したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

ごめんなさい……

274中途半端自殺未遂者:2010/04/28(水) 23:03:22
>>270
>>271
>>272

自殺しようとした人、あるいは自殺して助かった人は恐らく日本に何万といます。
理由は様々だと思いますが、私の場合は生きている証拠が欲しかったのだと思います。
毎日、違うようで同じような日々を過ごすことで失われていく時間を感じると、どうも
生きている心地がしませんでした。毎日毎日繰り返しばかり。何に対してもやる気が湧かず、
学校へ行き、それなりに過ごし、帰宅し、何となく過ごして、気が付けば寝る時間。
そんな私に土日ほど辛いものはありませんでした。二日間ずっと家に何もせず居続ける
というのは苦しいものでした。苦しくて、自分自身が生きているのかも分からなくなった時、
低い位置で首を吊り、自分の生を確かめました。
一つの理由としては、苦しみから逃れたかった、ということなのだと思います。
でもやはり、首が絞まる苦しみは、私が生きているという証拠でした。
中途半端な首吊りの後は気持ちがいくらか楽になりましたし、苦しみも一時的ですが、
減りました。いや、この方法を勧めているわけではないのですが。

死にたいのに死ねない、というのは私もよくありました。
私の場合だと、死にたい気持ちの裏に生きたい気持ちが隠れていました。
先ほど書いたように、私の中途半端な自殺未遂は生きている証拠を得るための
儀式的なものでしたから、実際は生きたいわけです。死にたい気持ちは確かに
あったのですが、正確には、疑似的な死にたい気持ちだったのかも知れません。
つまり私は死にたいようで、実は死ぬつもりはない、ということになります。
多分、これを過去の自分に言ったら、そんなことはない、と言われるかも知れません。
実際に死にたいと思っていたのは確かです。が、成功確率の高い方法を行っていた
わけではありませんし、むしろ助かろうとしていたのは確かです。
生きる、ということが本能だとするならば、その本能に背く行為であろう自殺は
並大抵の意思では実行出来ないのだと思います。だから、死に切れない。
あるいは、死なずに済んで良かったと思ってしまう。まぁ私の場合ですけどね。
何度か低い位置での首吊りを繰り返すのですが、やはり腰を持ち上げてしまうわけです。
何というか、死ぬのは構わなかったのですが、死ぬまでの過程が怖くて苦しくて。
楽になりたいのに、怖くて苦しいことをするって何かおかしいですよね。
むしろ楽とは逆方向に行ってますよね。そんな気が私はします。
基本的に、人間って簡単に自分で死ねないように出来ているのだと私は思いますよ。

楽な死に方、可能だったら誰もがそれを選んでいますよね。
何とかは楽な死に方だ、何とかは眠るように逝ける、なんて言ったりしますが、
実際にそうなのか、と思うと、私はどうも信用出来ません。誰が楽に死ねると
証明したのか、仮に誰かが証明していたとしても、何か不手際があって失敗した場合は
楽に死ねないのではないか、などと疑問が思い浮かびます。
絞首刑では一瞬で意識を失って死ぬ、と聞いたことがありますが、それは
万全の状態で行った場合においてのみでしょうから、素人が首吊りをするとすれば
上手く首が絞まらないのではないか、と思ってしまうわけです。そう思った時点で
もう私には不安が募って、首吊りは楽に死ねない、と考えてしまいます。
失敗する可能性が考えられる方法は果たして楽な死に方と言えるのでしょうか。

自分とは何なのか、ですか。
もう少し見方の違ったことを考えるといいかも知れません。
例えば、どんな自分なら納得出来るのか、とか。
あるいは、自分が分かるとどうなるのか、とか。
もしくは、どんな自分にしたいか、とか。
正直、私も自分がよく分かっていません。
でも私としては、今の自分にある程度は納得していますし、自分が分かったところで
私にとっては今後生活する上で変化はないように思われますし、どんな自分にしたいか、
については、もう少し努力する人間にしたいなぁ、と思っています。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板