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402名馬コラム番外編2:2005/04/22(金) 20:59:24
          身重で走る”未婚の母” ●モリケイとムアヘン

サラブレッドには、長い間かかって改良されてきた、「血統」の証明が不可欠だ。
それゆえ、「純血」がサラブレッドの基本である。

古い競馬ファンの間では有名だが、モリケイという牝馬がいた。彼女はこのサラ
ブレッドの”掟”をやぶってしまった。人間なら”未婚の母”は珍しくもないが、サ
ラブレッドの場合は生まれた仔に血統書がないかぎり、馬であって馬でなくなっ
てしまう。

モリケイは、昭和49年4月9日に生まれた。デビューは4歳夏の新潟で、2戦目に
初勝利をあげた。そして、3勝目の300万特別にも勝って、4戦目には重賞クィー
ンSに駒を進めた(5着)。

だが、デビュー戦で486キロだった馬体重は、494→496→502→504→506とレー
スごとに増えつづけていった。関係者は、「牝馬にしてはめずらしい馬」と思って
いたが、4歳暮れの一戦で妊娠が判明。

馬の妊娠期間は約11ヶ月だから、逆算するとどうやらデビュー前の放牧地あた
りで強姦されたらしい。当然ながら父親はわからずじまい。そして、出産、放牧と
いうめずらしい理由で休んだが、この間の成績は[3・2・0・2]だった。あわれなの
は競走馬になれなかった初仔だが、日吉丸という名で乗馬用の馬になった。

一方、海外にはもっとスゴい”おっ母さん”がいた。1873年イギリス生まれのムア
ヘンだ。4歳から10歳まで走り、平地、障害で39戦20勝をあげたのだが、5歳にな
ると種牡馬(ヴァルカン)と交配させられ、6歳でその仔を出産。7歳には流産した
が、9歳でまた妊娠し10歳で出産という、競争生活の90%近くは孕んでいた女丈
夫なのだ。そして現役を退いてからも4頭を産んだ。そのなかには、のちに名牝プ
リティポリーの父となるガリニュールがいた。

当時のイギリスでは、現役牝馬の出産は必ずしも珍しいことではなかった、という
から驚くばかりだ。やはり母は強し――!


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