したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

鼻尖恐怖

1名無しさん:2021/03/24(水) 21:13:58
「僕の著書の内にある・鼻尖恐怖の例をご覧になったでしょう。鼻の尖が見えて、勉強の邪魔になる。余計なものが見える。普通の人には、こんなものは気にならないであろうと思うと、腹立たしく・苦しくなり・気も狂いそうになるというのである。人並でない・余計な事と考えるのが、其苦しみの出発点であり・考え方の間違いの本であります。鼻の先の見えない人は、世の中に一人もない。只普通の人は、素直に見えるままに・仕方なしに勉強して居る。素直に当然の事として居るから、少しも気にならない・見えないと同様である。即ち普通の人と、神経質との相違は、素直に受入れるのと、こんな事は、つまらぬ事だと反抗して・之を否定しようとする心との違いであります。」

「強迫観念とは、どんなものかといえば、『根治法』の中に、鼻尖恐怖という実例のあります通り、鼻は誰にでも、気がつきさえすれば必ず見え、又イヤだなと思えば、当然ウルサク感ぜられるべき人間自然の事であります。之を強いて見ないように・思わないようにと、あせり・もがくために、強迫観念が起るもので、一口にいえば、誰でもが当然感じ、又は思う処のありふれの事に対して、之を感じまい・思うまいとする無理な考え方を強迫観念というのであります。
それで気がつかなかった前には、鼻の先など、誰も之が見えるものということさえも知らぬ位のものです。それが、ついしたことから、一度気が付けば最後、いつでも容易に見える様になり、気にすれば気にするほど、心の執着となって、益々苦しくなり、思いすてることの出来ぬようになるものです。『根治法』中には「美髯の人」の例もありますから、よくよく御考え下さい。
然らばこの執着は、どうして治すか。それは簡単な事です。即ち一度執着した事は、一度染まった衣物のシミの取れないのと同様に、到底思い流し・忘れ去る事の出来ないものであります。それで仕方がないから、寧ろ之に執着してしまって、其内にはいりきり(自分の糞は臭くなく、又便所に入れば臭くないように)、其のものに・なってしまう事です。鼻の尖の気になる人は、絶えず其の鼻の先を見入って・忘れないようにする事であります。かくする事によって、鹿児島からハルバル上京して来た鼻尖恐怖の患者は、十日間ばかりで、鼻の先を忘れ、全快してしまいました。」(森田先生)

2名無しさん:2021/03/24(水) 21:15:00
発言者ID rainbow
意識すれば誰にでも見えている鼻の先に例えてあります。私は強迫観念の正体を考える時に、これはとても分かりやすい例えであると思います。

意識さえすれば、人間であれば誰にでも見えている鼻の先。これを見えない状態にしようとするのは、全く無駄な話なんですね。エネルギーは消耗するばかり、逆に意識が集中することによって、苦痛は増していく。

この事が頭にあれば、必要以上に苦しむ事はないかもしれません。…と、自分に言い聞かせながら書いてるんですけどね(笑)

3名無しさん:2021/03/24(水) 21:17:01
発言者ID mandy
実は私もこの鼻尖恐怖の事例を読んでいるうちに鼻の先が気になって仕方がないという風になってしまいました。これは困ったことになったぞと若い私は慌てたものです。当時を振り返ればこうした失敗も痛快に面白おかしく話せるものですが、あまりにも馬鹿馬鹿しいだけに、多くの神経症の方には調度良いお話です


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板