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千尋くん見ていますかー?お元気ですかー?

70コップ ◆kfj4n92PLw:2021/08/19(木) 20:13:12
「喧嘩」は個人同士が行うもので、「大喧嘩」はグループ同士が行うものです。
「喧嘩」も「大喧嘩」も、どう行われるのかを定式化され得ることは真にそうです。
人は何かの行為について、定式化で言えてしまう意味以上のものを見出すことはあり得ます。いやなやつが町内相撲大会に出るので、おれも出て、ひとつとっちめてやろう。とか、そういう場合は相撲なんて土俵の上でぶつかり合うだけだろうと思っていた人も一つ熱心にやってみる気を持ちそうです。
でも、定式化した以上の意味を求められない場合が物事に於いて通例であるような場合もあって、見知った相手しかいない喧嘩板での「喧嘩」は、その一の場合であるように思われます。
AとBがめちゃめちゃいがみ合っている場合などは別でしょうが、それでも、一回こっきりで喧嘩は終わってしまいそうです。言いたいことを互いに言ってしまって、それっきりな感じがします。その喧嘩が完全燃焼であればある程そうでしょう。
では、「大喧嘩」を考えて、グループ甲とグループ乙とがいがみ合っている場合を考えましょう。すると、甲のAと乙のBとが喧嘩をして、AがBに負かされても、Aは一旦甲に戻るでしょう。Bもまた乙に戻るでしょう。甲には乙への怨みが新たに生じます。乙に於いてはBが手柄者として褒められます。グループ同士の遺恨というものはなかなか容易には晴らされないものです。
イメージとしては、「なにかいがみ合っている学校同士が、ラグビーで二年に一度試合を行い、そこで双方生徒連がめっちゃ盛り上がる」のです。
色々と人のハンドルネームがあるのを全てどこかしらのグループに帰属させるのです。これは束縛するということですが、人は束縛されたがって束縛される場合があります。そして、一旦束縛されるとなかなか脱しがたいのです。

>実際に過去を考えた時にいわゆる掲示板間での帰属意識からくるグループ同士の対立という形で似たような構図が出来たことも多々見受けられた。

とseikoさんは述べていますが、どうもそういう対立がその始まりの熱を何個も喧嘩が起こった後にまで持続出来た例があるようには思いません。それもそうで、「帰属意識」が例えあったにせよ、掲示板は所詮は「喧嘩板」で、そこに雑談やゲームを介しての交流やは起こりにくいです(*1)。やっぱり、同じ掲示板住民同士でも、そりがよいのと悪いのとありますし、つるむ仲とそれほどでもない仲とが分明に見分けられるようになるのは避けがたい趨勢であるのでしょう。何というか、僕はその「つるむ仲」をグループの単位にして、「つるむ仲」メンバーが彼ら以外の喧嘩師について、ゲームの最中チャットで言及したり、雑談のついでに言ったりするというその、彼らの喧嘩師への関心へのありようが、「大喧嘩」をもって喧嘩界隈の人々へアプローチする方に作用して行かないものかと想像を巡らせます。

えー、大喧嘩というのは、つまりは絶対に背景をそれなりに持っている訳のもので、えー…後述します。


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