[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
東方儚月抄をまったり語るスレ2
189
:
名前が無い程度の能力
:2011/06/22(水) 14:14:13 ID:6U/njo6U0
再び、浦島のことを考えた。乙姫様が宮殿の中で、美しく着飾って、あてどなく、帰りを待ちわびている―― そこへ「雲」が戻ってきて、無慈悲にも起こったことを話した―― そして、長い正装した服を着た海の生き物たちは、愛らしいものの不器用であるが、乙姫様をしきりと慰めようとしている。しかし、本当の物語では、これらのことはどれもなかった。人びとが同情するのは浦島の方であるようだ。そこで、私はつぎのように、自分なりに考えてみた。
浦島を哀れむのは、全体、正しいと言えるのか? もちろん、浦島は神によって惑わせられている。神によって惑わせられていない者はいるか? 惑いのない「人生」なぞあるのだろうか? 浦島は惑わせられたが、神の目的を疑って、ついに箱を開けた。それから、何のトラブルもなしに往生した。人々は彼のために浦島明神なる神社まで建立している。なぜ、そんなに浦島に同情するのか?
西洋では、まったく異なって取り扱われる。西洋の神々に従わなかったあかつきには、私たちは生かされ続けて、後悔の極みからその外延に至るまで、さらにどん底までを完璧に思い知らされることになる。私たちは、まさしく最も良い時期に全く満足がいくように、死ぬことを許されてはいないのだ。いわんや、死後に自分自身の権利として、小さな神になることも認められていない。浦島が現身神たちとかなり長く生きた後、どうして浦島が行った愚行に同情できるのか?
おそらく、私たちがこの問いに答えることのできるのは、まさしくこの事実なのだろう。この同情とは、自己への憐憫(あわれみ)でなければならない。そうすると、この浦島伝説は無数の人々の魂の伝説となりうるのである。その思想は、ちょうど青い光と柔らかな風のある特定の時に―― そして、いつも昔の古い恥の記憶のように、訪れるものである。それは、また、季節や季節感と親密な関係があるがために、ある人の人生や祖先の一生の中の、現実のものと結び付けられてきたものである。けれども、現実のものとは何か? 乙姫様とは誰だったのか? 常夏の島はどこにあるか? 玉手箱の中の雲とは何か?
これらの疑問の全部に答えることはできない。私がこれについて知っているのは―― それは少しも新しくはない、ということである。
〜〜〜
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の浦島太郎への言及抜粋
ttp://www.geocities.jp/kaijyonouta/hearn/dream_summer.html
紫と浦島太郎関係はここを下敷きにしている気がする
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板