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ごめんなさい……

1中途半端自殺未遂者:2009/03/13(金) 10:16:40
今、ちょっとした自殺未遂をしてしまいました。
風呂場で出刃包丁を左胸に刺そう、ってところまではいったのですが、
押し当てるだけで刺すまでには至りませんでした。

一番親しい友達と恋人へ「ごめんなさい」と遺書に書いたのですが、
やはり死にきれませんでした。

もう、どうすればいいのか分かりません……

500中途半端:2013/01/09(水) 20:44:26 ID:XqVlzcaY0
>>499

こんばんは。

最近私も独りで寂しいのですが、
そういう時期なのだと思っています。
半分納得はできていないんですけれどね。
1人でしかできないことをする時期なんだな、と。

もちろん寂しい時、誰かがいてくれた方が楽なのは私の正直なところです。

502中途半端:2013/01/19(土) 13:17:27 ID:XqVlzcaY0
昨夜、用水路に落ちた。翌日がセンター試験とあって、
受験生10人分くらいの悪運を私が背負ったのかとも思ったが、何はともあれ生還した。
青臭い泥水に落下し、そこから家まで20分程歩いて帰った。

泥まみれの時はただただ帰宅するだけしか考えていなかったが、
後になって考えれば、あのままうずくまっていれば凍死した気もする。

自分の身長ほどの高さから落下した。
真っ暗で、それを黒いアスファルトだと思いこみ、用水路の溝に足を進めた。
泥水は靴が浸る程の深さしかなかったが、体で着水した。
大した怪我もなく、這い上がってどうにか温かい湯船に辿りついた。

そもそも、電車を目の前で乗り損ねて1駅分歩いて帰ろうと思ったのがいけなかった。
私の住むところでは1駅分とは電車で4〜7分だが、
次の電車が30分以上来ないことで歩こうと考えたのが浅墓だったと思う。
実際、歩いている途中で乗るべき電車が私の横を通り過ぎた。

正直、事の詳細をここで書く必要はないと思っている。
本当に書きたかったのは用水路の汚さや泥水で凍てついた手などではなく、
ようやくにして、生きていることに感謝できたことだ。

恐らく、3年前の私ならば迷わずうずくまっていたと思う。
運が良いことに死ねそうな事故が私に巡って来たのだと、
そう思わずして何を思うのかとさえ考えた。

しかし昨夜はそうではなく、這い上がり歩いて帰ることのみ考えていた。
落ちた瞬間、地面が突然消えたのかと思うほど混乱していたが、
死ぬとは一切思っていなかった。

昔であれば用水路に落ちれば死んでいたようである。
昔でなくとも様々な不運が重なれば死んだとは思う。

以前は年中死のうと思っていたものだが、
死に近付いていながらも死のことを何一つ思わずにいたのが面白かった。

それから、私自身がこの数年間で目まぐるしく変化しているのだと実感した。
買ったばかりでお気に入りのコートがお釈迦になったが、
その対価を払ったとしても面白い体験だったように感じた。

それから、やはり私は自殺では死ねないのだと強く思った。
昨夜のことは自殺行為でも何でもないが、
最終的に死を選ぶに選べない造りをしていると感じざるを得なかった。

503武來庵:2013/01/19(土) 21:13:14 ID:z0oqxbog0
>>502

上の文章は特にいいね。
読み手の僕を引き込む。

衒いがない淡々とした語り口調と冷静な分析に、
年齢を超えた頭のよさを感じさせる。
売れる文章だと思う。

生きていれば失敗や事故はつきもの。
「大変だったね」なんて同情は多分不要だろう。

こちらも思いも因らない事故を起こしたことがある。

南米移民の若者を中心に混んでいるゼントルマンクラブの夕方、

もう行っていないが、
そこのレギュラーと小銭を賭けてのビリヤードゲームの最中に、
突然意識を失い膝から崩れて、木が倒れるように、
顔の側面からコンクリートの床に倒れたことがあった。
床にじっとしてた数秒間がとても長く感じた。

初めての経験だったから一番驚いたのは本人の自分。

数人が駆け寄ってきて大丈夫かと、肩を貸してくれたけど、
怪我もなく、打撲もなく、幸い掛けていたメガネも無事。
不幸中の幸いで、痛みよりも気恥ずかしさのほうが強かった。

ゲームの方だが、倒れる前はこちらが有利だったが、
事故のあと集中が出来ず、結局負けてしまった。
そのあとは何事もなかったように一日が終った。

どうして倒れたのか、何度か理由を考えてみた。
多分お腹をすかせていたのと、
それに加えて、ちょっとした集中と緊張が続き、
倒れる前のほんの瞬間、体から血が引けていくのを感じた。

いろいろ面白い経験をしているし、考えているはずだが、
一向に筆が進まない。

君のように文才があれば、日米の文化論や小説なんか、
数冊書いていたろうね。

馬鹿さ加減や才能のなさに呆れている。
恥を背負って生き抜くよりも
死んだ方がいいのかもしれない。

生きたくても生活できない自分。

いたって健康な50を超えたおっさん。

僕の生きる時間が、
砂時計の砂が落ちるように、
消えていくのが分かる。

504中途半端:2013/01/20(日) 14:37:05 ID:XqVlzcaY0
>>503

あなたにそう言ってもらえると私は素直に嬉しいです。
ここを見付けた時から、あなたの書く文章に引きつけられていて、
私はその言葉の扱い方を目標にしていると言えます。

良いと思った物事には率直に良いと言い、
悪いと思った物事には率直に悪いと言うあなたの口調に私は自信を感じます。

私は常に自分の言葉が正しいのか間違っているのか探って、
結局曖昧なところに落とし込んでしまいますから。
そのはっきりとした口調に好感を持っています。

ただ、残念ながら私も書けない人間です。
1人で長く言葉を連ねるのが苦手なのだと思います。
私の言葉に対し誰かが意見を言って、その意見に返答するような、
常に何を書くにしても具体的な相手を必要としている感が否めません。

もし近々あなたが失われてしまうなら私はとても惜しく思います。
あなたに対して具体的に何もできないことが悔しいです。
何か私にできることがあれば言ってください。

506中途半端:2013/01/31(木) 17:12:21 ID:XqVlzcaY0
>>武來庵

返事が遅くなってしまってすみません。

あなたの文章を読んで、周囲であなたの力が活かせるところがないか、
調べてみました。私の住んでいる県では国際化を押し進めているようで
(ピンとくる事業は見当たりませんでしたが……)、
様々なプロジェクトを立ち上げて活動を行っているようなので、
他の地方自治体のページを確認したら何か兆しが見えてくるかも知れません。

勿論、私自身は仕事やら何やらに関して全くの素人ですから、
何を考えるにしても理想的あるいは希望的だとは思いますが、
あなたの力は必ず役に立つものであると信じています。

自殺の本質をあなたが理解していると私はいつも感じていましたし、
それは今であっても揺るがないものである筈です。

ここの管理人としてのあなたではなく、あなた自身を失うのが惜しいと思っています。
最悪、ここがなくなったとしても、あなたの言いたいことを言える場が他にあれば私は構いません。

507つみき:2013/02/02(土) 01:39:28 ID:LxWKaPs.0
ねぇ、助けて
独りにしないで!私は、誰を信じればいいの?
私は、いらない存在なんでしょ?
どうして誰もが、手を伸ばしてくれないの?
いつも独りで寂しいよ
どうしよう?
もう少しで、心が無くなってしまいそう
人を傷つけてしまいそうなのに、誰も気づいてくれない
何に当たればいいの?
お願い、お願いだから助けて
お願い お願いします

508中途半端:2013/02/02(土) 11:27:43 ID:XqVlzcaY0
>>507

あなたを助けようにも、私はあなたに対して何かしらの話をする以外、
ここでできることはありません。

私がいるこのスレに書き込むということは、
多少なりとも私の反応を期待してのことと私は思います。

残念ですが、どうあっても寂しさが消えることはありません。
あなたが寂しさを感じる時、そこに必ず寂しさはあります。
人混みの中であれ、友達との輪の中であれ、
寂しく思う時があれば、そこに寂しさはあるものと考えています。

あなたは何故寂しさを感じてしまうのでしょう?
自分に問いかけてみてください。

509袋小路:2013/02/02(土) 14:38:55 ID:P38DPM3s0
人間味が無くなっていく自分が辛い。
苦しい時に休むのが一番だと思っていたが、そんなことはない。
休んで正常さを取り戻してくると更に辛い重圧というか現実との差異に葛藤し、更に無気力になる。
もう数年になる。
大して成長しないまま大人としての仮面を被り、世間との大きなズレを感じる。
俺って生きてる価値ないのかもな・・・。
マイノリティーに我を通せるほど俺は強くない。
希望を捨てたら終わりなのかも知れないが正にそんな状態だ。
夢も希望もない。休息に意味を持てない。
それでも内省を得意とする俺は考えることを止められない。
悪循環の思考で脳内が蹂躙される。集中力を常に死に向けられていて、他に集中しようとすると拡散する。だが死ぬ勇気はない。
燃え尽き症候群から鬱になった。這い上がる気力すら残っていない。
もう時間が癒してくれるとも信じていない。

510中途半端:2013/02/02(土) 15:52:53 ID:XqVlzcaY0
>>509

こんにちは。初めまして。

多分、あなたは生きているうちに今持っている疑問だとか悩みなど、
それら諸々の原因を見付け出せる人だと、何となくですが感じました。

今のあなたの状態を多かれ少なかれ、人は体験するものと思います。
それを克服するにあたってどの程度の何が必要なのかは人それぞれでしょうし、
勿論あなたであっても同じだと思います。


それから、あなたの書き込みから個人的に思うことですが、
マイナスな言葉で自分を表現していると、
自己イメージもネガティブなものになっていくと思いますので、
プラスと言わずとも、なるべく中立的な表現をした方が良いのではないでしょうか。

511武來庵:2013/02/03(日) 06:30:58 ID:v/LWoOq60
>>506

小さな奇跡、
小さな望みが生まれました。

ごめんなさい。
心配をさせたことを恥じています。

513中途半端:2013/02/03(日) 15:39:25 ID:XqVlzcaY0
>>511

いえいえ、
新たに先が見出せたならば私は嬉しいですよ。
忙しくはなるでしょうけれども、
知らない物事を体験するのは何かを書く上で良い刺激になると思いますし。

むしろ、あなたがいなくなってしまうと思うことで、
自分の中のあれこれを見直すきっかけになりました。
色々と助けられてきたように私は思いますし、
今までもこれからも、あなたという存在が有難いですよ。

514葉子:2013/02/12(火) 00:24:42 ID:hIvMXzDw0
私は、死にたいけど自殺できず、バイクの走り屋になり、いつか死ねるかなー
って走ってたら、走り屋の友達がたくさん死んで、自分も何度も入院して
、死にかけて「まだ死にたくない!!」ってERで気がついて叫んでた。お葬式の
友達の死に顔と、啜り泣く声・・・

515中途半端:2013/02/27(水) 12:54:24 ID:XqVlzcaY0
このスレで度々出てきた一番親しい友人が自殺を考えていたらしい。
昨日久しぶりにきちんと会って話をしてきた。
個人的には他愛のない話だったが、お互いに世間一般の言う「変な人」なので、
もしかするとそうでないかも知れない。

彼は浪人生で、時期的にそろそろ落ち着く頃だと思っていた。
毎年2月か3月になると中学3年生の時に仲の良かった仲間で鍋を囲む。
ようやくその日が決まりメールを彼に送った。

どこを受けるのか、丁度前期試験の日でもあったし、
それを問う言葉を何となく文面に付け足した。
何通かメールをやりとりして要するには大学には行かないということだった。

彼は予備校生だったし、予備校に行くにあたってそれなりにお金がかかっていて、
12月頃に「大学に行かない」と決めた時は両親に怒られたらしい。
それまで大学に行く意味を問い続けて、どちらが先かは知らないが、
死ぬことも考えたようだった。

結論としては、彼は大学に行くことへの意味を見出せなかった。
学問の場としては否定しなかったし、
むしろその点では行きたいようでもあった。

彼は人と表面上の付き合いをしたくないと言った。
大学に行くことでそれは避けられないと私は思った。
高校までと違って同じ時間に同じ空間を共有することは少なくなる。
多かれ少なかれ、大学で私が表面上仲の良い振りでいることは頷けた。

そういった辺りで大学に行くとか行かないだとかの理由としても良いが、
彼は長い間付き合っていた彼女と別れたことで酷く落ち込んだようだった。
多分、大学に行かないと決める前に振られたと聞いた気がする。
別れてから少しの間、拒食してしまったという。

そもそも彼は浪人していることに疲れていたらしかった。
私自身、高校1年生のうちから早々に受験戦争をドロップアウトしていたし、
高校の勉強をさらに追加で1年間やることの厳しさは分かっていた。

彼は私を自殺から救ってくれた数少ない人の内の1人であったし、
だからこそ、その恩を私が返す理由は十分あった。
彼をあまりに尊敬し過ぎたのかも知れない。
彼は人間であって、いかに勉強へ集中すべき時期であろうと、
時には気を休められる時間が必要だったと、今になって思う。

彼はどこか私に似ているし、
簡単に他人に対して弱音を吐けるような人間ではなかった。
原因としては、他者とのコミュニケーションの不足や睡眠の質的不足、
それから彼女と別れたことによるストレスによって、
うつ状態になるに伴って大学へ行く意欲が下がったのだと思う。

彼はもう仕事を探しているし、近い将来への展望もあって、
今のところ心配する要素はないが、
今まで私は何を考えて生きてきたのか反省せざるを得ない。
親しい関係にあるからこそ、何かが起きてからしか何もできないのだろうか。

516中途半端:2013/03/23(土) 11:31:15 ID:XqVlzcaY0
最近、特に生きたいと思うことはなかった。
どちらかといえば、何かのはずみで余命数年ぐらいになったら良いなぁ、と。
死にたいわけではない。運良く終わっても構わない程度。

死にたくなってから時々、
自分の中で生きることについての心持を確認するのが癖になった。
ある意味精神的な部分での健康の目安であり、
生きたいと強く思う時は大概、日常とは違う状態にある。

個人的に現在導き出している答えは、
“死ぬつもりはないけどまぁいつ死んでもいいかな”ぐらいが一番気楽だ。
要するに、生死に関して気にしないでいる時だったりする。

いつの書き込みだったか、
「老衰が最も楽な死に方だ」とどこかのスレであったが、
つまり生きている時間は死ぬまでの待ち時間なのだと思う。
その辺りは各々様々な答えがあって良いから否定してくれても構わないし、
そもそも正否のないものに否定も何もない。

死にたくなくなっても辛いこととか苦しいこととか、
とにかく面倒なことはまだまだあるわけで、
それは当たり前かも知れないが、吹っ切れた笑いのような感覚を覚える。

死にたいと思う人が自ら死ぬことは、
がん患者が医者の成す術なく死ぬこととさほど違いはないように思う。
死にたいことが病気だとは言わないが、
本人の努力次第では皆が自殺しないで済むと思われては困る。

本人さえも死にたい理由が上手く説明できなかったりするし、
そういう意味でカウンセリングだとかいったアプローチでは限界がある。
だから、ものを哲学的に捉えようとして失敗するケースは多いと思う。

生きることとは何かを徹夜で考えるより、
早く寝て朝には目覚めた方が生き易くなると個人的な経験として思う。


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