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ネタリンク

1WS:2011/07/22(金) 23:18:34
ネタHPへのリンク&覚書

2WS:2011/07/22(金) 23:27:43
ウルトラQ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9Q
ウルトラシリーズ(空想特撮シリーズ)第1作のテレビドラマ。
アメリカのテレビドラマ『アウターリミッツ』や『トワイライトゾーン』を意識して作られた特撮SFドラマ。
主人公は万城目淳(星川航空パイロット)、戸川一平(パイロット助手)、江戸川由利子(毎日新報報道カメラマン)の3人で、毎回彼らが遭遇する不可思議な事件を描く。

1964年の春。円谷特技プロダクションによる特撮テレビ映画の初企画は、フジテレビとの提携で進められていた。
社長の円谷英二は、この地球人に協力する不定形宇宙生物の活躍を描く『WOO』を制作するにあたり、当時世界に二台しかない米・オックスベリー社製の高性能光学撮影機「オプチカルプリンター1200シリーズ」を独断で発注してしまった。
しかしフジテレビとの調印の当日、『WOO』の制作は中止となってしまう。
円谷特技プロは代理店を通じてオックスベリー社にキャンセルを申し入れたが、すでに日本へ向かっている最中であり、当時の価格で4000万円の機械を、円谷特技プロが自社で購入することは不可能であった。
幸い、当時TBS映画部に在籍していた円谷一の口添えでTBSが購入を肩代わりすることになり、1964年8月、この高価な機械を生かすために、まだ検討段階にあったSF特撮シリーズ『UNBALANCE』の制作を決定。
TBS側としては「世界のツブラヤ」の知名度を生かしての海外販売が前提であった。この時点での契約は1クール13本となっており、TBSは円谷特技プロの見積り通り7千万円の制作費を支給した。

『UNBALANCE』には東宝のスタッフ・キャストが数多く集められ、放送スケジュールが未定のまま1964年9月27日から撮影が始まった。
本邦初のSF怪奇アンソロジーとして3本のエピソードが完成した『UNBALANCE』だったが、対象視聴者層をより明確にしたいというTBSプロデューサー栫井巍(かこい・たかし)の意向により、怪獣路線へと変更を迫られることとなり、
番組のタイトルも11月中に『ウルトラQ』へ改められた。
このタイトルは、当時の流行語「ウルトラC」を元に、TBSの編成部に所属していた岩崎嘉一が考案したもので、視聴者に「これは一体何だ?」と思わせる高難易度のクエスチョン、そして高度のテクニックを駆使した特撮テレビ映画という二重の意味が込められていた。

ほとんどの放送回で視聴率30%台に乗る大人気番組となり、複数の社から発売されたレコードも初版3万枚が短期に完売、最終的にはミリオンセラーを記録するヒットとなった。
関連商品も好調で本作を商品化した各社は次作『ウルトラマン』の契約でも優遇された。怪獣のソフトビニール人形(ソフビ人形)は代表的なヒット商品となる。

3WS:2011/07/22(金) 23:30:54
円谷英二
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E8%8B%B1%E4%BA%8C
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/648/1117509131/996-1000

4WS:2011/07/22(金) 23:32:50
ウルトラマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%B3

円谷プロダクションが制作し、1966年(昭和41年)7月17日から1967年(昭和42年)4月9日の間にTBS系で毎週日曜日19:00 - 19:30に全39話が放送された日本の特撮テレビ番組、および、その劇中に登場する巨大変身ヒーローの名前である。

遠い宇宙の彼方「M78星雲光の国」からやってきた宇宙人・ウルトラマンが、科学特捜隊のハヤタ隊員と一心同体となり、科学特捜隊のメンバーとともに怪獣や宇宙人を相手に、地球の人類と平和を守るために戦う。
ハヤタはベーターカプセルという道具を使って、身長40mの巨大なヒーロー「ウルトラマン」に変身する。




円谷一(つぶらや はじめ、1933年4月23日 - 1973年2月9日)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E4%B8%80
円谷プロダクション二代目社長で、演出家、プロデューサー。作詞家東京一(あずま きょういち)としても知られる。円谷英二の長男。

TBSがテレビ映画の自社製作を行なうために映画部を設立すると、飯島敏宏、中川晴之助らとともに映画部に移籍して、TBS初の特撮テレビ映画『ウルトラQ』の制作にあたった。
『ウルトラQ』、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』といった特撮番組の監督を務め、奇抜な演出方法が周囲に理解されずTBSで干されていた実相寺昭雄を拾うなど、シリーズの隆盛に力を尽くした。
円谷一が「ウルトラマン」で監督を務めた「ミイラの叫び」、「オイルSOS」に登場する怪獣は、彼の意見を採り入れ、いずれもぬいぐるみ(着ぐるみ)に演技者が二人入る斬新なものだった。

1970年、父・英二の病死によりTBSを退社し、円谷プロダクションの社長に就任。
財政難から、危機的な経営状況にあった同社の経営建て直しに奔走する。
社長と監督は兼任できないと宣言して、以降はプロデューサーとして作品に携わるようになる。
同年ウルトラファイトの制作を開始。
この番組の人気により、本格的な特撮番組を求める声が高まると、1971年に『帰ってきたウルトラマン』と『ミラーマン』をプロデューサーとして制作し、第二次怪獣ブームの火付け役となる。
以降、『ウルトラマンA』等の番組の制作にも携わるが、1973年2月9日、39歳の若さで急死した。

5WS:2011/07/22(金) 23:35:21
大伴昌司(1936年2月3日 - 1973年1月27日)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E6%98%8C%E5%8F%B8
日本の編集者、SF研究家、映画評論家、翻訳家。別名、大伴秀司。「怪獣博士」と呼ばれた。

1963年から『SFマガジン』にインタビュー記事「SFを創る人々」を連載開始。また同年に創設された日本SF作家クラブの二代目事務局長として、草創期の日本SF界に関与。またSF映画評論を『SFマガジン』等に発表。のち、1970年には「国際SFシンポジウム」の事務局長をつとめた。

さらに、『ウルトラQ』がまだ企画時の『UNBALANCE』という名称だった時期から企画者として円谷特技プロダクションに関わりはじめ、怪獣や宇宙人のプロフィールを詳細に設定。そのプロフィールに前村教綱、梶田達二、南村喬之らのリアルなイラストを添えて「怪獣図解」として雑誌に発表し、さらには単行本『怪獣図鑑』として刊行。当時空前の「怪獣ブーム」を盛りたてた。しかし、のちに怪獣観の相違から円谷英二の怒りを買い、円谷特技プロへの出入りを差し止められている。

1966年から1972年まで、『少年マガジン』の図解グラビアの企画構成者として一世を風靡。高度経済成長期における未来ブームの波に乗り、科学技術をはじめとして、森羅万象の物事を的確に視覚化する特異な才能で高く評価された。また、表紙に横尾忠則を起用するなど、斬新な発想力で同誌の売上を飛躍的に伸ばした。

常に「自分は40までには死ぬのだから」と言い続けていたが、1973年1月、日本推理作家協会の新年パーティの席にて、気管支喘息治療用の気管支拡張剤エフェドリンの副作用により心臓発作を起して急死。享年36。


エピソード
 ・生涯独り身で、私生活では本名すら友人にも明かさず、死後初めてその人となりが判明している。
 ・「少年サンデー」「少年マガジン」の怪獣特集を1冊にまとめた「怪獣図鑑」は現皇太子の浩宮殿下が初めてお小遣いで購入した本である。
 ・ウルトラマンが地上で戦える時間を3分間として「少年マガジン」誌上で紹介した。そしてその設定を円谷特技プロが後から公認した。
 ・黒澤明作品を紹介した記事構成の見事さから、彼だけは撮影中も取材を許されたといわれている。
 ・エッシャーやマグリットを日本で初めて紹介した。
 ・死後、彼を記念して、シナリオ作家協会大伴昌司賞が創設された。
 ・京都大学文学部二十世紀学研究室に、原稿・原画等の膨大な資料が寄託された。
 ・ウルトラマンに登場する宇宙恐竜ゼットンが放つ「一兆度の火球」は大伴が設定したものであったが後に公式設定となった。

大伴昌司の描いた、ウルトラマン怪獣大図解のスケッチ画
http://karapaia.livedoor.biz/archives/51747849.html

 1966年から1972年まで、『少年マガジン』の図解グラビアの企画構成者として一世を風靡。高度経済成長期における未来ブームの波に乗り、科学技術をはじめとして、森羅万象の物事を的確に視覚化する特異な才能で高く評価された。また、表紙に横尾忠則を起用するなど、斬新な発想力で同誌の売上を飛躍的に伸ばした。

 常に「自分は40までには死ぬのだから」と言い続けていたそうだが、その予言は悲しくも的中してしまったようだ。1973年1月、日本推理作家協会の新年パーティの席にて、気管支喘息治療用の気管支拡張剤エフェドリンの副作用により心臓発作を起して急死。享年36歳だったという。

6WS:2011/07/23(土) 16:57:45
禁書目録(ラテン語:Index Librorum Prohibitorum)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E6%9B%B8%E7%9B%AE%E9%8C%B2

 16世紀から20世紀の半ばまでカトリック教会によって作成された書物のリストで、カトリック教会と信徒に対して危険を及ぼすとみなされた書物が掲載された。禁書目録の目的は信徒を、非道徳あるいはカトリック信仰を脅かす書物から守ることにあった。禁書目録は単に出版後の本だけを対象としていたわけではなく、カトリック信徒が著作を行うときはあらかじめ検閲を受けさせることも習慣として行われた。
 1571年には禁書目録を作成・改訂する専門の委員会が設置された。この委員会が流通する書物を検定し、ピウス4世時代の禁書目録を時代に合わせて改訂していくことになった。同委員会は問題とした書物であっても一様に禁書にしていたわけではなく、書物によっては一部内容の改訂を求めるだけのこともあった。そういった書物は「要修正」(donec corrigatur)「要一部削除」(donec expurgetur)というカテゴリーで別のリストにされていた。
 禁書目録は1948年版まで作成された。これは第32版であり、4000の書籍があげられていた。


禁書
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E6%9B%B8
時の権力を代表する政府、あるいは宗教的・イデオロギー的な権威によってある書物の出版や販売を禁止する行為あるいは禁止された書物である。
禁書が行われる理由はさまざまだが、書かれた内容が宗教的なタブー(神や聖書の否定、支配的な宗派からの逸脱、異端)、あるいは文化的なタブー(食人、近親相姦など)に触れるものであったり、その国の体制を支えている政治システムやイデオロギーに対する批判となっていたり、性的な放埓(『O嬢の物語』、『ファニー・ヒル』など)や残虐描写を描いていたり、否定的に評価される政治的指導者の著書(アドルフ・ヒトラーの『我が闘争』など)や政治犯の手記である、などといったことが挙げられる。


banned book
発禁本


発禁
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E7%A6%81

7WS:2011/07/23(土) 17:24:49
『ハリー・ポッター』シリーズ 映画
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA#.E6.98.A0.E7.94.BB

 1.『ハリー・ポッターと賢者の石』
 2.『ハリー・ポッターと秘密の部屋』
 3.『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』
 4.『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』
 5.『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』
 6.『ハリー・ポッターと謎のプリンス』
 7.『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』
 8.『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』

8WS:2011/08/24(水) 11:40:18
宝くじで「損をしない」確率
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20110822-00021171-r25&vos=nr25mn0000001
200円で約82円の儲けが「期待できる」ことになる。比率でいうと、売価に対し40%程度。

9WS:2011/09/08(木) 16:26:01
絶対にぐぐってはいけない言葉を怖くないように実況するお(^ω^)⑥
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15528653

新垢Ver.検索してはいけない言葉シリーズ
http://www.nicovideo.jp/mylist/25480768

絶対に検索しようとも思わない言葉を検索してみるシリーズ
http://www.nicovideo.jp/mylist/20355414

10WS:2011/09/09(金) 13:28:58
劇場版『ハヤテ』もかなりギリギリのスケジュールだった、スタート時のスケジュールはネギまより酷かった
http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-3701.html

205 名前:メロン名無しさん[sage] 投稿日:2011/07/20(水) 18:35:24.82 ID:???0
http://ameblo.jp/obatasensei/day-20110705.html

夜7時から、ジーベックで作画打ち合わせ。
8時から11時までスタジオでアニメーターとして仕事。

ちなみに、打ち合わせした作品は、「ネギま(劇場版)」。
8月末に公開なのに、やっと作画に入ると言う、信じられないほどすごい状況。

同時上映の「ハヤテの如く」は順調に制作中らしい。
どんな仕事も一生懸命にやりますが、劇場はやはりちょっと気が入りまっす!

※投稿日が7/5なので約2ヶ月




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