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【興行収入】特撮数字議論・雑談スレッドPart30【玩具売上 視聴率】

529名無しさん:2020/06/04(木) 20:26:35 ID:u.zA7L7A
谷田部勝義監督が、30年前の「勇者シリーズ」の始まりを振り返る
https://akiba-souken.com/article/43457/
 もともとロボットアニメは、オモチャを欲しがる幼稚園児から小学校低学年が対象でした。
その子たちがどんどん成長して、80年代には商品の形態も変わっていきました。
「機動戦士ガンダム」(1979年)では、ザクならザクをいっぱい買い集めるようなコレクション性が重視されましたよね。
気がついてみると、小さな子に向けた番組がなくなっていたんです。

 ですから、当時のプロデューサーだった吉井孝幸さんは、とにかく低年齢向けアニメをやりたいという意向でした。
子ども向け番組として、井内秀治監督が「魔神英雄伝ワタル」(1988年・谷田部氏は絵コンテ・演出として参加)を手がけたわけですが、
「魔動王グランゾート」(1989年)、「魔神英雄伝ワタル2」(1990年)まで来ると、
井内さんの「ヒロイックファンタジーをやりたい」という気持ちがあるせいか、自然と対象年齢が上がってきてしまうんです。

 それ以前の「ダグラム」などは巨大ロボットが先にあって、それをSD化したキャラを使って、オマケ的な劇場版の短編として展開していました。
しかし、「ワタル」は最初からSDキャラの小さなロボット、小さなオモチャを出そうというコンセプトでした。
ということは、まっとうな巨大ロボットで、なおかつ幼児向けのアニメはなくなってしまっていたわけです。

 吉井さんは幼児向けのロボット物をつくるつもりでしたが、
企画の山浦栄二さんは、今は兵器的なリアルロボット物が売れているんだから、高年齢向けのリアル物をつくればいいと言うんです。
ロボットに人格があって、地球征服を狙う敵がいて……といったスーパーロボット物は、山浦さんは考えていなかったようです。

 そのころ、タカラ(当時)さんはハズブロ社に自社製品の海外展開の権利を預けて、
世界観も商品サイズもバラバラなコンテンツを「TRANSFORMERS(トランスフォーマー)」としてまとめられて、
それが世界的に売れてしまったという事情がありました。
海外の「TRANSFORMERS」を逆輸入して国内で売ったところで、もともとは自社製品ですから、タカラさんにはメリットがないわけです。
そこで、変形合体のノウハウは生かしたまま、まったく新しいタイトルでロボット物を始めたいと、タカラさんからサンライズに打診がありました。
先ほど言ったように低年齢層向けの巨大ロボット物が途切れていたので、吉井さんは最初から何年も続けるつもりで、その話を引き受けました。




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