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一時間何も言われなかったら持ち帰り避難所14号室

854Galactic Emperor Piett ◆PiettiZTqg:2013/11/04(月) 08:59:46
むぅちゃん、クアルーンをガチガチに守っているのはアラブ系だけだよ。
トルコ人や革命前のペルシア人はビールやワインバカスカ呑んでるよ。
後、アフガンやバングラデシュの田舎のあたりだとイスラームとは言っても、
土着の迷信が混じったりしてる。それが貧困の原因となったり、女性の社会進出を妨げています。
こうした状況は自由と民主主義に対する脅威でしかありません。

そうそう、一神教はガチガチで多神教は寛容って言うけれど一概にそうでもないよ。
近代以前においてはその宗教と結び付いた政治指導者のスタンスによるところが大きいと思うんだ。
例として挙げれば、ムガル帝国のイスラーム教で、アクバル皇帝の時代には皇帝政府への忠誠さえあれば、
如何なる宗教を信仰していても差別や圧政の対象にはなりませんでした。
しかし、孫のアウラングゼーブ皇帝はジズヤと呼ばれるイスラーム世界の伝統的な人頭税を異教徒に課し、
ヒンドゥー教を主に信仰していた、インド南部のデカン高原の諸侯へ攻撃を仕掛けました。
他にもゾロアスター教は多神教だけれど、最高神アフラ=マズダーが圧倒的な力を持っていて、アケメネス朝やサーサーン朝のペルシア皇帝達は
アフラ=マズダー神の代理人、神との特権的な関係を王権の根拠、あるいは権威としていました。
これは後にローマ皇帝がキリストの代理人を名乗った事とほぼ一致することで、多神教でも一神教的な性格を備えたものはあります。
また、正教会や現代のカトリックは歴史的に見て、科学や文化をはじめとする俗世に対して寛容であると言えるでしょう。
つまり、宗教が寛容かどうかは信仰する人達の気持ち次第だと思うのです。宗教自体は人間が善く生きるためにはどうしたらよいか、というテーゼに対する古代の賢者達の答えです。
これは倫理的、道徳的に生きるという意味に留まらず要領よくやるとか、生活の知恵ということも含まれています。
旧約聖書の中の箴言の節はそうした要素が強いことから、知恵文学と呼ばれています。
気持ちの問題と前述しましたが、神道だって、むぅちゃんや平ちゃんの言うところの一神教的な性格を持ちうる訳ですし、実際に持った時期が有ります。
戦前・戦中の国家神道です。天照大神を絶対の存在とし、その末裔たる天皇の大御心が国家の意思であり、決定であるというもので、
オリエンタル・デスポティズム(東洋的専制主義)丸出しのものでした。そしてこのアナクロニズムな思想と宗教を奉じた国家がどうなったかは皆さんご存じの通りです。




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