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千尋くん見ていますかー?お元気ですかー?

71コップ ◆kfj4n92PLw:2021/08/19(木) 20:14:15
>なので本質的なアプローチとなると①目的そのものを違う方向に捉え直す(例えば喧嘩から競技性を排してお互いの認知能力や芸術的感性を高める互恵主義的活動と考える) ②そのものへの言及を避けるという参加者が最低限従うべき不文律として観念化する のいずれかになるのではないかと思います。

②は僕の上述した事と相通じたことのように承ります。①については、大喧嘩が喧嘩とは別に考えられるなら、喧嘩にも競争が色濃いものと、相互の啓発が色濃いものとを、前者は大喧嘩の敵同士で行われるもの、後者は大喧嘩の味方同士で行われるものとして、分けて認められそうです。互恵主義的活動というのが、ただ喧嘩板が一つあるだけで、そこに喧嘩師が屯しているだけの状況に於いては、あんまり奮うように見えないんですが、もし敵味方ある内の味方の陣営で稽古をしているというような時ならば、直接には競争性を持たず、しかし向後ある筈の競争に寄与するという意味で競争性が保たれているので、「喧嘩」が「喧嘩」である意義をそこに保てる…などと書くと、直接にはseikoさんの述べていることと関連しないようなんですが、思うに「喧嘩」には競技性とは別にまた競争性が考えられると思います。Seikoさんが述べている「お互いの認知能力や芸術的感性を高める」側面というのは、いうなれば演習性とつづめて述べられるのではないでしょうか。
「競技性」は、一個の喧嘩の起こりから終わりまでの範疇で、互いに相手をどうかして負かそうとする努力を発揮することに現れた性質。
「競争性」は、(例えば)一個の喧嘩をある結果に終わらせることで、自分の相手がただ負けたばかりでなく、その決着の時からずっと引き摺るような痛みを感じるように仕向けること。あるいは、(例えば)一個の喧嘩が始まる前から自分と相手との間にある因縁を、これを行い、決着させることで、解決させようとすること。そういったことに現れた性質。
競技性は、あくまで競技の内で競う事なんですが、競争性は競技以前の状況を、あるいは以後の状況を念頭に置いて競技で然るべく事を行おうとする事です。競技性の見地によっても、競争性で参照されるような因縁は初期条件の一つとして、競技の内で沙汰に上り得ることなんでしょうが、競技性は競技に於ける相手を打ち負かすことに係り、競争性は競技に於けるよりも、一人の人物としての相手を打ち負かすことに係るのだと、それぞれ言えそうです。で、この競技性は一般化して記述可能なものです。しかるにこの競争性は、一般化すると大事なところを取り落とす感じが受けられるところのものです。競争性というのは、例えば、前回自分が小手ばかり打たれてやられたので、今回は同じ相手の小手ばかり打ってやったという話に表されます。「物語性」と言ってもよいかも知れません。で、僕はきっと、この「競争性」は「大喧嘩の一部分としての喧嘩」に必ず備わっている筈なのであると考えました。単独の事としての「喧嘩」をやる者は、どうしても一回限りで完結する気味合いの「競技性」の優ということを考えないといけない。が、「大喧嘩の一部分としての喧嘩」では、「競技性」が拙にして「競争性」が優であるところの喧嘩は大いにあり得ます。Seikoさんが述べるところの「メタ的に語るの」が「興醒め」であるような物事というのは、大体、そうしてメタ的に語られて、語り尽くされてしまう程度には研究されてしまった物事であろうと思います。駄洒落をメタ的に語ると興醒めかも知れませんが、小説をメタ的に語ると興醒めだということにはならなさそうなのは、きっとそこに通じているだろうと思います。「喧嘩」は駄洒落になり得るのですが、「大喧嘩の一部分に於ける喧嘩」は、ただ単独であるところの「喧嘩」よりも駄洒落になりにくい気がします。また従って、「大喧嘩」も、作者を変えて書き続けられる小説のように、メタ的に語られ得ない秘所をふとした瞬間晒して、我々の目を驚かせるものであり続けられるのではないかと思いをやった次第です。


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