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支援物資用スレ
299
:
名馬コラム5
:2005/04/20(水) 17:32:37
海外で初めて勝つ ●ハクチカラ
昭和31年の第23回ダービーは保田隆芳騎乗、名門尾形藤吉厩舎のハクチカ
ラが制した。
ハクチカラの戦績は通算32戦20勝。このなかにはダービーのほか天皇賞、有
馬記念など多くの重賞勝ちがあり、まずはダービー馬の名に恥じない名馬の
一頭だった。しかし、ハクチカラの名を高めたのはこの戦績だけではない。は
じめて海外のレースで勝利した日本馬として、日本競馬史に名を残すことにな
ったのだ。
33年の有馬記念優勝の翌春、ハクチカラは保田騎手とともにアメリカに遠征し
た。7月、ハリウッドパーク競馬場のハンデ戦で4着に入線したものの、そのほ
かはあまりパッとしない。敗因は気候風土、レース環境のあまりのちがいにあ
ると分析した陣営はハクチカラをアメリカの調教師にまかせることにした。
騎手もアメリカ人騎手にかわっている。すると、年末のサンタニア競馬場のレ
ースでいきなり2着に入賞。その後も上位入着をつづけた。そして34年2月23日
サンタニア競馬場の賞金5万ドルのワシントン・バースデー・ハンデに駒を進め
た。この重賞レースに、ハンデ戦ながらハクチカラは優勝した。
「日本馬勝つ」
このニュースは世界に流れ、国外でもその馬名を高めた。その後もハクチカラ
はアメリカを転戦し、それなりの戦績をおさめている。その後に現れる海外単身
赴任ビジネスマンのさきがけとなるような孤軍奮闘の活躍ぶりだった。
昭和43年、ハクチカラはインドへ寄贈され、種牡馬生活に入った。多くの優秀な
産駒を残し、54年、インド国立クニガル牧場で没した。
ハクチカラ 牡 栗毛 1953年4月20日 北海道・ヤシマ牧場生産
父トビサクラ 母 昇城
32戦20勝(日本) 主な勝鞍:日本ダービー 天皇賞 有馬記念
17戦1勝(海外)
1957年 啓衆社賞年度代表馬、最優秀5歳以上牡馬
1984年 顕彰馬に選出
【戦績】ttp://csx.jp/~ahonoora/haku_chikara.html
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