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宇宙開闢と建築供犠−セカンドインパクト−

10【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/02/23(月) 23:08:09 ID:???0
「論理」ですか。私はバタイユにしてもユングにしても、ことあるごと
に「言葉」について強調されているので、そっちと絡めておりました。
ご存知の通り、ユングがくどいほどに旧約における智恵文学のソフィア
が新約聖書『ヨハネによる福音書』のロゴスと本質的に同じであると言
う説明ですが。「至高者の口から出でた言葉」とかがロゴス=キリスト
論の表現法とそのままだという。あとは「理性」とヌースですが、これもバタイ
ユとかユングとか丸山の援用です。「論理」というと私が思い浮かべる
のはウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の冒頭にある有名な語り
文句でしょうか。

「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして論じ得ないことに
ついては、人は沈黙せねばならない」

論理は、語ることによって表れるが、論理それ自体に関しては人は語れ
ないとか、そういうところがバタイユの言うところの、人は《知》につ
いて実は《何も知らない》中にいるという説明とかぶっているのではな
いかと考えましたが。バタイユの論理は見るたびに論理の限界を超えて
るゆえに自分で語っていることが無力化するというところにあるんです
が、だから「自分の失敗の程度」を示すとか、ウィトがいうところの沈
黙せねばならないってところをバタイユは黙りませんねw


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