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諸葛亮孔明
1
:
JIN
:2013/09/12(木) 21:10:48
「軍師」と言えば当然にこの人物。
ただし最近の研究では「宰相」の部分に大きく寄っている感じで。
2
:
sugi
:2014/04/03(木) 23:54:35
史実では「宰相」としては優秀だけど「軍師」としては「?」な人であり
あのチート軍師ぶりは、後世の講談が他の武将の手柄を全部孔明の手柄に
した結果、という説におちつきつつありますよね。
逆に、当時の講談師の願いがどこにあったか、は、史実と演義の孔明の差を
見ればよくわかる、ともいえる。
3
:
JIN
:2014/04/04(金) 22:37:09
宮城谷版では「孔明に軍師がいたら」なんてまで言われてますね。
とにかく蜀の正統論については、後年の中国情勢も大きく影響していたわけで。
4
:
sugi
:2014/04/05(土) 00:23:35
曹操の合理主義が後年の中国指導者には都合悪かった部分もあるとかいう話は聞いたことありますわな >後年の中国情勢
そういや孔明のセリフで、軍略に関する質問に「自分はいにしえの軍法に従うのみ」と答えていたのがあったように記憶しているけど「案外保守主義?」という印象抱いた事思い出した。
5
:
JIN
:2014/04/05(土) 18:14:10
「漢朝再興」を掲げるという下りで、既に「保守本流」意識が強く伺えますからね。
もっとも北方小説版によれば、それに拘った理由として、混沌の中華に秩序をもたらすには(その評価に関係無く)「漢」を「万世一系」にするのが最短コースと考えていたと描かれてますが。
6
:
sugi
:2014/04/07(月) 00:54:18
考えてみれば元々江東の人だし、生まれた時にはもはや混沌の時代に突入していたから
漢に対するリスペクトは劉備の世代より圧倒的に薄いでしょうしね。
かといって合理主義の曹操でも、兄の2番煎じ扱いされる孫一族でもなく、
漢の皇帝の傍流を名乗る劉備に仕えるとなると…といったところですかね。
7
:
JIN
:2014/04/07(月) 12:45:44
曹操に対する反抗は、彼が「徐州虐殺」からの避難民であるという点も大きい感じですね。
8
:
JIN
:2014/04/19(土) 21:12:47
有名な「泣いて馬謖を斬る」の故事。
敢えて斬った理由は、単に「敗北」しただけでなく「逃亡」も図ったからだったとか。
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