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漫画講座論
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>>868
『契機事件(すべての出来事も)の性質は、その世界、登場人物、ジャンルと密接な関係がなくてはならない。
契機事件を思いついたら、脚本家はその働きをしっかりと考える必要がある。
・その契機事件によって主人公の人生の均衡が根本から崩れるだろうか。
・主人公は均衡を取り戻したいと思うだろうか。
・取り戻したいものが無形であれ有形であれ、それに対して主人公は意識的欲求を持つようになるだろうか。
・複雑な性格の主人公の場合、それと矛盾した無意識的欲求も芽生えるのだろうか。
・これを機に主人公は探求を始めるだろうか。
・観客の頭に大きな疑問は浮かぶだろうか。
・脳裏に重大局面が描かれるだろうか。
これらの問いの答えが全て得られるようなら、ごく些細な出来事も契機事件になり得る。』
『アリストテレスによると、結末は「必然的かつ予想外」でなくてはならない。
必然的とは、契機事件が起こったときにはどんな展開も可能に思えるが、クライマックスで観客が物語を振り返るとき、この展開以外にあありえなかったと感じるという意味だ。
観客が登場人物とその世界を理解していれば、そのクライマックスは必然的で満足のいくものであるはずだ。
だが同時に、それは観客が予想もしなかった形で訪れなくてはならない。』
『クライマックスを創作することは難しい。クライマックスは物語の魂であり、うまく行かなければストーリー全体が失敗する。
その次に難しいのは、メインプロットの契機事件だ。
脚本家は他のどれよりも多くこのシーンを書き直す。
その手助けとするために、こんな問いかけをしたらどうだろうか。
主人公にとって、最悪の事態はどんなことか。また、それがどう変わると最高の結果で終わるのか。
あるいは反対に、主人公にとって最高の事態とはどんなことか。また、それがどうなると最悪の結果で終わるのか。
最高なのは何か、どうなると最悪になるのか。それがさらにどうなると主人公の救いとなるのか。
または、最悪なのは何か、どうなると最高になるのか。それだどのように主人公の破滅へ繋がるのか。
「最高」と「最悪」ばかりを目指すのは、ストーリーという芸術が中途半端な人生体験について語るものではないからだ。
契機事件の衝撃は、人生の極限へと達する機会を生み出す。それは一種の爆発だ。
直接的であれ控えめであれ、契機事件は主人公の現状をかき乱して、それまでの生き方を大きく変え、その人物の世界を混沌に陥らせるものであるべきだ。
そして脚本家は、クライマックスに及んで、よかれ悪しかれ、主人公の世界に新たな秩序をもたらす解決を見つけ出さなくてはならない。』
『ストーリーは、例え無秩序を描くときでも、統一性を欠いてはならない。
どんなプロットにも「あの契機事件があったため、このクライマックスに至った」という論理の整合が不可欠だ。
例、ジョーズ、サメが遊泳者を襲ったため、警察署長がサメを退治することになった
契機事件とクライマックスの間には因果関係が感じられなくてはならない。
契機事件はストーリーの最も大きな動因であり、だからこそ、その最終結果であるストーリー・クライマックスは、必然と感じられるものであるべきだ。
この二つを結びつけるのはストーリーの脊柱、すなわち人生の均衡を取り戻したいという主人公の強い願いである。』
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