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千尋くん見ていますかー?お元気ですかー?

78seiko ◆wOUe8iWjRg:2021/08/22(日) 23:35:42
ありていに言えば、「喧嘩の本質」や「煽りの極意」等といった言葉の塊自体が、俺にとってサブイボが立つ程気持ち悪いものに映ったわけです。もう全身を血塗れになるまで掻き毟って、黒い血が詰まった爪を齧りながら全裸でバスタオルを羽織ってガタガタ震えて神に許しを請いたくなるような気持ちにさせられたわけです。そんな文字列を眼にした暁には、ノートPCの画面をバタンと閉じて、電源も引っこ抜いて押し入れに詰め込んだ後、窓を全開に開けて深呼吸しながらヨガで汗を流して、お香を焚いてアールグレイの紅茶を飲みながらドストエフスキーでも読んで、喧嘩板の存在すら忘れてクリーンな気持ちで残りの日を過ごしたい、そこまで思わせる負の圧力が有ったわけです。
でも今はそんな事はない。冷静に観察をして、あるがままを分析してみようという気になれる。なぜだろうか?それはやはり、今は第三者として部外者の視点から物事を見れるようになったからだと思う。あほな事をしているなぁと、冷笑できる精神上の余裕が出来たから。自嘲的、冷笑的立場から振り返ると、やはりそれぞれが成し遂げようとしていた理想とか目標みたいなものが客観的に浮き彫りになってきて、それらを見直すという行為は、当事者としてそれらと直面する上での意味合いとは違ってきて、惹起される感情も別のものに変わってくる。

自分が楽しんでいるつもりだった喧嘩も、本質論とか、復興論とかそういう概念が剥き出しになってどんどん必死感を帯びていくうちに、何やらチープで、かすかにくすぶる吸い尽くされた煙草の吸殻のようで、生気もスリルも無いやり取りのように見えてきてしまう。たかだか喧嘩師のクセにお高く留まって理想論ばっかり語ってんじゃねーよバーカと、頭デッカチの理屈の重みで潰れて歩けなくなっちゃ元も子もねーだろと、そういった語り口に対してほとんど憎しみのような感情すら抱いてくるんだけど、それに反骨精神を沸かせて噛みついてしまう事自体が存在を肯定して影響を拡散してしまう行為になってしまうから、それならむしろ全く見ない、考えない振りをして、何も知らない無知の装いでひとしれず溜息を付いて、次第に陳腐化していく興味を、誰と共有することも無く一人で抱擁して、どうでもいいようなニヒルな恰好つけた態度で、内側では悶え苦しんで死にそうにしている、そんな人は一人じゃなかったと思うんだけど、どうなんだろうか。そういう人は、打開策というか、救いの道を、喧嘩以外のものでもいいけど、何に求めたんだろうか?

*へんじがない ただのしかばねのようだ*

コップさんが説明したくれたように、喧嘩というのは連続する物語性の中で、偶発的な予期せぬ機会に備えながら物事を予期すべき方向に進めるというアンビバレントな遊びです。それを紐解き、理論として提示し、戦略として分析し、文化として固定化するような「喧嘩論」の吹聴は、自分にとって土台となる世界観そのものの否定のように捉えられたのかもしれない。もしくは、喧嘩の本性は嘲笑的視座にあって、他者の滑稽さが徹底的に批判されるべき世界において自らの本質論を馬鹿正直に語るという滑稽さの存在が矛盾したものであり、それに対する生理的嫌悪の発露であったという言い方もできる。
当然、本質なんてものは人に依るものだから、そんな事を論じてなんの為になるんだという実利主義的な視点から語ることもできると思う。ただ、喧嘩板っていうのは最悪最低の土壌を養分にしてまで花を咲かせようとするマッドサイエンティストの集まりだから、そういう無価値で意義の見当たらない論点をいっぱしの議論に昇華させる芸当も横行していて、それが何らかの展開を更にスパークさせる切っ掛けになるのであれば、論点そのものが抱える見栄え上の発展性や生産性の有無っていうのは左程重視されるべきではないと考えているので、俺の思っているところはなんというか、もう少し「腹の虫」みたいな意味合いが強い。コップさんは観客としての時期が長かったようなことを言っているのでそれらの言葉が持つ得も言われぬ気味の悪さについて力説されたところで、「なにをいっているんだこいつ」という感じで、比喩的な抽象観はもういいからもっと現実的な史観に基づいて説明してみろよクソ野郎と俺のことを心の中で罵っているかもしれないけど、俺の表現力の限界もありまして、こんな感じでしか話が出来ません。


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