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アイオーン・ソフィア《ユダヤ編》

1【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/02/28(土) 14:06:51 ID:???0
『ソフィアと《智慧文学》』のスレが博士との議論スレになりそう
なので報告は別のスレッドにしました。すでにソフィアについて、
書き上げた部分があり、順々にアップしていくつもりです。最初は
すでに述べたとおり、旧約聖書正典外典における智慧(ソフィア)
の発露の著しい『ソロモンの箴言』『ソロモンの智慧』は、ユング
の引用だけでなく、全編概観したつもりの上で解釈しました。また
『雅歌』についても一読した上で述べています。
ただ、『シラクの息子イエスの智慧』は私の持ち合わせている聖書
の中にはないという欠点があり、ユングの『ヨブへの答え』だけに
頼らざるを得ませんでした。
しかしそれにしてもユング、メソポタミアのイシュタルとタンムズ
の神話や、シヴァ神の説話におけるシャクティの話など、原型たる
神話を持ち出してはいますが、ただ書き連ねるだけで知らない人に
は分からんだろうというような記述の仕方をしていますので、私の
知りうる限りでそれらを補足させていただきました。

いまひとつは、アンドロギュヌス神話におけるアンドロギュヌスや
ヘルマフロディトスといった両性具有神の概念がいかなるものなの
か、そして、それと《シュジュギア》についてどのような関連があ
るのか、用語辞典かなにか別項で簡単に記しておくべきだったかと
いうことでしょうか。以前は初見で分からないところも多く、掘り
尽くせなかった『ヨブへの答え』ですが、今回はこれまで読んでき
たバタイユやグノーシスなどの思考もあり、さらに澁澤龍彦の『夢
の宇宙誌』の助けもありましたので、ソフィアを中心にネタという
ネタを掘り尽くすつもりです。ほんま、『ヨブへの答え』は小冊子
にもかかわらず、ネタ的には超一級品ですね。

当初の予定と若干異なりますが、まずは『雅歌』とイシュタル・タ
ンムズの神話、シヴァ神の説話との関連で語り起こしています。ア
ンドロギュヌス神話については類型を見出せばキリがないほど存在
していますので、シヴァ神の説話で打ち止めです(アダムとイヴの
関連はまた別です)。

問題なのはこの後でして、ユング式に旧約聖書を概観し、彼の言う
『ヨハネによる福音書』『ヨハネの黙示録』との関連で「パラクレ
ート」の教義と「マリア被昇天」のほうへと持っていくか、それと
も反抗的に、このユダヤにおけるソフィアの発露をグノーシス主義
との関連で語るか、どっちにしてもいずれすべて網羅したいところ
ですが、ネタが氾濫しているだけに順番的にどうすればいいか、物
すごい悩みどころです。ついでに言ってしまえば唯一神ヤハウェに
ついてきちんと触れておかなければいけない問題だとも思いますの
で。ユダヤの一神教の概念がいかなるものか、書いてからにしなけ
ればならないかなぁとも考えています。もっとも、ソフィアの項目
で、ソフィアが『エロヒーム』の『ルーアッハ』であるとあります
から、『エロヒーム』とはなんぞ、というところにも触れています
ので、何とかなるかなとも思っていますが。

2【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/03/22(日) 03:31:45 ID:???0
ご存知かと思いますが、博士はG.R.S.Meadの『Pistis Sophia』を読ん
だことはございますか?なぜかこのグノーシス文書、日本語訳がないで
すよね。そのため英文で読んでいますが、これって…、ユングがシモン
と彼が連れ添った娼婦のヘレンの生まれ変わりの少女を持ち出して語っ
たアニマ元型とかと関連しているんでしょうか。ソフィアとマグダラの
マリアとか・・・。

しかしこれにまつわる話でまさかディズニー映画が連想するとは思いま
せんでした。『眠りの森の美女』ですが、魔女が姫(イバラ姫)を、糸
車で誘惑して眠りにつかせる呪いと、王子がその魔女を精霊(妖精だっ
たか?)の助けを借りて剣で持って打ち倒し、姫を口づけによって再び
目覚めさせるあの話。
要するにこの場合、グノーシス主義で言うと、

・魔女マレフィセント=邪悪なるアルコーン
・王子=パラクレートス(イエス・キリストあるいはシモン)
・姫=ソフィア(ヘレンの生まれ変わりといわれる少女、マグダラのマリア)
・妖精=パラクレートス(精霊)

となると。
アルコーンが魂(あるいはソフィア)を肉体に閉じ込めることで、結果
彼女が盲目的な娼婦として地上を彷徨うのに相当するのが、魔女の糸車
による姫を眠りの闇に陥らせる行為。

王子は妖精とともにイバラを突き進んでこれを救うという点で援け主パ
ラクレートスであり、その剣によって魔女が打ち倒されるのは、『ヨハ
ネ福音書』で言うところの闇の中で輝く光を、闇が取り押さえておくこ
とができず、勝てなかった、あるいは阻止できなかったことを意味する
といえるわけで。王子の口づけによって眠りから醒める姫は、グノーシ
スで言うならば、肉体に閉じ込められ、辱められたソフィアの救出であ
ると。

3【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/03/29(日) 21:27:39 ID:???0
ソフィアの詳細説明のほうを先に更新しました。若干オリジナルでグノ
ーシス的解釈、及びユング・フロム・ハイデッガーを交えて語っていま
す。なんか色々リンクしていて考えながら書いているとあれもこれもと
ネタ満載になってくるんですよね。《魂の嘆き》とか《智慧の嘆き》と
いう表現をこれみよがしに多用しているのは、この先グノーシス主義神
話のソフィアと魂の話を書くための伏線です。ここで書いていた『魂の
解明』などもこっちでまとめなおし、上のソフィア、下のソフィア(ア
カモート)とかを、旧約聖書を通じて解釈した話と絡めたい、でも頭の
中でわかってはいても文章にするのが大変…(^^;)。ユダヤ神秘主
義カバラのホクマーとかまで行ってしまうとほんときりがない(^^;)。
ソフィアの深さには本当に参りました。ユングがあれだけ取り扱いたく
なるのも無理はないですね。

4【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/04/09(木) 11:22:17 ID:???0
それにしても本当に参ったな・・・、ソフィアの詳細説明で『雅歌』を
用いていますけれども、雅歌には大きく三つの解釈法があります。これ
までの説明ではユングが言うところの天上界の「ヤハウェ=ソフィア」
のシュジュギア(天上界の聖婚)の話と、天上界の神が男性原理で地上
界のイスラエルの民が女性原理(神の花嫁としてのシェキナー)だとし
ている旧来からの神とイスラエルの民の愛を歌っているとする解釈を用
いておりますが、もう一つの解釈が残っています。

そのままの見方というか、地上界の「人間」の男女の恋愛歌としての解
釈ですね。これをこれまでの二つの解釈と『ヨハネ福音書』のロゴスを
うまいこと組み込んで全部綜合すると、『ヨハネのアポクリュフォン』
の至高神とバルベーローの関係だとか、『プトレマイオスの教説』の超
越的世界プレーローマ(神々がシュジュギアをなしている世界)への、
中間界における「ソーテール=アカモート」のシュジュギアが回帰する
こと(神秘的合一)まで見出せてしまうというのは気のせいでしょうか。

これまでの解釈だけでは、天上界の「ヤハウェ=ソフィア」のシュジュ
ギアという形で表現されている両性具有神に対応する地上界のシュジュ
ギアの対応物を見出そうとすると、イスラエルの民(シェキナー)には
シュジュゴスが見当たらない。「花婿」が見当たりません。

ここに『ヨハネ福音書』のソーテールとしてのロゴス=キリスト(ある
いはそれと等価といえる別なるパラクレートスとしてのハギオン・プネ
ウマ)を当てはめるとどうなるだろうか。それはシェキナーの花婿とし
て遣わされるものといえるだろうかと。こうなることで、天上界のシュ
ジュギアと地上界のシュジュギアの対応的関係が完成されます。

5【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/04/09(木) 12:51:38 ID:???0
つまり、『雅歌』の三つの解釈だけでグノーシス神話のシュジュギア神
話としての原型を全て見出すことができてしまう。まとめておくとこう
なる。

『雅歌』の解釈
1.地上界における「人間」の男女の恋愛・結婚の歌
2.天上界における男性神(=ヤハウェ)と女性神(=ソフィア)の神秘的・儀式的愛の歌
3.天上界の男性原理としての神と地上界の女性原理としてのイスラエルの民の神秘的合一の歌

1と2の解釈を3に組み込むと、
・天上界のシュジュギア「ヤハウェ=ソフィア」という形で表される両性具有神
・地上界のシュジュギア「若者=乙女」という形で表される両性具有的人間
→男性原理としての両性具有神と女性原理としての両性具有的人間の神秘的合一(神人合一)

とまあこうなるわけで、地上界のシェキナーにパラクレートスとしての
ハギオン・プネウマが遣わされれば、ちょうどそれはプレーローマから
捨てられて嘆き悲しむアカモートに遣わされるソーテールと同義である。
これはパトスを持っていてシュジュギアをなしていなかったことでプレ
ーローマに入れなかったアカモートが、ソーテールによってパトスを処
理されて「ソーテール=アカモート」のシュジュギアをなしたことでプ
レーローマへと合一することが最終的に可能となることに相違ないとい
うことだと。正確に言えば、ソーテールのシュジュゴスであるアカモー
トに対応するのはマグダラのマリアか、あるいはエルサレムの都にとど
まったホクマー(アカモートはホクマー→ホクモートを語源としている)
で、シェキナーであるイスラエルの民にはソーテールの守護者である天
使たち(アンゲロス)がこの別なるパラクレートスとしてのハギオン・
プネウマに対応して花婿となるといえるかと思いましたが。

ユングがエノク書を引き合いに出していた箇所は正直言ってカオスだっ
たのですが、こう解釈するときれいにまとまりそうですね。
以上、雅歌に見る、神とヒトのジンテーゼ(人間の神化、神の人間化)
の解釈でした。・・・ぶっとびすぎてますかね?(^^;)

7【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/04/14(火) 01:15:17 ID:???0
ところで、やりたいことがたくさんありすぎて手のつけようがないとこ
ろがあったりして…。

ユングのネタは別にエヴァでなくとも、私にしてみればもっと来歴の長
い『封神演義』とか中国神話にも応用できそうな感じがするんですよね。
女媧と伏羲とか(有名ですけど、下半身が蛇で絡まりあってるんで、シ
ヴァ=シャクティみたいにシュジュギア元型と照らせる上に万物創造の
話まで絡んでくる)、そもそも『封神演義』では、助平皇帝の紂王が女
媧に色目を使ったことが結果的に彼女を怒らせ、妲己ら三妖女を遣わし
て紂王を気狂いにし、国(殷)を滅ぼす遠因にしてるあたり、万物創造
及び人間を生み出した母としても書かれていますし、キュベレー−アッ
ティス型の母元型とかもろにリンクしていると思いました(若干だけ違
う気もしますが)。まさに「気まぐれ」で国を滅ぼす、というイメージ
も強いですけど。安能務の小説ですが、『史記』を読んでおられる方な
ら色々と接点があって面白いと思うんですけどね。特に悪女列伝にその
名を馳せる呂后なんかは、「ヒト豚」と称して劉邦の愛人をなんとも残
酷な姿にして子ども(恵帝)に見せ付けて狂わすあたり、キュベレー−
アッティス型でしょう。

8アルコーン・ヤルダバオト:2009/04/16(木) 21:07:44 ID:HQCjQBEE0
ご無沙汰しております。
「雅歌に見る、神とヒトのジンテーゼ」、ぶっとんでますが面白いと思います。笑
イスラエルの民のシュジュゴスとして、ロゴス=キリストを当てはめてみるなんていうのは、
実験的でいいですね。結果的には、限りなくユング的なものに近い結論が導き出される気がしますが。笑
いずれにしろ『ヨブへの答え』の補完的説明が少しでも多くなされれば、
僕の貧弱な理解の助けにもなるかと思うので、ソフィアの項の続き、ぜひお願いしますw

あと、マグダラのマリアといえば、グノ文書には『マリヤによる福音書』がありますが、
(ほんと凄い発見ですね、ナグ・ハマは)
そのなかには、イエスが「他の女性たちにまさって」マリアを愛したという記述もあったりするので、
なんらかのヒントになりそうですね。

9【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/04/17(金) 00:26:40 ID:???0
>>8 ヤルダバオトさん
ご無沙汰しております。やはり四月はお互い時間割の準備などで慌しい
ようですね。まあ、ぶっとんでいるが面白いと評価してくださったこと
には、ようやく私もぶっとんだ話で面白おかしく解釈できるようになっ
てきたということかなと(^^;)。それがなければ面白くないと仰っ
てくださったのは博士でしたけどw。

>結果的には、限りなくユング的なものに近い結論が導き出される気がしますが。
そりゃまあ、根本的にそれをネタにして応用しているわけですからw
でもユング以前にエイレナイオスの『異端反駁』の『プトレマイオスの
教説』にも同じことが書いてありますよ。ロゴス=ソーテール(キリス
ト)だとw。
結果的に霊的人間はアンゲロスとの聖婚でもってプレーローマに引き上
げられるわけで、これは『ヨハネ福音書』のハギオン・プネウマに対応
してるといえます。ちなみにプトレマイオスのデミちゃんは最終的に義
人扱いでプレーローマには入れませんが、「ソーテール=アカモート」
がプレーローマに回帰した後に中間の場所に引き上げられて落ち着きま
すねw。あれだけを見てると自分を『ルカ福音書』とか『マタイ福音書』
の「百人隊長」にたとえているデミちゃんは「ちゃん」づけしたくなり
ますねw。『フィリポ福音書』だと中間の場所は「死の場所」になって
しまいますが。

『エノク書』はユング曰く「先駆形態」ですから、失敗例としてみなせ
るでしょう。アンゲロス(=ハギオン・プネウマ)が、この場合人間に
欲情したグリゴリ(堕落天使)だったわけで、その結果生まれたのが巨
人族、つまり自己と神とを同一視してナルシスティックな熱情に駆られ
ている傲慢な人間ですね。ユングの表現で言えば無限のヒュプリスに陥
った自我肥大(インフレ)的人間ということになるでしょう。明らかに
神人合一の失敗だということができます。

ただ、私はこっちはむしろ、北欧神話におけるオーディンと自動殺戮機
械的人間ベルセルク、ニーチェの「神の死」の宣告、フロムの自動機械
人形(オートマトン)、グノーシスの非神的要素パトス、ノアの方舟の
話と絡める案を考えていました。ユイのサードインパクトに対する考え
方が、自我肥大症患者の「お片づけ♪お片づけ♪」だったということと
絡めて説明するつもりでした(^^;)。ゼーレども(霊魂ども)は少
なくともまったく神と関係のない非神的要素ですからw。
何のことか分からないかもしれませんが、それを知らなくてもこの統合
論に関するところだけ読まれてくだされば、『ヨブへの答え』の理解へ
の参考に結びつくのではないか、と思っていますw。『マリア被昇天』
は絡められるか分かりませんが。というか、ようは彩り方の問題ですよ
ね、面白くするのってw。

10【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/04/17(金) 01:55:16 ID:???0
マグダラのマリアと『マリヤ福音書』の関連ですが、もっと参考にする
とすれば『魂の解明』なんかもいいと思います。あれは典型的なソフィ
ア神話のモチーフをものすごく簡単に単純化して説明しているといえま
す。プシュケー=ソフィアです。ご存知だと思うので詳細は省きますが、
実は今回のソフィア詳細説明の『雅歌』などを絡めた記述には、『魂の
解明』をモチーフにしてるところがあったりします。「魂の嘆き」とか
「智慧の嘆き」といった表現は、まあ分かる人だけにしか分からないか
と思いますが、これ見よがしに『魂の解明』の伏線を張っているつもり
でしたよw。

あと、マグダラのマリアの場合、まだ読めてませんが『Pistis Sophia』
の副題が「The Gnostic tradition of Mary Magdalene, Jesus, and his
Disciples」となってます。『マリア福音書』の内容とも関連があるか
も。マグダラのマリアは娼婦でしたし、シモンが伴侶にした娼婦とかと
同じようにあからさまにソフィアとの照合がされているのではないかと
思われます。

11【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/04/18(土) 15:47:11 ID:???0
以前も述べたことですが、ソフィアとアブラクサスを結びつけて見よ
うという試論があります。アリストテレスの『霊魂論』を流用してい
るヒッポリュトスの報告を用いることになりますが、ユングのアブラ
クサスと兼ねて、『デミアン』の解釈のしなおしといったところです
けど。ご存知の通り、『デミアン』はユングの敷衍小説的な要素があ
り、「ハイタカシンボル」が最初から何かキーを持つものとして語ら
れていたはずです。以前、ここで『デミアン』を何度か論ったことが
ありましたが、ハイタカシンボルを組み込めてなかったのが失態でし
た。とりあえず、ソフィアと『雅歌』、『ヨハネ福音書』のロゴスと
ハギオン・プネウマのネタをきちんと片してからそっちの論考を整理
したいと思います。それとウロボロスを用いているノイマン、論考書
こうと思うとネタ大杉w元型論だけでもそうだというにw。
S.I.ハヤカワの謂いをもじりますが、まさしく「ロゴス(論理思考)
のナイアガラの滝」という感じですw

12【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/04/19(日) 19:41:52 ID:???0
あと少しでできますが、ツメが甘いなw。
ユングは直接書いておりませんけれども『ヨハネ福音書』に隠れている
アナグラムのヒント(といってもプトレマイオスの教説を読んでいる方
にはバレバレですが)を書き綴っておきます。ちなみに、私は大貫氏の
『ロゴスとソフィア』は読んだことがないので、それとどんな関連が在
るかは知らない、ということをお知らせしておきます。読んでいる方が
いらっしゃいましたら関連性を教えてください。

「はじめに、ロゴスがいた。ロゴスは、神のもとにいた。ロゴスは、神
であった。この方は、はじめに神のもとにいた。すべてのことは彼を介
して生じた。彼をさしおいては、何一つ生じなかった。彼において生じ
たものはゾーエーであった。そのゾーエーは人々(アントローポスたち)
の光であった。」
(論理の演繹展開のために小林稔訳を若干変更してます。本当は「はじ
めに」とかも「アルケー(=ヌース)のうちに」とか訳すと面白いこと
が発覚しますがw)

ゾーエーに当たる箇所は日本語訳では「生命」とか「命」と訳されると
ころです。「彼(ロゴス)において生じたものはゾーエーであった」と
いうこれは「生じたものは彼のうちにあってゾーエーであった」とも訳
しうるらしいですが、なんにせよ、これを「ロゴス=ゾーエー」のシュ
ジュギアとみなすことが可能です。これが『ヨブへの答え』をみても分
かるように『シラクの息子イエスの智慧(シラ書)』の24章の《智慧》
の語りとほぼ一致を見る。
「私はいと高き方の口から出て、霧のように大地を覆った」
『ヨブへの答え』の林氏の訳し方で言うと「智慧は自らをロゴス・神の
言葉・と呼んでいる」とあるだけですが、この《智慧》は、私が引用し
た『ヨハネ福音書』の冒頭でいうところの《ゾーエー》と同義であると
もみなせる。そもそも《ゾーエー》自体が女性名詞でもあるわけですが、
こうみると「ロゴス=ゾーエー」のシュジュギアが「ロゴス=ソフィア」
ともいえるということになります。グノーシス用語辞典を見ていただけ
れば分かりますが、グノーシスの神話ではソフィアは時折「ソフィア・
ゾーエー」と呼ばれることもしばしばあります。ともなれば「ゾーエー
は人々の光であった」というのは、「ソフィアは人々の光であった」と
読めるわけです。「ロゴス=ソフィア」からアントローポスたちが生ま
れる、アントローポスたちに形相を与えて在るものとするものが『創世
記』における「光あれ」に該当する、ソフィアは万物の母胎である、こ
れが、ロゴスがソフィアに「種子」(用語辞典参照)を置くことでソフ
ィアから人々が生まれたという解釈と何ら相違ないことは明らかである、
というわけです。きりがないなw

13【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/04/22(水) 21:58:37 ID:???0
あれ、よく考えてみたら、このヨハネ福音書の解釈、もしかして、丸山
圭三郎の欲望のウロボロス的円環運動の中で踊ってた?w生命体を貫徹
するレーベン(生)のエネルギーの昂揚=言分けられる欲動の称揚=ロ
ゴスの演繹展開能力による有機空間創造の称揚=ゾーエーの称揚=ソフ
ィア(知ること)の称揚、って丸山式解釈まんまじゃないかwヨハネの
引用にはゾーエーのことまでは書いてなかったけど。なんてこったい、
『言葉と無意識』の域を超えられてなかったと後で気づいて自分で自分
に突っ込みを入れる結果となってしまいましたw。改めて思いますが、
あの本、ほんとにウロボロス的円環をなしてますねw。読んでいてよか
った、後になってその内容がそれこそゾーエーの宿ったものになってく
るというw。まあ結局ネガティヴに言えば後追いでしかないということ
になってしまいますけど…。

14【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/04/26(日) 13:40:22 ID:???0
ああ、ちなみに「封神演義」の話をしていますので、その中でももっと
も圧巻な話を出しておきましょうか。誅仙陣の戦いとか万仙陣の戦いで
すね。正直漫画ではめちゃくちゃになってます(とはいってもそれはそ
れで悪くはありませんが)。結局のところバタイユで言うところの「蕩
尽」です。同じ道教でも崑崙山の人間出身の仙人集団(闡教)と、妖怪
出身の仙人集団(截教)があります。構図だけ見ても面白いと思うので
紹介しておきますが、とりあえず中国の古い神話の世界観は天界・仙界
・人間界が存在しているわけですが、仙人の中でも人間出身の仙人は、
妖怪出身の仙人が気に入らない、しかも人間出身の中でも仙人としての
修行を積まずに途中で下山して、人間界でエリート生活を送っている人
間がいることも気に食わない。あるいは人間界にいるには秀ですぎてい
て混乱を招きかねないが仙人になるわけでもなしというのも中途半端。
封神演義というのはこの中途半端のなりそこないとか妖怪仙人集団を、
女媧娘々(にゃんにゃんw)の殷を滅ぼす気まぐれに乗じて、生贄とし
て抽出して、「神」の名を与えて封神台に葬り去ってしまおうという儀
式ですね。新しく「神界」というのをつくってそこに置くわけですが。

闡教の仙人は1500年置きに「殺戒」を破らなければ「やってられないわ
ん」な人が多いそうですw。バタイユのエロティシズムの「禁止の解除」
やんけ(笑)。その中でもそうではない人もいますけど。

太上老君(老子)は基本的に争いには反対で、その上に存在する仙人界
の最高人物である鴻均道人は、同じ仙人同士の争いを止めるべく一回し
か登場しませんが、この一回きりの登場の仕方が迫力満点です。
その中にはあとで西方仏教の菩薩になる仙人までいます。たとえば観世
音菩薩とか、普賢菩薩とか文殊菩薩とかですけどねw。封神演義では、
仏教もまたところどころで関与してくるから面白いw。しかも道教の仙
人だと手も足もでないようなものが仏教にまつわるものの類だというの
が面白いですよw
またこういうのをけしかける存在として、以前取り出した許由→申公豹
がいるわけで、これはサタンに似てますねw。トリックスターといって
いいのかどうかまだ明確じゃないですけどw。彼は、仙人界では異端児
で、全てではありませんが、仙人界では嫌われているところがあるんで
すけど、老子には最初から最後まで庇護の対象になってますw。西遊記
の孫悟空が戦ったナタクも出てきますが、彼の出自が孫悟空の立ち回り
と実はそっくりだったりするw。

15【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/05/05(火) 15:30:41 ID:???0
しかし改めて思うが、封神演義には面白いことが書かれているものだ。
地球の軸の真上としての「北極」が存在するが、これは最後にいわゆ
るはぐれ者である申公豹が、太上老君の命令を受けた玄都大法師の庇
護の下に向かう先である(書き手によって事情が違うが)。この北極
の極点にある「窪み」には「時間」も「空間」もないという。だから
進歩も退行も引き起こさないというのである。外部からその内部をう
かがい知ることはできないし、攻撃手段などは一切無効化されるとい
う。「つまり勝手気ままに安心して暮らせる、かねがねそんなところ
に住んでみたいと思っていた」などというあたり、さすが帝位を譲る
と称した帝堯に「耳が腐った」と突っぱねた男。閑人ぶりもここに極
まれりといったところであろうかw。

16【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/05/05(火) 17:09:09 ID:???0
最近バタイユの論理が封神演義の物語とリンクしてしょうがない。ある
いはグノーシスもなのだろうが、興味深いと思うので以前書いた法術の
最終奥義「営鎮抱一」の詳細を書いておこう。

「営鎮」は、「動じて身を『営』むをそれ『魂』といい、静にして形を
『鎮』めるをこれ『魄』という」と云われる場合の「営鎮」に他ならず、
それゆえに「営鎮抱一」の第一義は「魂魄抱一」である。抱一の『一』
は「道法帰一」の『一』で、道法の根源に他ならない。そして「道法帰
一」は「万象帰無」の対極にあって、両者は「対」をなしているという。
これはつまり、一に帰するとは無に帰するということである。形ある存
在(象)を乗り越えることである。仙人が修行するのはまず不老不死を
希うからである。それを望むのは、生死を繰り返す「輪廻」の苦しみを
免れんためである。それゆえ無に還るに際して、魂魄を残してはならな
い。それを残せば、せっかく超克した輪廻の苦界に再び引きずり込まれ
て、元の木阿弥となる。したがって「営鎮抱一」の術とは、魂魄を一に
抱いて身形もろとも消え失せることに他ならない。道法との全き合一を
遂げて無に帰することなのである。仙人は死なず、ただ無に帰するとい
うわけである。(『封神演義』より)

説明だけ聞いていると重々しいが、そのやり方が実は、訳者が「至芸」
だといっているところからしても格好が面白い。左手を右足に絡めて
左足を軸に、駒のように廻る、さらにそのまま両手をまっすぐ頭上に
上げて両手首を組み縦一文字になったまま悠然と廻り続けるという動
作によって二時間ほどで完結するという。…バレエ?w

19プラダ バッグ:2013/03/25(月) 14:38:58 ID:XOkq1uPM0
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