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ネ申記事書き起こしスレ

272高田馬場:2008/04/25(金) 22:38:41
左手しか使わずに生活する。と、堅く心に決めたときのこのワクワク感がわかるだろか…! 人は元来、ルールに縛られるということの快感を無意識下に持っている。これから、僕は左手しか使わずに生きる…。
その生活を始めてから、ドアノブをまわす時、カバンのジッパーを開けるとき、何度となく右手を使ってしまいそうになりながらも、この個人的奮闘にあけくれた。しかし、数日してからこのルールを遵守することの刺激に慣れてしまい、今度はその反動としてむしょうに破壊したくなった。この、封印している右手を、右手を思う存分使ってやろうか? 大衆の眼前で、この封印した右手で! そのスイッチが入ってしまったが最後、僕はすぐさま部屋を飛び出し、人前で右手を暴れさせた。髪を右手でかきあげる!自動販売機のボタンを右手で連打! ケータイを右手でパカパカパカパカ!右!右!右! この背徳行為。この、自暴自棄感。そこに言い知れぬ陶酔を覚えた。
そして、その強烈に甘い感覚のあとに、どうしようもない焼け野原が広がるのだ。もう、なにもない。そして今度はまた、自分を整然と型にはめてくれるルールを探すのだ。これは、サディズムとマゾヒズムにも通じる、支配・非支配の関係なのだろう。それ自体は人間の誰しもが持つ本能的な衝動なのだろうけれどもこうまでスイッチヒッター的にマッチポンプを繰り返してしまうのはいかがなものなのか。大学在学時、2万字のレポートを書き上げてから破り捨てる。大晦日の大掃除の後、部屋中に陶芸用の泥をぶちまける。トランプで作ったピラミッドにカカト落とし。中学生時代は、ハゲている人としか喋らなかった。止められない。この「法則と幾何学」への憧れとそこへの破壊行動。地球上の全人類を一列に並べた上で即座に列を乱したい。そんなことを小学校の卒業文集に書いた。その頃から変わらずにマグマのようにある感覚!
しかし、その矛盾と業こそが生命力であるような気がするのだ。巨大な振り子にしがついているような気がする。振り子時計の巨大な振り子にしがみついて。あっちこっちを盛大に行ったり来たり。振り子が止まれば、時計はもう動かない。静寂と秩序を求めながら、実はその先の破壊と混沌なくしては生きていけないというのが本音なのかもしれない。そうとわかれば話しは早い。自己否定は大得意だ。これでいい…。
そう決意したハブルグ氏は、その後3年間にわたり福祉活動に尽力した。


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