家、プロデューサー。作詞家東京一(あずま きょういち)としても知られる。円谷英二の長男。
TBSがテレビ映画の自社製作を行なうために映画部を設立すると、飯島敏宏、中川晴之助らとともに映画部に移籍して、TBS初の特撮テレビ映画『ウルトラQ』の制作にあたった。
『ウルトラQ』、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』といった特撮番組の監督を務め、奇抜な演出方法が周囲に理解されずTBSで干されていた実相寺昭雄を拾うなど、シリーズの隆盛に力を尽くした。
円谷一が「ウルトラマン」で監督を務めた「ミイラの叫び」、「オイルSOS」に登場する怪獣は、彼の意見を採り入れ、いずれもぬいぐるみ(着ぐるみ)に演技者が二人入る斬新なものだった。
1970年、父・英二の病死によりTBSを退社し、円谷プロダクションの社長に就任。
財政難から、危機的な経営状況にあった同社の経営建て直しに奔走する。
社長と監督は兼任できないと宣言して、以降はプロデューサーとして作品に携わるようになる。
同年ウルトラファイトの制作を開始。
この番組の人気により、本格的な特撮番組を求める声が高まると、1971年に『帰ってきたウルトラマン』と『ミラーマン』をプロデューサーとして制作し、第二次怪獣ブームの火付け役となる。
以降、『ウルトラマンA』等の番組の制作にも携わるが、1973年2月9日、39歳の若さで急死した。
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