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支援物資用スレ
329
:
名馬コラム9
:2005/04/21(木) 14:11:24
大外から26頭をゴボウ抜き ●ヒカルイマイ
3コーナーではブービー、そこから一挙に26頭を大外からゴボウ抜き。空前にし
ておそらく絶後、それほどハデな勝ちっぷりで昭和46年のダービーを制したの
がビカルイマイだった。
皐月賞、NHK杯を連勝しているから単賞の配当は590円どまり。ただし、2着馬
が人気薄で、連勝は5740円の高配当をつけた。
ダービー馬に輝いたヒカルイマイのその後は、けっして平坦ではなかった。以後
2戦して3着、9着。屈腱炎をわずらい、再起に失敗して49年、新冠(にいかっぷ)
で種牡馬に。が、ダービー馬だというのに種付け希望がほとんどない。キタノダ
イオーと同じく、ヒカルイマイがサラブレッドではなく、5代母も血統書がないrサラ
ブレッド系だったからだ。マル父の馬があたり前のように活躍する現在とちがっ
て、内国産馬は種牡馬としてほとんど認められていない時代だったのだ。
あのシンザンですらこの頃はそうだったのだから、サラ系のヒカルイマイが種牡
馬として無視されるのも致し方なかった。
53年、ヒカルイマイは馬産地としては二流の鹿児島に”都落ち”する羽目になる。
それを知ったファンが「ヒカルイマイの会」を結成した。種牡馬としてご用済みに
なったら、終生のカイバ料を会で出そうというものだ。
ファンの願いがかなって、中央で勝ちをおさめる産駒を出すこともできた。たった
150万円で零細農家から売られたサラ系ダービー馬、ヒカルイマイの老後は幸福
というべきなのだろうか。
ヒカルイマイ 牡 黒鹿毛 1968年3月27日 北海道・中田次作生産
父シプリアニ 母セイシユン
15戦7勝 主な勝鞍:皐月賞 日本ダービー NHK杯
1971年 啓衆社賞最優秀4歳牡馬
【戦績】ttp://csx.jp/~ahonoora/hikaru_imai.html
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