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プロレス記念日

1JIN:2014/06/02(月) 22:39:32
1983年6月2日
 まさに「プロレス六十年史」最大のターニングポイントといっても過言でない、あのIWGP優勝戦の日。

 猪木の「落日」と共に、ホーガンの「旭日」もここより始まると。






http://8246.teacup.com/freeres/bbs/1433

101JIN:2015/06/19(金) 23:57:22
2011年6月19日
>>72

 武藤全日本にとって「終わりの始まり」となった、この年の「TARU事件」の後に行われた、最初の両国大会の日。

 大会後に判明した、京平に鈴木の撤退など、非常にマイナス的な「転機」となった興行でしたが、試合はいずれも白熱の物ばかり。

 なかでもアジアタッグ戦は最高と。






http://8246.teacup.com/freeres/bbs/1468

102JIN:2015/06/27(土) 10:49:49
1966年6月27日
>>71

 今日はプロレス史上に残る「金山暴動」の発生した日。

 最新のプロレス事件史シリ−ズの暴動特集でも取り上げられてましたが。






http://8246.teacup.com/freeres/bbs/1487

103JIN:2015/07/02(木) 23:42:30
2000年7月2日
>>26

 「天龍引退興行」の正式発表を受けて、改めて想起の今日一日。

 当時「五十歳」だった、天龍が未だに現役だったというのも驚異で。






http://alljapan.1616bbs.com/bbs/alljapan_tree_p_3.html

104JIN:2015/07/18(土) 13:07:24
1985年7月18日
>>28

 ちょうど三十年前の、浜口&寺西のアジアタッグ戴冠日。

 共に長き苦労への「功労賞」という感じも。






http://8246.teacup.com/freeres/bbs/827

105JIN:2015/07/24(金) 12:49:35
1976年7月24日
>>49

 二十九年前の今日は馬場とロビンソンのPWF戦の日。

 どうしても前年末の「猪木vsロビンソン」との比較で扱われる事が多いですが、自分的に気になるのは、むしろあの「猪木vsアリ」の後に行われた、日本プロレス界での最初のビッグマッチだったという点。

 その意味での当時のファンの反応や感想というのがむしろ知りたいところで。






http://alljapan.1616bbs.com/bbs/alljapan_tree_pr_108.html

106JIN:2015/08/09(日) 23:06:47
1981年8月9日
>>89

 羅臼町で行われた国際プロレス最終興行の日。

 ラストマッチが鶴見だったというのも興味深いですが。






http://alljapan.1616bbs.com/bbs/alljapan_tree_pr_549.html

107JIN:2015/09/19(土) 14:42:10
1985年9月19日(全日本)
>>73

> …彼のレスラーキャリアに有益だったのは『DファンクJr』『レイス』『ブリスコ』『エリック』『ホッジ』『コックス』『ロビンソン』『ジョナサン』『ブッチャー』などで、

 ちょうど三十年前の今日は、いわゆる新日本の東京体育館で「師弟対決」が行われた日。

 ただし裏では全日本も後楽園大会を開催。

 三年前の因縁もある、鶴田とレイスのシングルのタイトルマッチで。

 

108JIN:2015/10/08(木) 13:15:50
1981年10月9日(新日本)
>>106

 今日は「国際プロレス」との最後の対抗戦が行われた日。

 実は木村のテレビマッチを見たのもこれが初めてでした。






http://8246.teacup.com/freeres/bbs/1971

109ドゲンドルフ:2015/10/08(木) 16:14:44
懐かしの「仁義なき引き抜き戦争」
>>108 … この「猪木対木村」蔵前決戦よりも直前の2団体の潰し合いが強烈でした! 「ホーガン」「スミルノフ」が両天秤作戦を企てたり… 馬場の政治力で「ローデス→フレアー」のNWA世界タイトル移動… 1度発表された国際からの新日本乗り込みメンバーから「M井上」「阿修羅原」がキャンセルetc…こちらも毎日「東スポ」「デイリー」で情報を探るのがヒートしてました!?

110JIN:2015/10/11(日) 21:09:06
Re: 懐かしの「仁義なき引き抜き戦争」
>>109

>??… この「猪木対木村」蔵前決戦よりも直前の2団体の潰し合いが強烈でした!

 戦いは「開始前」こそが肝心というところですよね。

 とにかく原と井上については全日本を選択して正解だったという感じですが。

111ドゲンドルフ:2015/10/12(月) 08:41:53
Re: 懐かしの「仁義なき引き抜き戦争」
>>110??国際プロレス崩壊後「R木村、A浜口、寺西」は新日本へ〜 「M井上、阿修羅原、鶴見、Jモロー、冬木、高杉、菅原、米村」は全日本に〜 「若松」はカルガリー経由で新日本へ「M隼人」は海外→第1次UWFに活路を求めたって所でしょうか? しかし「S小林」と「剛竜馬」がコンディションの良さと強気な姿勢が有ったなら国際グループとし違った展開となり2人のキャリアアップになったと残念でした!?

112JIN:2015/10/14(水) 21:32:31
Re: 懐かしの「仁義なき引き抜き戦争」
>>111

> 「M隼人」は海外→第1次UWFに活路を求めたって所でしょうか?

 マッハは全日本経由でUWFに行きましたね。

 全日本ではリスマルクの相手役を務めていたのが記憶に残っています。

113JIN:2015/10/21(水) 23:44:18
1985年10月21日(全日本)
>>85

 今日はフレアーとマーテルのNWA&AWAダブル世界戦から三十年!

 最大の見せ場は、やはりマーテルのリフトアップか。

114ドゲンドルフ:2015/10/22(木) 14:55:10
Re: 1985年10月21日(全日本)
>>113〜日本のプロレス史に於て、この「NWA&AWA統一戦」は画期的なマッチメイクでしたが…当時の両タイトルの威光も陰りが生じ、タイトル保持者のグレードもイマイチって感じで専門誌も並みの扱いだったと思います!? これが「DファンクJr対Vガニア」「Jブリスコ対Nボックウインクル」クラスでしたらファン垂涎な一大イヴェントとなったのでしょうが? この統一戦が開催されたシリーズは全日本が久々なテレビのゴールデンタイム昇格に併せ「ロビンソン」「マスカラス」「ゴディ」「ファンクス」「ロードウォリアーズ」「Cゲレロ」も参加し贅沢三昧シリーズと化していました!! この30年後に外人を招聘困難な全日本を誰が予想したでしょうか?

115JIN:2015/10/25(日) 19:10:46
1995年10月25日(全日本)
>>114

>??この30年後に外人を招聘困難な全日本を誰が予想したでしょうか?

 ちょうど二十年前の今日は、川田とオブライトのシングル初対戦が行われた日ですね。

 まだ「日本人対外人」で客を沸かす事の出来た貴重な時代という感じですが。






http://alljapan.1616bbs.com/bbs/alljapan_tree_pr_1046.html

116JIN:2015/11/12(木) 03:00:55
Re: 1985年10月21日(全日本)
>>114

> …当時の両タイトルの威光も陰りが生じ、タイトル保持者のグレードもイマイチって感じで専門誌も並みの扱いだったと思います!?

 この年が「最後のNWA総会」だったんですよね。

 そして年末にはAWA王者も交代で。

117ドゲンドルフ:2015/11/02(月) 14:19:50
凡戦チャンプ「リック・マーテル」
>>116 リック・マーテルはAWA世界タイトル戴冠後「鶴田」「フレアー」等とビッグマッチが組まれましたが何れも、期待感、インパクトの薄いモノでした? AWA首脳陣は「ガニア」「ボックウインクル」に続く王者選考に失敗しましたね!?(当時は「ロビンソン」は下り坂「Gガニア」「ブランゼル」では荷が重く、他に見当たらないって感じでしたので?)彼のレスリングスタイルは若年、女性ファン向けでしたね。…実力派の「Bレイガンス」は如何せん地味で小柄だったのが残念でした。皮肉にもAWA圏から去った「ホーガン」「バックランド」「アイアン・シーク」がWWFのトップになってしまいました!? 結局「ガニア」「ボックウインクル」で引っ張り過ぎましたね?

118JIN:2015/11/06(金) 12:48:47
Re: 凡戦チャンプ「リック・マーテル」
>>117

> 彼のレスリングスタイルは若年、女性ファン向けでしたね。

 彼を推したのは、当時のマッチメーカーだったグレッグだったみたいですが、確かに長期王者としては不向きでしたね。

 日本のファンとしては、やはり転落後の最強タッグにおける、トム・ジンクとのコンビ。

 もしあのまま継続参加していれば、それこそかつてのテリーのような人気者になれたかもしれないのが実に惜しくて。






http://alljapan.1616bbs.com/bbs/alljapan_tree_pr_1664.html

119ドゲンドルフ:2015/11/06(金) 13:51:14
Re: 凡戦チャンプ「リック・マーテル」
>>118…世界3大タイトルのチャンピオン交代劇は「WWWF(WWF)」が上手くて名場面が豊富でしたね! 「サンマルチノ→ビリー・グラハム→バックランド」なんて「マスカラス」何かも脇役に加えながらですから秀逸な出来栄えでした! いま振り返っても繋ぎチャンプとしては「グラハム」はベスト・オブ・ベストだと断言します!

120JIN:2015/11/10(火) 19:21:33
Re: 凡戦チャンプ「リック・マーテル」
>>119

> いま振り返っても繋ぎチャンプとしては「グラハム」はベスト・オブ・ベストだと断言します!

 「繋ぎ」といっても「10ヶ月」ですから、それまでのコロフやスタージャックとは違う感じですね。

 ある意味ではホーガンのプロトタイプみたいな物かと。

121ドゲンドルフ:2015/11/10(火) 19:53:11
??? エェ〜
>>120…そんな、言葉尻に突っ込まなくても宜しいのでは!?

122ドゲンドルフ:2015/11/10(火) 23:50:46
専門誌の捉え方は…
当時のプロレスマスコミの見解では『SBグラハム』を団体の顔に成り得るチャンプと視ていませんでした。皆無でしたよね!… 在位が10ヶ月ですが、防衛戦は因縁の『サンマルチノ』とのカードで引っ張り『バックランド』と交代劇までは『ガレア』『メイビア』等の2線級と『マスカラス』とでした!(『レイス』とのWタイトル戦が目立った位に記憶しています。)…ですから『バックランド』への繋ぎなんですねぇ?

123JIN:2015/11/14(土) 14:36:27
Re: 専門誌の捉え方は…
>>122

> …ですから『バックランド』への繋ぎなんですねぇ?

 リアルで知らないのが残念ですが、グラハムの王者時代に「次はバックランド」という有力視は専門誌に既にあったんでしょうか。

 あとグラハムより短期の「長期王者の間」となると、NWAでは「最初のレイス」と「二度目のローデス」、AWAでは「鶴田」あたりが思い浮かびますが、これも「繋ぎ」の分類となるのか。






http://alljapan.1616bbs.com/bbs/alljapan_tree_pr_2357.html

124JIN:2015/11/16(月) 23:38:09
1955年11月16日(日本プロレス)
>>30

 遂に「日本最古の王座」誕生から「六十年」!

 先日の天龍引退によって、いよいよ王者経験の現役は渕となりましたが、王座誕生前の出生者自体も、もはや渕だけに。






http://8246.teacup.com/freeres/bbs/12

125ドゲンドルフ:2015/11/21(土) 07:05:00
Re: 専門誌の捉え方は…
>>123…『ジャンボ鶴田』なんて繋ぎに決まってますよ!! とう贔屓目に見ても!

126JIN:2015/11/21(土) 10:01:15
Re: 専門誌の捉え方は…
>>125

「最初のレイス」と「二度目のローデス」の場合は?

127ドゲンドルフ:2015/11/21(土) 15:49:42
『レイス』『ローデス』のキャラで?
>>126 『レイス』(1973初戴冠)は『サンマルチノ』を破った『イワン・コロフ』って感じでしょうか? (当時『レイス』は実績充分でしたが世界最高峰のタイトルにはミスキャストでは?)『DファンクJR〜Jブリスコ』のワンクッションが必要だったと推測しました!白人なら『マードック』『バレンタイン』『ボックウインクル』等でも良かったのでは!?…『ローデス』はアメリカンドリームキャラでスーパースターでしたが? 「プロレス村」の住人にはオーケイでも長期政権となるとプロスポーツ界で対外的に捉えるとしんどいキャラですよね!(『バディ・ロジャース』『リック・フレアー』の様な最低限のアスリートとしてヴィジュアルに欠けますから…)

128JIN :2015/11/22(日) 21:05:00
Re: 『レイス』のキャラで?
>>127

> 『DファンクJR〜Jブリスコ』のワンクッションが必要だったと推測しました!

 プロレス事件史シリーズの記述によれば、当時のドリーの事故で交代が早まった結果だったみたいですね。

 自分みたいに長期王者の時代に入ったファンから見れば、最初の王者はあくまで第一回でしかないでしょうし、ブリスコやテリーの時代を挟んで、次が三年後になったとかは想像できない感じですね。

 正直、当時の写真から見ての、第一回時のレイスの印象は、それ以前と同じで、まだ後の「風格」を感じられない「白豚」なんですよね。

 果たしてあのままでレイスが終わっていたら、どういう評価を得たのか、あるいは第一回を経験せずに、テリーの後に最初の王者となっていたら、どういう印象を残したかも気になりますが。

129JIN :2015/11/23(月) 16:31:26
『ローデス』のキャラで?
>>127

> …『ローデス』はアメリカンドリームキャラでスーパースターでしたが

 王者になる前から既にスーパースターだった、ローデスの戴冠については「ロジャースの戴冠」に近い感じもしますね。

 つまり「双方に対する一層の箔」という感じですが、ロジャースのような問題が起きる前に下ろしたという感じも。

130JIN:2015/12/10(木) 21:47:54
1975年12月10日(現地時間)
>>128

 日本でオープン選手権が華々しく行われているのと同時期。

 マイアミでテリーがブリスコからNWA奪取!

 当時はテリーの奪取を予想していたファンはどれだけいたんでしょうか。






http://alljapan.1616bbs.com/bbs/alljapan_tree_pr_83.html

131JIN:2015/12/23(水) 12:18:48
Re: 専門誌の捉え方は…
>>122

> 当時のプロレスマスコミの見解では『SBグラハム』を団体の顔に成り得るチャンプと視ていませんでした。皆無でしたよね!

 今回のプロレス事件史シリーズで、ちょうどグラハムの位置付けについて触れてますね。

 ぜひ一読をお勧めします。

132JIN:2016/01/02(土) 23:59:23
1976年1月2日(全日本)
>>122

> 『マスカラス』

 今日は、ちょうど四十年前に行われた、全日本として初の「1月2日」興行が行われた日。

 前年から始まっている「1月3日」に加え、ここに四十年に及ぶ「後楽園二連戦」が行われたわけですが、実は一番の注目は、実に一年半近くぶり以来の来日となるマスカラス。

 プロレス事件史シリーズ最新号でも取り上げられた、前年の「IWA旋風」を考えるに、この時の全日本再登場は我々の想像以上の意義があった感じで。






http://alljapan.1616bbs.com/bbs/alljapan_tree_pr_424.html

133JIN:2016/03/19(土) 13:18:16
1976年3月19日(全日本)
>>72

 正式には「旧日プロ」からなんですが、とにかくこの日に「両アジア王座」の全日本での復活を発表。

 そして今日は実に「四十年」と。






http://alljapan.1616bbs.com/bbs/alljapan_tree_pr_3963.html

134JIN:2016/03/26(土) 14:14:50
1976年3月26日(全日本)
>>133

そして今日は「全日本のアジアタッグ」四十周年。

そのベルトの渋い輝きもまた未だに続いているわけで。






http://8246.teacup.com/freeres/bbs/3236

135JIN:2016/04/30(土) 11:10:21
1981年4月30日(全日本)
>>16

 今日は全日本におけるインター復活の記念日。

 「兄弟対決」まで実現の裏には、やはりインター復権の意図もあるか。






http://8246.teacup.com/freeres/bbs/965

136JIN:2016/06/18(土) 22:29:32
1966年6月18日(日本プロレス)
>>134

「川崎球場でのアジアタッグ」からちょうど半世紀。

この成功が国際プロレス誕生にまでつながると。






http://8246.teacup.com/freeres/bbs/1466

137ジュニア:2016/06/20(月) 13:42:05
1980年6月20日 サマーファイトシリーズ大宮大会
19日群馬で開かれたサマーファイトシリーズ開幕戦
翌日の大宮大会はテレビ生放送、
ブレッドハート、キースハートのハートブラザーズ
ナチスの亡霊ゲシュタポの初来日

ハートブラザーズは木村&高野を下し
ゲシュタポは藤波にローリングクラッチで敗れる
メインはジョニーマンテルがシンと組み猪木&長州と対決し生放送のため時間切れ引き分け

このシリーズは小林&永源遙がIWAタッグを奪取、そして7月4日の小樽でエキシビションマッチで木村&星野を倒しましたが、欲を言うなら北米タッグの坂口&長州とダブルタイトルマッチを組んで欲しかったですね

138JIN:2016/06/25(土) 15:53:04
Re: 1980年6月20日 サマーファイトシリーズ大宮大会
>>137

> このシリーズは小林&永源遙がIWAタッグを奪取、そして7月4日の小樽でエキシビションマッチで木村&星野を倒しました

 前年のヤマハvs長州&木戸みたいに、この試合も見たい一つですね。

 健吾と星野のタッグも意外と珍しそうですし。

139JIN:2016/08/27(土) 22:13:33
1994年8月27日(全日本プロレス)
>>136

今日は秋山&大森がカンナムのアジアタッグに挑戦して二十二年。

先日挑戦したばかりの大森としてもこの時が初挑戦で。






http://8246.teacup.com/freeres/bbs/2644

140JIN:2017/02/04(土) 13:49:22
1982年2月4日(全日本プロレス)
>>58

言わずと知れた伝説の「馬場vsハンセン」の日。

この日の興行の大成功がこの後の歴史を作ったといっても良いくらい。

そして鶴田や天龍としても、欠かせぬ一日と。






http://alljapan.1616bbs.com/bbs/alljapan_tree_pr_534.html

141JIN:2017/04/21(金) 02:09:16
1987年4月2日(全日本プロレス)
>>85

今日は現在の大阪府立のコケラ落しから三十年。

長州離脱のインパクトに消されてしまったのが痛かったですが。

142JIN:2017/07/14(金) 20:05:14
Re: 凡戦チャンプ「リック・マーテル」
>>117

> …実力派の「Bレイガンス」は如何せん地味で小柄だったのが残念でした。

 そして末期のカート・ヘニングはまだ経験不足でしたね。

 皮肉にも彼が大成するのは、それこそAWAが崩壊した後で。

143JIN:2018/01/08(月) 15:27:52
1968年1月8日(日本プロレス)
今日は「猪木雪害事件」からちょうど半世紀。

当時の猪木の家庭問題が別行動の理由だったそうですが。






http://8246.teacup.com/freeres/bbs/2575

144JIN:2018/02/07(水) 21:39:05
1984年2月7日(新日本プロレス)
>>52

今日は伝説の「ジュニア三つ巴戦」の日。

自分的に「新日本ジュニア」の頂点ともなってます。






http://8246.teacup.com/freeres/bbs/2662

145JIN:2018/05/01(火) 23:36:46
1998年5月1日(全日本プロレス)
>>3

遂に二十年目を迎えた、全日本初の東京ドーム大会。

様々な見所は多いけれど、やはり最大の山場はメインの三冠戦。






http://8246.teacup.com/freeres/bbs/1298

146JIN:2019/03/28(木) 23:34:30
1976年3月28日(全日本プロレス&国際プロレス)
今日で遂に四十三年の対抗戦記念日。

個人的な拘りはベストバウト試合ではなく、メインのダブル戦ですが。






https://8246.teacup.com/freeres/bbs/8861

147JIN:2019/12/05(木) 23:05:03
1974年12月5日(全日本プロレス)
>>114

こちらは日本プロレス史上唯一の「NWA二階級戦同時開催」の日。

馬場の(PWFと同時の)NWA初防衛も貴重ですが、より印象に残るのは、むしろ「鶴田唯一のジュニア王座挑戦」の方かも。






https://8246.teacup.com/freeres/bbs/8599

148JIN:2020/07/23(木) 21:18:14
2000年7月23日(全日本プロレス)
>>103

今日は「天龍復帰戦」からちょうど二十年。

月日は本当に早いなと。






https://8246.teacup.com/freeres/bbs/1608

149JIN:2022/02/08(火) 21:55:47
1980年2月8日(新日本)
>>80

こちらはハンセンのNWF奪取の日。

まさにハンセンの外人エースの開始日に。






https://8246.teacup.com/freeres/bbs/7436

150管理人:2014/06/02(月) 22:34:23
プロレス記念日
かつての日本スポーツMOOKからタイトル名を拝借。当日でなくとも構いませんので、どうかよろしく。











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