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千尋くん見ていますかー?お元気ですかー?
67
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◆kfj4n92PLw
:2021/08/19(木) 19:25:53
>たりない脳みそで頑張って言語化すると、(少なくとも自分にとって)喧嘩の楽しさは「相手の論理を過去の発言を元に追及する」という確実性(論理にもとづく絶対性)と、「人間の感情を利用して優位性を争う」という非確実性(感情にもとづく不安定性)のバランスを考えながら自分が有利な展開に持ち込む状況支配の妙であって、
>その「喧嘩とはかくあるべし」とか「こういう相手にはこういうスタンス取れば勝てる」みたいなメタを喧嘩が実際に行われている場所で分析する(自分だけで持論を練るだけでなく、それを公の場で他人と共通する)っていうのは、実際に問題を解く前の答え合わせであり、何でもありイコール何があってもおかしくないという喧嘩の本質的な前提に反する行為であると感じてしまうから、という理由付けになる。気がする。
確かに、seikoさんは喧嘩の本質的な事を言っておられます。「本質的な事」は、喧嘩をする者にとっては、どうしても左右出来ない事実ですので、いうなればバカにも賢にも(かしこ です)ノーが言えないんですね。喧嘩板というのは、やっぱり喧嘩をする場所だとみんな思っている。何を言うにしろ、喧嘩をしたい人がそこに首を突っ込んできて、ちょっとおかしな異論など言ったり出来たら楽しいだろうと思いながら言うんです。それに反論出来たら面白いだろうなとワクワクする感じを予感として抱いて言うんです。しかし、「喧嘩の本質的な事」は、喧嘩のタネにしようがありません。道理を弁えない本物のくそ馬鹿が反論でもない支離滅裂の言を述べに来たり、普通人でも、よく呑み込んでいない人が疑念を述べに来たりすることはあるでしょうが、前者にしろ、後者にしろ、喧嘩のタネに食いついて来た感じがしません。前者が来た場合は「喧嘩の本質的な事」は喧嘩のタネになるんでしょうが、それは1+1が2だと述べたら絶対に3だと言い張る馬鹿が来た場合と同じことです。ちょっと話になりません。後者には、教え諭せばそれで済むから、あんまり新しい事を述べたりする機会がその時に出来る訳ではなさそうなものです。Seikoさんは「喧嘩の本質的な事」は、結局、それを言ってそこから何が発展するでもないことだから、言うことを憚る気味が多くの人の間にある訳のものなんだと述べているらしく僕には思われます。そんなことより、もっと人の興味をそそり、異論を呼び、発見につながるような発言や、意表を突く面白さがある発言を行いたいと感じるのがseikoさんの喧嘩板に対するスタンスの上には生じざるを得ないものであるのだろうと思いました。
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