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Prequel a later date

1十南:2014/05/06(火) 14:48:27 ID:/tY2ichk0
副題:白鐘製薬事件から約一か月後の話

2十南:2014/05/06(火) 14:49:35 ID:/tY2ichk0
二月に入り、間もない頃。

「『ばれんたいんでー』って、なに?」
今は休業中のカフェバー『ヘリオン』のプライベートルームにて、広げたノートに平仮名の『ま』行をびっしり書いていた坂岡月は、突然そう言って首を傾げた。彼が腰を下ろす電気炬燵には絵本が数冊積み上げられている。有袋類のように抱かれたビスクドールが、そこに目を落としていた。
「そうねー、平たく言えば『好き』をカタチにする日かなぁ」
炬燵の向かいで経済関連の参考書を広げた柳瀬桜良がこれに答える。
「どうやって?」
「まぁ、女の子が好きな男の子にチョコレートを渡すのがふつーかな」
飾り気なくゴムで一束ねにした栗茶色の髪は脇辺りまであるだろうか。顔を上げ、月を見ると桜良はうーんと唸る。
「あくまで日本の中ではな。欧米だと男から女にバラの花を渡すのが通例だ」
キッチンから声と共に凰寺氷雨が現れた。銀製のトレイには、湯気を立てた三つのカップが載っている。桜良とは対照的な黒髪が蛍光灯の光を浴びて艶めいた。
「……どっちがいいの?」
月は双方の言葉に戸惑う。何せ彼は、義務教育を受ける手前からとある医療施設で監禁生活を過ごしていたため、祝祭日や行事という概念をほとんど知らない。この十数年間、クリスマスも正月も素通りして生きていたのだから。
「どっちが正しいってことはないぞ、最近じゃ女友達同士で交換するケースが増えてるらしいし」
「あ、友チョコでしょ?それならわたしもやった。透子さんと」
「透子と?」
「そうっ、透子さんスイスとかベルギーから空輸した本場のショコラを毎年くれたの。向こうはチョコレート作り専門の人がいて、チョコレートなのに小物やアクセサリーみたいなのよ。もう食べちゃうのがもったいないものばっかり!」
はしゃぐ桜良が口にした名前を聞いた月の脳裏に、その女性の姿が思い浮かぶ……が。
「――ほら、おかわり」
その姿を思い返そうとした傍から、氷雨がマシュマロを浮かべたホットココアを炬燵に置く。
「いただきます」
両手でカップを持ちながら中身をすする月を見て、桜良の笑みが穏やかなものに変わった
「ほんと、月くんは氷雨さんのココアが好きよね」
病院を出た直後も、こうして氷雨からココアを差し出された。コーヒーはスティックシュガーを八つ入れてようやく「苦くない」と渋るほど、彼の味覚は甘党だ。

月と桜良は、氷雨のもと毎日こうして勉強会に参加している。実年齢は成人だが中身が幼児化している月は読み書き計算と一般教養を、箱入りのお嬢様だった桜良は実家とそこで経営していた会社が一片に消滅したので、庇護されていた側から養う側へと転身するために経営学を学んでいる。
氷雨はかつて海外の大学に通っていた才女だが、故あってカフェバーのオーナーとなり、故あって現在は店を休業して二人の面倒を見ていた。スタッフもいるにはいるが、やはり訳あって現在は散り散りになっている。
「僕も、みんなに『好き』って渡したい」
ココアを飲み干し、カップの底のカスを眺めながら月は呟いた。
「じゃあ、マンション帰る途中でコンビニ寄ってこっか。みんなの分の義理チョコ用意しなきゃ」
「ぎりちょこ?」
「嫌いじゃない人に渡すチョコって感じかなー。こう、お年玉的な」
果たして『お年玉』を解っているかは判らないが、そう言う桜良に月は言葉を返した。
「マリアにもあげるんだよ?」
マリア、とは月が後生大事に抱えているドールのことだ。
「マリアには私からとっておきのプレゼントを用意しておいてやる」
くすり、と氷雨が微笑む。それを見て桜良も月も微笑み返した。

3十南:2014/05/06(火) 14:50:19 ID:/tY2ichk0
月の住んでいた環境が激変して、約二か月。
ココアの存在も知らなかったほど空虚だった月の心は今、多くのものに満たされている。
色とりどりの世界、たくさんの美味しい食べ物、変わり者揃いだが心温かな人達――そして。
「……あ!」
テレビに映ったコマーシャルを見て、月が歓喜の声をあげる、
オフィスで上司に叱られる新入社員が、デスクに就くと引き出しに一枚の板チョコと一枚のメモ書きが潜んでいる。書置きはぶっきらぼうな言い合いだが女性の字面で、新入社員が振り向くと不敵に笑う同僚の女性社員がデスクワークをこなしており、それに気づいた新人君は爽やかに微笑む――CMの内容はこうだ。
要はバレンタインデーの販促なのだが、押し過ぎない内容が世間に好評らしい。
そしてこの新入社員を演じている若者こそ、月の自慢の弟だ。
佐藤銀治郎、本名は坂岡銀。ここ二、三年で急激に人気を上げているアイドルで、歌って踊って演技もこなす。
「いいじゃな〜い、銀治郎の新しいCMぅ♪わたしもこんな風にやってみたいなー」
「お前はまず会社を立ち上げたいんだろ」
「そうですよ氷雨さん、わたしが社長になったらイメージキャラクターには絶対に銀治郎を使ってやるんだからっ」
この通り、桜良も彼の大ファンの一人である。
「……でも」
ふと、始めはニコニコとテレビに釘付けになっていた月の表情が、CM上がりになると雨雲のように暗くなっていた。
「銀ちゃん、お仕事が忙しいって……帰ってこない……」
「そういえば、最近会ってないな」
ふむ、と氷雨も頷く。
「こういうとき、芸能人って罪よねー、せっかく再会できた家族とろくすっぽ一緒に暮らせないなんて」
「銀ちゃん……」
はあ、ため息を吐く桜良の向かいで、月はマリアを強く抱きしめた。

病院には、マリア以外何もなかった。
病院の中にあって、マリアだけが月の拠り所だった。
病院がトラブルに巻き込まれた際、気まぐれを起こして抜け出し、ヘリオン一同の厄介になって以降、文字通り月の世界は果てしなく広がった。
そして、銀と逢った。
互いに惹かれる何かを感じながらも、何年も顔を合わせていなかったために銀の知り合いが血液を鑑定するまで兄弟とは分からなかったが、今は引き離されていた時間を埋めるように仲睦まじく暮らしている。
……はずなのだが。
「銀ちゃん、僕よりお仕事が好きなのかな……?」
今にも泣きだしそうな月の頭を、氷雨が軽く叩きながら撫でる。
「なに、向こうだって同じだ」
「おんなじ?」
「ああ、アレのことだ、大好きなお兄ちゃんに会えないんでさぞ寂しがってるだろ」
うんうん、と桜良も頷いた。
「だから、弟を信じてやれ」
「……うん」
コクリ、と月も頷くと、氷雨は両手を二回鳴らす。
「じゃ、今日はこれでお開き」
床に無造作に置かれたデジタル時計を見やると、もう六時だ。
「はいっ」
「はーい」
二人の明るい返事を確認し、よしと氷雨は相槌を打つと月は氷雨を凝視しながら告げる。
「今日のご飯は……キャベツと、ジャガイモと、ニンジンと、ウインナーと、ベーコンのスープだね」
「ポトフって言うんだよ、相変わらず百発百中だな」
調理場からここまでは距離があり、戸も締めてあれば壁もある。匂いも届かない。それでも月が食事の内容をピタリと言い当てるのは、彼が『遠見』の可能な者だからだ。食材の名前は絵本やレシピ本の写真で覚えていった。
「待ってろ、持ってくるからそこ片づけとけ」
「うん」
言うなり、炬燵に積んであった絵本が一冊ずつ宙に浮かび上がり、本棚に収まっていった。『念動』も、月の持つ特技の一つだ。桜良はといえばそんな光景に全く奇異を抱くことなく、いそいそとトートバッグに筆記用具と本を仕舞っている。
「月くん、お片付け上手になったね。ちゃんとあいうえお順に並べてある」
桜良の褒め言葉に、ようやく月の顔にも笑みが戻った。

食事を終え、後片付けを手伝い、風呂も済ます。銀がいないうちは氷雨が彼を風呂に入れているのだ。
「はい、月くん」
その間、水濡れ厳禁のマリアは桜良が預かり、帰り支度が終わったところでこうして手渡ししている。
「……」
「どうしたの?」
ふと、焦点がこちらに向いていない月を、桜良が怪訝そうに見つめた。
「誰か、いる。お店の前」
「……誰かしら。まさか」
桜良と氷雨の眼元が一瞬厳しいものとなる。月のような存在を捕まえようとする輩がいるためだ――だが。
「女の子。桜良ちゃんくらいの」
「……?」
二人の不安は、難なく外れた。


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