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非モテのハナシ

877烏蛇 ★:2007/08/09(木) 22:27:56
>>873 ナツ氏
> こういう人にそのまま「犯人はいない」と言っても多分、理解できない。
> そこで、「あなたがまず最初に『男から搾取するような女』を選んだのでは?」と、
> 「選択の主体」を明らかにすることが必要だと。ななしさんが仰りたいのはそういうことでは?

 それならば、「客観的な事実に基づく原因の究明」などと言うべきではない、と思うんですよ。以下、やや長くなりますが理由を説明します。

 客観的な根拠ある事実を積み上げて論証していくのではなく、「考えられる幾つかの原因」を挙げながら過去の出来事や経験を整理・再検討し意味付けていくという作業を、私は「語り直し」と呼んでいます。「○○という人物はなぜモテないか(これまでモテなかったか)」を考えるとき、「△△という原因がある」「いや、××という原因も考えられる」という形で問題を整理していくやり方ですね。この方法は「客観的な事実」の表示が困難ないし不可能な場合に有効な手法であり、倫理学や社会学などで活用されますが、「客観的な根拠に基づく論証」とは区別しておかねばなりません。でないと、どこまでが「客観的に認められる事実」で、どこからがそうでないのかが分からなくなってしまいます。

 なぜ「語り直し」という方法論が必要とされるかと言えば、私達が常に「答えを求めている」からに他なりません。例えば、身近な人物がある日突然電車に轢かれて死んだとしましょう。この場合、「不注意でプラットフォームから滑り落ちて轢かれた」のか、「自ら電車に飛び込んだ」のか、それとも「誰かに突き落とされた」のか、は重大な問題であり、これが明らかにならないと私達は耐えられません。この場合は分かりやすいですが、もっと曖昧な事柄に対しても、私達は常に「理由は何だったのか?」を問わずにはいられません。しかし、「理由」が常に明らかになるとは限らないんです。
 そこで私達は多くの場合「仮の理由」を作り、それによって心の平安を得ようとします。著名な人物が遺書を残さずに自殺した場合などに、その「死の理由」について(明確に出来るはずはないと分かっていても、出来うる限りの正確さを追究して)語ろうとする人が現れるのはこのためです。

 このような「語り直し」を枠にはめ、ある程度の普遍性を持たせたものを(社会的)倫理と呼びます。そこで初めて「責任」とか「正当性」という概念が生じるわけですが、ここでは、個々人が好き勝手に行なっている「語り直し」がバッティングしないよう、どちらに社会的な妥当性があるかを決定しているわけです。(厳密には法理論と社会的倫理という風に分けて考えられますが、ここでは割愛します。)
 「つきあおうとした女に搾取された。あの女こそ悪だ」というのも一種の「語り直し」ですが、この主張が社会的に妥当性を欠くことは明らかです。そこで、この主張がまず「事実」ではなく「自分勝手な語り直し」に過ぎないことを示す必要があります。それは、「あなたがまず最初に『男から搾取するような女』を選んだのでは?」といったような「別の視点」を持ち出すことによって可能です。
 この指摘は倫理的なレベルで有効ですが、「客観的な根拠によって相手の主張を否定している」わけではないことに注意してください。「お前がそういう相手を選んだんだろ」というのは、「女に搾取された」という主張そのものを否定しているのではなく、その主張の正当性を「自ら選んだ事柄については本人に責任がある」という倫理に基づいて否定しているんです。

 お分かりでしょうか? 「客観的な事実に基づく原因の究明」と「倫理的正当性に基づく責任の追及」は(重なるところがないわけではありませんが)基本的に別物です。後者について言いたいのであれば、それを前者と混同してはなりません。


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