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支援物資用スレ
219
:
サラブレッドの儚き存在
:2005/04/18(月) 12:24:12
なぜ、競馬なのか―――。
そんなことを自問自答することがある。
答は明確である。競馬には、競輪や競艇とは異なる要素がある。人でも機会でもな
く、馬が競い合うということ。そして、その命である。
平成10年秋のことだった。その時の重苦しい衝撃が、今も胸の奥に残っている。
11月1日、府中2000mのコースで行われた天皇賞において、本命のサイレンススズ
カが骨折、安楽死―――。
稀代の快速馬といわれた一頭のサラブレッドの死を、新聞の記事はいかにも一般紙
らしく淡々と伝えていた。感情を抑え、誰を批判するわけでもなく、一切の脚色も省か
れている。だからこそだろうか。その短い記事の中に、物事の本質を見たような気が
した。
骨折による競走馬の安楽死は、けっして珍しいことではない。競馬という巨大なシス
テムの中で、むしろ日常的に起こり得るものだ。昭和42年12月17日、阪神大賞典に
おけるダービー馬キーストンの悲劇はいまも古い競馬ファンに語り継がれている。
昭和53年1月22日の日経新春杯では、66.5キロという斤量を背負った名馬テンポイ
ントが骨折。延命治療が試みられたものの、3月5日に衰弱死している。さらに平成7
年6月4日には、史上最強のステイヤーといわれたライスシャワーが宝塚記念のレー
ス中に骨折。安楽死となっている。
だが、これらの事例は氷山のほんの一角にすぎない。この他にも有名無名を問わ
ず、ターフという名のコロシアムに散ったサラブレッドの例は数限りない。
サラブレッドは、人間が作り出した動物である。野生の馬に対して長い年月にわたり
改良を施し、時には危険な配合を繰り返しながら、速く走ることだけを目的に進化を
強制してきた。その結果、サラブレッドは、本来の馬が持つべき頑健な体という資質
を犠牲にしてしまった。サイレンススズカの、そしてライスシャワーの悲劇は、こうし
たサラブレッドの歴史の中に起こるべきして起きた事故であった。
初夏の北海道に行くと、新緑の萌える牧場の至るところで、生まれたばかりの当歳
のサラブレッドに出会うことができる。母馬にまとわりつき、乳を飲み、草の上を無心
に走り回る姿に心を奪われる。だが仔馬は、生後半年もたたぬうちに母馬から離さ
れ、厳しい訓練の後にコロシアムに送り込まれていく。命を賭した戦いの日々の末
に、その中の一握りの勝者だけに、生きる権利が与えられる。新緑の牧場に戯れる
汚れない姿と、待ち受ける過酷な運命を重ね合わせる時、そのあまりの段差に儚さ
さえ覚える。
だが、それでも競馬を否定はしない。サラブレッドも、それにかかわる人々も、すべ
て競馬という文化の中に生きているのだ。いずれは猛獣に食われる運命にあるから
といって、ウマウマやインパラを否定するだろうか。1000匹に1匹しか成長しないから
といって、ウミガメの運命を否定できるだろうか。同じことだ。競馬という文化を否定す
ることは、すなわちサラブレッドという種そのものを否定することになる。
たかが、競馬である。馬が走るだけの娯楽である。
――されど、競馬である。
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