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【判例】法律問題を議論するスレ【学説】
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:
よしはら
◆7lqX359TUk
:2010/10/23(土) 23:46:20
いわゆる人権の私人間効力について、無効力説(新無効力説を含む)・間接効力説・直接効力説が主張されています。
このうち、間接効力説と直接効力説との相違については、大きな意義を認めないのが、最近の傾向です。
たとえば浦部法穂教授は、間接効力説か直接効力説かは、「それほど本質的な問題ではなく、法的な理論構成としてどちらが美しいかという程度の問題でしかない」(浦部法穂『憲法学教室(全訂第2版)』(日本評論社、2006年)70-71頁)とされます。
また戸波江二教授も、両説の相違は「単に結論が「違憲」となるか、「違法」となるかの相違にとどまり、大きな意味をもたないのではないか」(戸波江二『憲法』(地方公務員の法律全集1、ぎょうせい、1994年)146-147頁)とされます。
本論は、このような有力説に反対し、間接効力説をとるか直接効力説をとるかは、規制の合理性の立証責任について、大きな相違をもたらすので、両説のいずれをとるかという議論には、なお大きな意義がある、と論ずるものです。
まず、架空の設例を一つ設けます。
株式会社Yに雇用される労働者Xが、会社での休み時間中に、Yの代表取締役Aの経営方針を批判するビラを、他の労働者に配布した。
このためXは、Yから減給の懲戒処分を受けた、という事例です。
Xは、Yによって、自己の表現の自由(憲法21条1項)を不当に侵害された、と主張したいとします。
一方、Yの懲戒処分を正当化する憲法上の人権として、Yの営業の自由(22条1項)が挙げられます。
ここで間接効力説によると、Xは次のように主張することになります。
すなわち、Xの表現の自由の価値を、公序良俗規定(民法90条)などの一般条項に充填する。
Yの営業の自由による、Xの表現の自由に対する侵害は、社会的許容性の限度を超えている。
そのためYの懲戒処分は、民法90条に違反し、無効である、と。
このとき、X側が何を立証しなければならないかが、重要です。
公序良俗によって法律行為を無効とするためには、公序良俗違反を主張しようとする側が、公序良俗違反に該当する具体的事実を、立証しなければなりません(佐久間毅『民法の基礎1 総則(第3版)』(有斐閣、2008年)201-202頁)。
つまり、X側から公序良俗違反、すなわちXの表現の自由に対する不当な侵害があったと主張するためには、Xは、Xのどのような表現行為・Yのどのような懲戒処分が問題となっているかはもちろん、本件事例において、Xの表現の自由を尊重すべき合理性と、Yの営業の自由が尊重に値しない事情を、すべて立証しなければなりません。
これに対して、直接効力説に立つと、事情は大きく異なります。
対国家関係において、私人の表現の自由が制約された場合、その合憲性は、内容規制であれば、やむにやまれぬ政府利益のテスト、内容中立規制であれば、より制限的でない他の選びうる手段(LRA)の基準を用いる、というのが、芦部信喜教授以来の一般的な学説です。
LRAの基準を用いる場合、より制限的でない他の選びうる手段が存在しないことの立証責任が、国側に課されます(芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法(第4版)』(岩波書店、2007年)196頁)。
やむにやまれぬ政府利益のテストにおいても、目的・手段の必要不可欠性の立証責任は、国側に課されます。
もっとも、このような対国家関係と異なり、本件のように、表現の自由の私人間効力が問題となる場合に、立証責任の分配がどのようになるかは、必ずしも明らかではありません。
労働者に対して強大な支配力を有する会社Yを、国家類似のものと見て、表現の自由を制約する合理的根拠の立証責任は、すべて会社側にある、とするのが、一つの一貫した立場です。
少なくとも、表現の自由に対する制約の不当性の立証責任が、すべてXにあると考えるのは、直接効力説からは、導き出しにくいです。
このように、間接効力説をとると、表現の自由に対する制約の不合理性を、すべてX側が立証しなければならないことになるのに対して、直接効力説をとると、Xのそのような立証の負担を、相当程度軽減することができます。
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