[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
| |
千尋くん見ていますかー?お元気ですかー?
76
:
seiko
◆wOUe8iWjRg
:2021/08/22(日) 23:32:52
俺は文章が自由であるべきだとは必ずしも思っていなくて、文章を書く上で筆者の意思が文章そのものと方向性を同じくして特定の意義を表そうとするときや、文章が筆者の意図を体現する形で漠然とした思考空間のなかの一塊の概念を彫刻刀でこつこつと削り上げていくかのように物語が進展していくとき、文章というものの制約性が表層的な価値観から説得力を持つ命題としてひとつの文化のなかで語られるべきである物であってはならないと思っている。
しかしながらそういった論調というか、風潮っていうのは時代の閉塞感が強まるにつれてじわじわと噴き出してくる傾向があって、それは何故かというと、それが最も短絡的で誰にでも理解できる「自明らしく見えるもっともらしい理屈」だからであって、必ずしも多角的視点からの精査に耐えうる妥当性を備えていなければならない必要は有らず、表現として眼の前に並べられている言葉の数々を、誰もが理解可能な分かりやすい価値観を共有させて「評論する」という経験自体に、裏付けのない優越感という形で容易に人間の欲求を満たすことが出来るという安易な解決を見出しているだけなのだと思う。
先程から述べているスタンスを逆説的に言うと、とある特定の形式の文章体系が、全く無欠で精緻に筆者の展望を表出しうる性質を持っていると仮定した時に、その文章系以外の存在を根本的に否定する立場を取る場合もありえるという事になって、俺が極論的な意義として文章の自由性を前提として肯定しつつも結論として制約すべきであるという二律背反のような立場を取りたいんだなぁということが分かってもらえると思うんだけど、
むしろ文章は自由であるという思考は危険であるとまで思っているところがあって、まったく制限のない自由度から開始した文脈は行き場を失い、自由性そのものに足を絡め取られて七転八倒した挙句、そもそも自らが成し遂げたい目標地点の設定も儘ならないまま、右も左もわからず手探りで盲人のように彷徨ってみたところで 広大な白紙のページを前にして手がかりの無さに絶望し、茫洋たる大海に身を投げ捨てられて溺れてしまうような、にっちもさっちも往かない袋小路に追い込められて、頭をすっかり抱え込んでしまう惨めな経験をしたことが自分は何度もあるので、それならむしろ誰かに決められた道標をなぞりながら、自らをコミュニティの最大公約数的に定められた枠組みに押し込めて、制約された環境のなかで虚偽の自由を満喫しているようなふりをしていたほうが、身の丈に合わない自由性を礼讃しながら実態と理想の乖離に悩み続けるよりも、「まし」だと考えるようになってしまった。過去形ではなく、今でもそう考えている自分が居るし、その呪縛からはいよいよ逃れられないものなのだろうと覚悟している。
つまらない改悛の自分語りになってしまったので話を戻すと、文章の制約が規則的な義務論の表象としての視点から語られるとき、往々にして「文章そのものを相互がそれぞれにとって未知であるはずの世界を切り出して意思表示として相手に提示していくための道具であると見做し、それが織り成す連続的な対話的価値の形成にこそ真たる意義が横たわる筈だ」という視点が排斥されてしまう傾向が強く、視点がより独創的であればあるほど唾棄すべきものとして見做され、標準にそぐわない文章のエッセンスたる価値は形而下的な文脈からまったくもって省略され、いよいよ逃げ道のなくなった哀れな文章の魂には、手足をもがれて無価値な残骸として側溝に掃いて捨てられてしまう悲劇的運命が待ち受けている。
俺はそれが悔しいので、圧制に立ち向かう反政府主義者のような気持ちでこんな事もやってやるぜという感じでアナーキーな態度を取って見せるんだけど、それ自体が標準、規範、評価対象の枠から逸脱していると解され、そもそも同じものではない、文章という体が共通なだけの違う動物であり、文化が違えば住む場所も食べる物も使う言語も違うので、そもそも会話が成り立たないというような感じで一蹴されては、心の片隅で文章の自由性という幻想にか細い希望を抱いている自分がいて、いや自分の能力が足りないだけで、文章が紡ぐ物語性が一貫している限り、伝えられる意見があり、動かせる情緒、少なくともその余地があるはずだと思って、無限の可能性を信じて色々なアプローチを試してみるんだけど、返ってくる答えは画一化された価値観の承認を一方的に要求するだけの杓子定規の「はいろんぱ」であって、自分がやっていることは深淵の暗闇に向かって必死に呼びかけているだけのような感じがして、またねぐらに戻って不貞寝をする、結局そういう事しかやってない、いっつもそれ、俺はなんて無能なんだという話です。だからコップさんがお世辞でも礼儀ただしく敬意的なものをちらつかせてくれるたび、心が痛くてしょうがないのが本音です。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板