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ごめんなさい……
261
:
中途半端自殺未遂者
:2010/04/03(土) 16:30:37
今、思えば、離婚届を燃やすなんて幼稚なことをしたなぁと思います。
何というか「家族は一緒にいなければいけない」なんて考えが私の頭の中に
あるのでしょうか。結局離婚するかしないかは両親の自由なのでしょうから、
私が、そんな、家族をかろうじてでも繋ぎ止めていたいなんて思っても、
やはり無駄でしょうし、そういう私の感覚を押し付けてはいけないのでしょうね。
ふと友人の言葉を思い出して、何処に書いたのかなぁ私、と探してみたのですが、
見付かりませんでしたが、うろ覚えで頭の中に残っていました。
確かこんな感じだったと思います。
「努力もしないうちにどうしようもないと思っている奴はなんなのだろうか
不適切かも知れないが、悲劇のヒロインでも演じて構ってほしいのだろうか」
何処かにこの言葉書いた覚えはあるのですが、何処に書いたかは覚えていません。
ですが、心に残っている言葉で、今日、ふと思い出しました。
過去の自分は「悲劇のヒロイン」を演じていたのかも知れません。
もしかしたら、今でも演じているのかも分かりません。
何かの歌で「人は皆主役」という言葉を聞いたような覚えがあります。ふと思い出しました。
これはつまりこういう解釈が出来るのではないかなと思います。
通行人Aにも主役と同じように人生がある、と。
また、こんな解釈も出来ると思います。
主役もまた脇役である、と。
この2つの解釈を説明しろと言われると上手くは説明出来ません。
ただ、どちらの言葉にしても、元の言葉にしても、根幹の意味としては、
「誰も欠けてはいけない」ということなのではないかと思います。
でも正直、本当に私って必要なのだろうか、という疑問が残ります。
皆必要なんだ、っていうのは少し綺麗事のように思えます。
前に、
「確かに私は必要とされていたかも分かりません。代わりはいなかったかも分かりません。
けれど、本当に、私が存在していたことさえ消し去り、私がいないとすれば、私の代わりとして
誰かが存在する、もしくは特に何事もなく日々が続くのではないでしょうか?」
と書いたと思います。
要するに、生まれてすらいなかったとすれば、という話です。
でも、そんなことは生まれた私にとっては無意味な想像だったと今は思います。
日々、私は代替可能なんだ、と考えていた私はちょっと阿呆だったのではないか、と思うわけです。
そこで、思うんです。自分自身を自分自身が必要としなければいけないなって。
何をするにしても、自分自身というものは必要不可欠でしょうから。
自殺するにしたって自分自身は必要でしょうし。
私が中途半端な自殺未遂をしていたのは自分自身の必要性を確認するため
だったのかも知れません。まだ自分自身を失うわけにはいかない、と。
何といいますか、意志があって、その意志によって自分自身は動くという感じでしょうか。
自分自身がなければ、例え意志があっても、その意志を実行出来ない。
意志がある限り、自分自身、つまり「わたし」という存在は必要に違いありません。
……ということを考えていたのですが、正直自分でもよく分かりません。
自らの意志によって自らの体は動いている、つまり自分自身は自分自身を必要としている、
要はそれに気付けるか気付けないかということ、ということなのでしょうか?
そういうことを踏まえて言うと、私は私自身を必要としています。
小説(のようなもの)を書くのにはやっぱり必要ですし。
仕様もないことを長々とすみませんでした。
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